第52話 傲慢

 複合呪術。

 古代語で編まれる詠唱を書き換え、新たに創造した呪いである。

 勿論元となる呪術は存在する訳だが、何しろ複合された紛い物なのでその取り扱いは元のそれとは異なる場合がほとんどだ。

 ましてや解呪の段階までいくと、数多ある中から特定の方法を探し当てなければならない。



「それじゃあ……」


 悲痛な声がシュカの口をついて出た。

 噛み締めた奥歯がギリギリと音を立てる。


 諦めてたまるか。

 まだ何か、できることがあるはずだ。


 呪われて一年。

 その間誰とも、家族とも話したり笑い合ったりできないなんて。


 どうして彼女はそんな目に合わなければならなかったのか。

 一体誰が、そんなことをしたのか。


 ………………誰?


「……術者……」

「ハルちゃん?」

「ギーナさん、複合呪術にも『逆読さかよみ』って使えませんか!?」

「え?」

「確か普通の呪術は術者が呪文を逆読みすることでも解呪できますよね!?」


 私の剣幕に押され、ギーナが一歩後ずさる。



 逆読みとは読んで字のごとく、呪文を末尾から逆に読む詠唱方法だ。

 継続型の呪術は基本的に二通りの解呪方法を有しており、特定の薬や浄化魔法によるものともう一つ、逆読みによるものがある。



「え、ええ、理論上は……でも術者がかけた呪いをわざわざ解くなんて聞いたことがないわ」

「分かってます。でも他に方法がないなら、術者を説得して呪いを解いてもらうのが一番いいと思いません?」

「……ハル、お前自分が何言ってるのか分かってんのか?」


 ルノイの無機質な声が響く。

 壁際にもたれたまま、ルノイは切れ長の目を私に向けた。


「術者を説得するって言ったって、自分がかけた呪いをわざわざ解いてやろうなんて酔狂な野郎がいる訳ないだろ。第一そいつがどこにいるのか当てはあるのか?」

「それは……」

「この国には4000万人以上の人間がいる。その中からたった一人を探そうなんて無謀だ、お前なら分かるだろ」


 ルノイの言うことは正論だ。

 理解できない訳ではない。


 痛いほど刺さる周囲の視線の中で、私は何も言い返せないで俯いた。


『……ねぇミヤ。何かないの? この状況を打開できるようなもの』

『残念だけど、何もないね。呪いをかけたやつの居場所を特定できるような魔法はないし、元になってる"薔薇の棘"は非継続型呪術だから未だに解呪方法が確立されてない。お手上げだよ』

『そんな……』


 自分の無力さに絶望する。

 諦めきれずにしばらく必死で他の方法を脳内で模索したが、何も思いつかなかった。


「……なぁハル、夫人のことからはもう手を引け。悔しいだろうとは思うが、お前一人じゃどうにもできねぇことだってあるんだ」

「そうだよ、ハル。君は医者でも呪術師でもないんだ。諦めたって誰も君を責めたりはしないよ」


 親分とトーガが私を宥め、ギーナとシュカは心配そうに成り行きを見守っている。



 どうして彼らが私を止めるのか。


 簡単だ。

 私が何も知らない愚かな少女だからだ。


 部外者が無闇に突っ込んだところで意味はないし、余計なことはするべきではない。

「助けたい」という気持ちさえあればいい訳ではないのだ。


 物語の主人公のように、全てが自分に都合よくなんてならない。

 私のこれは、単なる傲慢だ。


 異世界に来て自惚れていた心が急速に萎んでいく音がした。


 私はただ、頷くしかなかった。





 夕刻、日の沈む頃。

 晩餐を運ぶついでにタグルに経緯を説明すると、タグルは長い髪を揺らして「そう」とだけ答えた。


「ごめんなさい、せっかくお話ししてくださったのに……」


 彼女にとって、私の言葉は希望の光だったはずだ。

 しかし私は、結局何もできなかった。


 良心が傷だらけになって血を流し、悔しさに溢れそうになる涙をなんとか堪えた。

 泣いても解決はしないのだ、私の自己満足のために泣く訳にはいかない。


 二人の間に、静かな時間が流れた。


「ううん、いいの」


 決然と放たれた言葉にハッとして、私は顔を上げる。

 令嬢は、父親に拒絶されてきたその青い髪を優しく撫でながら、憂いを捨てて力強く微笑んでいた。


「お母様の呪いは……私が解くわ。きっと方法を見つけてみせる。絶対に諦めない……そう決めたの。……貴女のおかげよ、ハル。ありがとう」


 目の前に座る同い年の少女。

 青い海のような瞳がゆらゆらと揺れる。

 そこに迷いはない。


 引っ込み思案を拗らせて人と接することもやめてしまったはずの彼女は今、私よりもずっと先のところにいる。

 きっと彼女は最愛の母親を救うためにこれからの人生を捧げるつもりなのだろう。


 自分の我儘を他人のためだと偽善で包んで押し通してきたことにようやく気づかされ、私は己を心から恥じた。


「滅相も……ございません……」


 震える声でやっと呟くことができたのは、それだけだった。

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