第55話 実験

 森に入ってしばらくすると、前を歩いていたルノイが立ち止まって言った。


「この辺でいいか」

「あ、うん。ありがとう」


 頷いて辺りを見渡す。

 随分奥まで来たせいか、当然誰もいない。


 木々の奥から日陰に冷やされた涼しい空気が流れてくる。

 遠くで聞こえる鳥の鳴き声に深く息を吸って、首から下げていたペンダントを足元に置いた。


「ミヤ」

『はぁい』


 どこか気の抜けた返事が脳裏にこだまする。

 それと共に黒い宝石の部分が瞬時に膨らみ、艶やかな毛並みの黒猫が現れた。


「ふあぁあ……全く、体中が凝り固まっちゃったよ」

「ごめんごめん」


 数日ぶりに元の姿に戻ることができたミヤに苦笑しながら謝罪する。


 ミヤによると、彼は食事をする必要がないらしい。

 曰く、『私の生命力を常に共有できるから』なのだとか。

 それってどっちかが死んだらもう片方も死ぬってことかと思ったが、試す術もないのでお互いが死なないようにするしかない。


 ミヤが尻尾をぴんと張って伸びをする横で、ルノイは警戒の色を隠すことなくじろじろと稀有な猫を観察しながら再び口を開いた。


「やっぱりにゃーにゃ―言ってるだけにしか聞こえないが……本当に会話できるのか?」

「む、猫だからって馬鹿にしないでほしいね」

「ミヤ、聞こえてないから……」

「分かってるよ!」


 不貞腐れたようにミヤが叫んだ。

 器用に両頬を膨らませている。


 彼が本当に猫なのか、一番疑問に思っているのは私であろう。


「それで、ここで何をしようって言うんだ?」


 隙間から差し込む陽光を見上げながら、ルノイが紫の前髪をぐしぐしと掻いた。


「ギーナさんとセットでルノイも自動的に出禁でしょ。私も人と接するわけにはいかないし。てことは手詰まりってことよね」

「……まあそういうことになるな」


 渋い顔のルノイ。

 初めのころに比べると、随分分かりやすくなってくれたものだ。


「じゃあどうやって魔鉱石を入手すればいいのか」


 ここでふふんと腕を組む。


 思い出してほしい。

 辺境伯邸でぶちかましたあのアドリブを。


「簡単よ。ないなら作ればいい」

「…………」

「ま、まあミヤが言っただけで、成功するか知らないけどね。どうせそのうち取り組まなきゃいけないタスクだったし、この際だから実験しちゃおうってことで」


 隣で呑気に欠伸をするミヤをよそに、私はルノイが向けてくる冷ややかな視線を慌てて躱した。


 とはいえ、成功してくれないとまずい。

 あのデカマッチョと『十月とつきで計100ウルを譲渡する』という突飛すぎる条件で契約をしてしまったのだ。

 失敗すれば、もれなく顎の尖がったナルシ野郎の嫁にされてしまう――――というかそれもばっちり契約に盛り込まれている。


 ルノイは利かせていた睨みをため息と共に解きつつ、額を右の掌で覆い「昨日の反省はどこに行ったんだ……」と言った。


「もしそんなことが本当にできたら、魔鉱石のはこれまでの12分の1になるぞ。それ以前に、国家レベルの大騒動になるかもしれない。それも考えて行動すべきだ」

「そんなのルノイが内緒にしてくれれば済む話じゃない。それとも何、私が辺境伯のご子息様と結婚させられてもいいってこと?」

「そういう契約を結んだのはどこのどいつだ」

「だってあれはしょうがなくない!? 他にどう回避すればよかったって言うのよ!」


 そうしてしばらくの口論の後、私とルノイは無駄に疲れ果てた上、「過ぎたことは仕方がない」というところで落ち着くことしかできなかった。




「ねぇルノイ……どうしよう」

「……俺に聞くな」


 橙に染まった空の下を、二人の影が足取り重く歩いていく。

 崖の向こうに徐々に見えてきた半月形の要塞が、追い詰められた私を無機質に待ち構えていた。


 結論から言おう。

 実験は失敗した。

 私がどんなに意識を集中させ、想像力を駆使しても、前回のような熱を感じることはなかったのである。


『いやぁ。まさかハルが、魔法を使えなくなってるなんてね』

「じゃあ、ミヤが生き返ったのは偶然ってこと?」

『そういうことになるね』

「おい、それ街中ではやめろよ? 一人で喋ってるようにしか見えないから」

「分かってるって。……はぁ、ほんとにどうしよ……」


 生命魔法が使えたのは、ミヤを蘇生させたあの時だけだ。

 その時とは時間も場所も違う。

 ひょっとして、何らかの条件が揃わなければ発動しないのだろうか。


「レナンの森じゃなきゃダメなのかな? それとも早朝?」

「……お前、まだ実験する気か?」


 フードを被りながら思案する私に、ルノイは呆れ顔を向けた。


「やるだけやってみようよ。何か分かるかもしれないし」

「そんなに効率の悪いやり方じゃ、いつまで経っても成功しない。もっと頭を使え」


 もっともらしいことを言う。


 意外にも感心して横顔を眺めると、彼はなぜか不機嫌そうに眉をひそめていきなり歩調を速めて門までの道を急ぎだした。

 置いて行かれないように駆け足になっても、やっぱり追いつくのは難しかった。

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