第54話 門を抜けて

 傾きかけた太陽の下で、人目を避けて道を進む。

 港町を十字に跨ぐ大通りを横切り、午後のまばらな人混みの中を早足で過ぎるとすれ違った花売りの手提げ籠から甘い香りが巻き起こった。


 向かうのは南門だ。

 狭い視界の下方で編み上げのブーツが石の補装の上をせわしなく前後する。


 不意に風が吹き、フードが飛ばされかけた。

 伸ばした腕で即座に顔を隠す。

 心臓が急にかけられた負荷に酷く痛み、背中には嫌な汗が流れた。


 落ち着け、私。大丈夫だ。きっとバレてない。


 変に警戒しすぎると不審に思われる。

 中央機関も総裁のユドは把握しているが、それ以下の大多数の職員や兵士は恐らく私の存在さえ知らない。

 しょっ引かれでもしたらまずい。


「次の角を――――右」


 軽く上げた視線を立ち並ぶ家々に沿わせ、目印として教えられた林檎の木のある家を捉える。

 道行く人たちに気づかれないうちにすぐに顔を伏せ、私はチッタで束ねた黒髪を隠しながら角を曲がった。


 マニセリルには、「半月の要塞」という異名がある。

 陸側に弧を描くように高い壁が街を守り、外地と隔てられた都市を出るには出入口である二つの門を抜けるか、船で港を出るか術がない。

 その客船も月に数便しかなく、そもそも乗船券の値段が高額で平民に手の届く代物ではないのだ。

「要塞」の名にふさわしい、辺境の貿易都市である。


 突き当たった高い石造りの壁は、まさにその防壁だった。


「たっか……」


 見上げると首が痛くなるほどの高さを誇るそれは、街一番の大きさの建造物の軽く三倍はあろうかというほどだった。

 辺境伯邸の二つの塔と同じか、それ以上。

 一体どうやってこんな代物を作ったのかはなはだ疑問だが、ここが魔法の存在する世界だということを思い出して「チートか」と呟くに至った。


 こんなところで道草を食ってるわけにはいかない。

 気合を入れなおして再び歩き出すと、どこかで正午を知らせる鐘が鳴った。




 しばらく歩き続けると、マニセリルを訪れた初日に通った大きな門が見えてきた。

 そろそろ足も疲労を訴え始めている。


 思わずため息と共に、愚痴が零れ出た。


「この街、広すぎない……?」

「お前の体力がないだけだ」


 かけられた声に勢いよく振り返ると、そこには一足先に到着したルノイが腕を組んで壁にもたれていた。


「だいたい遅すぎなんだよ、なんでこんなに時間がかかるんだ」

「し、しょうがないでしょ!? スマホもないのにどうやって行けっていうのよ」

「すまほ? そんなよく分からないようなものがないと、お前は街中も歩けないのか。不便な奴だな、道ならちゃんとあいつに教わっただろ」


「あいつ」とはギーナのことだ。

 いまだにルノイが彼女を名前で呼ぶのを聞いたことがない。


 反抗期か、と心の中で毒つくと、「……わかりやすい奴だな、お前」と冷ややかな視線が飛んできた。


「文句があるなら直接言え。……行くぞ」

「分かった……って、ちょっと待って!!」


 眉間にしわを寄せ、数メートル先で振り向くルノイ。

 時間が惜しいと顔に書いてある。


「……なんだ」

「歩くのが早い」

「お前が遅いんだ!」


 やっと追いついた私の斜め前を、ルノイは踵を返して不機嫌そうに進む。

 けれどもその歩調は、おいて行かれてしまうほど早くはなくなっていた。


「ありがと、助かる」

「…………」


 紫色の後頭部は何も言わない。

 表情こそ見えないものの、気遣ってくれていることが分からない私でもない。


 ギーナが愛弟子と呼ぶ理由が何となく理解できる気がして、深く被り直したフードの内側で小さく笑みがこぼれた。




「通行証を……ってお前、ルノイじゃねーか? 久しぶりだな!」


 そう呼び止めた門番は、どうやらルノイの知り合いらしかった。

 例のごとく俯いたままの私には勿論その顔を拝見することはかなわなかったが、声の調子から察するにそこまで邪険にされている風でもない。

 ルノイも一瞬の間を開けてから、「ああ」と何かに納得したように口を開いた。


「エルダさんのとこのフェインか。誰かと思った」

「おう、元気そうで何よりだ……と、すまん、後ろが詰まるな。これからユティノミラにでも行くのか?」

「いや、森に少し用があってな。日暮れ頃には戻るつもりだ」

「そうか、気をつけてな。もしよかったら、帰りにでもうちの店に顔出してってくれよ。お袋も喜ぶ」

「ああ、ありがとな」


 いつの間に通行証を見せたのか、ルノイの鼠色のマントは先ほどまでと同じ速度で進みだした。


 あの「フェイン」という門番。

 やけに親しげだった。

 概ね旧友といったところだろうか、ルノイにそんな友人がいたことがまず意外である。


「……近所の魚屋の息子だ。ここに来た頃によく絡まれてたんだ」


 こちらには顔も向けずに、ルノイはぶっきらぼうに言った。


 言い訳がましく聞こえるのは気のせいだろうか。


「何も言ってないけど」

「だから、何考えてるのか分かりやすいんだよお前は」


 前方から飛んでくる罵声に口を尖らせる。


 ふと、先ほど感じた疑問を思い出した。


「ねえルノイ」

「……今度はなんだ」

「どうして街中は一緒に歩いてくれなかったの?」

「……は?」

「だってほら、どうせ門を通るには私はルノイと一緒じゃなきゃいけないじゃない? なら最初から一緒に行けばよかったんじゃないかなって」


 考えてみればおかしな話だ。

 結局は合流しなければならないなら、門までの道も二人一緒に進めばいい。


「……この街には知り合いが多い。俺と一緒にいたら絡まれやすくなるだろ、今さっきみたいに」

「え、何、私を気遣ってくれたの?」

「勘違いするな。俺が奴隷を連れていると知られるのが面倒なだけだ」


 確かにルノイの言うことにも一理ある。

 私が奴隷という設定になっている以上、街でよく知られているルノイが私を連れて歩くことはあまりお勧めできない、とそういうことだろう。


 ……素直じゃないなあ。


 まだ十分に高い位置にある太陽の下で、涼しい風が緑を撫でてゆく。

 マニセリルに到着した初日に通った道のりを進み、私とルノイは崖の上から森へと入っていった。

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