第6章 魔女たちの集い

第53話 鶏足の小屋

 円卓に広げた本の群れの中で、漆黒の瞳が文字を追う。

 時折揺れるランプの光は陽光の差さない店内を照らし、物の多い空間に漂う紙の匂いを鼻が捉える。

 冷めかけの紅茶を啜ってふぅと息を吐くと、めくったページの先にあったどこかの城の絵が目に入った。


「……で、お前はなんでここにいるんだ」


 後ろから抑揚のない声がかかる。

 振り向くと、紫の髪をした青年が切れ長の目でこちらを見下ろしていた。


「…………あ……」

「あらなぁに、そんなにあたしと二人きりがよかった?」


 対面で頬杖をついていたギーナが割り込む。

 助けてくれたことに申し訳なさが募り、柔らかな微笑みにぎこちなく笑顔を返した。

 ルノイは「んなこと言ってねーだろ」と不機嫌そうに眉をひそめてから、改めて私と目を合わせて後頭部を雑に掻いた。


「……その、なんだ、昨日は悪かったな。少し言い過ぎた」

「いやそんな……私の方こそ、色々とごめん。もっとちゃんと考えて行動すべきだった。……ルノイがはっきり言ってくれてよかったよ。ありがとね」


 張るほどの意地はなかった。

 正論で真っ向からぶつかってくれたことに素直に謝辞を述べる。

 ルノイは少しだけ目を細めると、棚の拭き掃除を再開した。





 山小屋を出てから今日で八日目。

 私は今朝からギーナの店にお邪魔している。



 あの後辺境伯邸の部屋に戻ってから、私はこれまでの行いを思い返した。

 森での生活、マニセリルを訪れてからの行動、そして昨日のこと。

 冷静に考えると全ては利己心で完結していて、己の傲慢さに情けなくなった。


 助けてくれた恩人たちを振り回し、善意を押し付けて自分本位の正義を貫く。

 その中のどこに支えてくれる存在への感謝があっただろう。

 たとえここが異世界であろうと、好き勝手していい訳では勿論ない。

 私は世界の部外者であり、それを念頭に置くべきだったと心から反省した。


 もう二度と、同じあやまちは繰り返さない。

 物語の中の英雄ヒーローではないのだということを、この胸に深く深く刻み込もう。

 私は私にできることをすればいい。


 山小屋に帰ろう。

 あの場所で、彼らのために私ができる最大限のことをしよう。



 気がつけば朝になっていて、部屋を出たところで鉢合わせたシュカに大丈夫かと心配された。

 一晩考えて至った結論を話すと、シュカは大いに賛同してくれた。

 近くにいたトーガにもそれを伝え、その日のうちに荷物をまとめて辺境伯邸を出ていくことになったのだが……。



「まだ身分証できてねぇから帰れねぇぞ」


 昨日のことを謝罪して帰宅の意思を伝えると、ユド邸の前で仁王立ちする親分はあっけらかんとそう言い放った。


 ……完全に頭から抜けていた。


「そういえばギーナがお前を心配してたからいっぺん顔見せに……お、そうだ。ハルお前、鶏小屋とりごやに泊めて貰えばいいじゃねぇか」


 そろそろ検査の結果も出るだろうしな、と親分。

『鶏小屋』とはギーナの店『鶏足の小屋』のことである。


 いい加減にも程があるが、口答えはせずに従うことにした。

 なぜなら店には大量の本があるからだ。

 それを借りて勉強させてもらえれば、少しは何かの役に立つことがあるかもしれない。



 という訳で私は数日間、ギーナの店に泊めてもらうことになったのである。





 卓上に開かれた本に綴られていたのは、イーリエシア王国の歴史だった。

 初代の王が建てたというペルパトゥレ宮殿の絵が白いページを彩り、右側一面を埋めている。

 左側の説明書きには『城壁に囲まれた漆黒の宮殿』とある。

 一見すると魔王城のような異質さだったが、次第にその細かな装飾に目を奪われた。


「あら、宮殿の絵じゃない」


 本に差した影に顔を上げると、ギーナが向かい側から懐かしそうにページを覗き込んでいた。


「行ったことあるんですか?」

「ええ、昔ね。王都郊外に住んでたことがあって」

「……ほんとにこんなに真っ黒なんですか?」

「ええ。確か黒曜石で作られてるのよ。荘厳というか、格式高い見た目よね」


 指先を頬に沿わせ、魔女はその紅い三日月をこちらに向ける。

「黒は神聖な色なの」と思い出したように添えてから彼女は私の髪に視線を送った。


「だからハルちゃん、もう聞き飽きたかもしれないけど、貴女は自分で思っているよりもずっと気をつけなくちゃいけないの。それほど稀有な存在なのよ、貴女は」


 ギーナは優しく念を押す。

 私の身を案じてくれていることをひしひしと感じ、自然と顔が綻びた。


「はい、肝に命じておきます」

「本当は魔法が使えたら身を守るのも多少はできると思うんだけど……保有魔力がないとなると、魔道具を身に付けるくらいしかできないわよねぇ」

「護身用の魔道具となると、結界魔法が付与されたものでしょうか?」


 結界魔法とは、発生源を中心とした一定の範囲内に干渉する魔法の総称である。

 二段階の術式を指し、それぞれの『範囲を定める』『範囲内における事象に干渉する』という効果を併せた結果に完成するものが『結界魔法』。

 必要となる結界魔法の術式を魔道具に組み込み、その動力源に魔鉱石を内包するという形が一般的な護身用魔道具の一つとして知られている。


 魔鉱石は元来魔力を含んでいるので自分で魔力を捻出する必要がない。

 なので術式を常時発動型にしても魔道具を持つ者が魔力を擦り減らさなくていいのだ。

 そのため魔道具は魔力の弱い人間や"ユニ"の人々だけでなく、多くの人に利用されている。


「そうね。材料から作れば安く済むし、結界魔法の付与ならあたしにもできるわ。問題はいくつかの魔鉱石の専門店をあたしが出禁になってるってことね……」

「お前また冷やかしみたいなことしてたのかよ!!」

「やぁね、冷やかしじゃなくてウィンドウショッピングよ。ちょーっと店内をうろついてただけじゃない」


 飛んで来たルノイの怒号にも全く動じず、ギーナはマイペースに口を尖らせた。


「まあ五日連続だけど」

「それはちょっとじゃねぇ!! ……ったく、そんなんだから『シルパの魔女』って呼ばれんだよ……」


 その言葉に疑問を覚え、ため息混じりのルノイに投げかける。


「『北の魔女』じゃダメなの?」

「『シルパ』は『奇天烈スィルパ』と読みが似てるからな。掛けてんだよ、『シルパ』と『奇天烈スィルパ』を」

「へぇ、そうなんだ」


 どうやら言葉を掛ける文化があるらしい。意外な発見である。


「魔女にとっては『奇天烈スィルパ』も褒め言葉よ。それに『北の魔女』ってなんか格好いいじゃない。北を司ってるみたいで」


 楽しそうに笑うギーナに頭を抱えるルノイ。

 師匠想いの弟子に同情しつつ、私はふと何か引っかかるものを感じた。


「……………………?」

「ハルちゃん? どうかした?」

「いえ、なんでも……」


 ギーナは「そう?」と首を傾げると、すぐに腕を組んで何やら考え始めた。


「とにかく、魔鉱石をどうやって手に入れるか考えなきゃよね……この街に魔鉱石を売っているお店は専門店を含めて八つ、その内あたしが出禁になっているのは六つ」

「おい、この前来た時は三つだったじゃねぇかよ!! 今度は何したんだ!?」


 ギーナは指を折って店の数を数えていたが、上げられたルノイの声に振り返って当然のように答えた。


「一つはウィンドウショッピング。残りの片方は商品の宝石が偽物だってことを教えてあげたら追い出されたわ。もう片方は店主に口説かれたのを振っただけよ。逆にどうしてそれで出禁になるのかあたしが聞きたいわね」


 親指と人差し指でそれぞれの店を示し、爽やかにそう言ってのける。

 唖然とした表情でギーナを見つめるルノイは、普段からは想像もつかないほど人間らしかった。

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