第50話 奇妙なこと
カランコロン
入り口を背にして立っていた女がドアベルに振り返り、「あら、いらっしゃい」と嫋やかな笑みを浮かべた。
遠心力で広がる赤黒い髪は本日も艶やかに雑多な店内を彩る。
私は還暦前後であろう魔女に視線を送り、喉奥で唾をゴクリと飲んだ。
その直後、奥の苔色の扉からよく見知った青年が現れた。
布を持っていない方の手で深紫の頭をぽりぽりと掻きながら、全員が髪を隠していないことに気づき吃驚を示す。
「は………………?」
「先程色々ありまして……ルノイさんももう気になさらなくて大丈夫ですよ」
シュカがバツの悪そうに説明する。
状況が飲み込めたのか、それとも考えるのを放棄したのか、ルノイは元の無表情に戻って「そうか」と呟いた。
ルノイが驚くのももっともだ。
これまではシュカの白髪をカモフラージュするために皆で布を巻いていたのに、なぜかそれを突然辞めてしまったのである。
こうなってしまっては"
"
そのため彼らは奴隷商人や人身売買業者の格好の餌食となりやすいのだ。
狩人たちが髪を隠していたのは、恐らくそういった理由もあるのだろう。
しかし今、シュカは白髪を隠すことなく店にやってきた。
勿論道中もそのままだったし、本人が布をなくしたとかそういう訳でもない。
ついさっき、ユド邸に親分を迎えに行った時。
私だけなぜか呼び止められ、他全員が応接室に通された。
そして出てきた彼らは、既に布を巻いていなかった。
つまるところ、私にもよく分からない。
「結局どうして隠さなくてよくなったの?」
「あー……申し訳ないけど、ハルには言えないんだよね」
そう言って腕を組むトーガ。
蚊帳の外か。
まあ仕方ないけどね、私部外者だから。
「正直かなり気になるけど……分かった、聞かないでおくよ。シュカが安全なら別に私はいいし」
「すまねぇな。ついでにシュカが"
「え、でも…………」
そんなの一目瞭然じゃない、と口に出しかけたところで「頼んだぞ、ハル」と強引に言い含められた。
「わ、分かった」
親分が組んでいた腕を解き、偉いぞと言うように頭をぐしゃぐしゃ撫でる。
私は目が回った。
ひと段落ついたところで、ルノイが一同を切れ長の瞳で眺めた。
「……で、何の用だ。もうレナンに帰るのか?」
レナンとは、狩人たちの山小屋のある森の名前だ。
さて、この人どこまで知ってるんだっけ。
右斜め上に適当に視線を投げながら考えを巡らせる。
三日前にボルボと契約した時はいたな。
この店に来たのは多分一昨日の朝だ。
ということは、ネスカの呪いについては何一つ知らない訳か。
「あら、もう帰っちゃうの? せっかく来たんだから、もうちょっとのんびりしていきなさいよ」
「お前は雑用係が欲しいだけだろ!! ったく来るたびにゴミの山増やしやがって、何の嫌がらせだ……」
「そんなことないわよぅ。ただ愛弟子がちょっとでも長くいてくれたらいいなって」
忌々しそうに顔を歪めるルノイに、ギーナは舌先だけ出して笑った。
『テヘペロ』の文字が見え隠れしている。
「仲良しですね」
「良くないっ!!」
微笑ましい状況に声をかけると、ルノイは再び不本意だと言わんばかりに叫んだ。
「何が悲しくて一日中掃除しなきゃいけないんだ、片付けた端からすぐにひっくり返されるんだぞ……? 一体俺が何をしたっていうんだ……」
いつもよりよく喋るルノイ。
……ちょっと可哀想になってきた。
本気で帰りたそうに俯くルノイには悪いが、そろそろ本題に入らせてもらおう。
「ごめんねルノイ。山小屋に帰るのはまだよ。今日はギーナさんに頼みたいことがあって来たの」
「あら、私に?」
いきなり話を向けられ、ギーナはテヘペロの文字をしまって代わりに疑問符を浮かべた。
「はい。もしよろしければ、呪いに関する資料をお借りしたいと思いまして」
「呪いねぇ……一口に呪いと言っても、結構量があるわ。貸すぶんには構わないけど、もう少し具体的な方が範囲を絞れるんじゃないかしら?」
「では、『被術者が意識不明状態に陥るような呪い』ではいかがですか?」
「かなり重い症状ね。でも死には至らないとすると……ちょっと待ってね」
妖しい微笑を投げかけ、ギーナは白魚の指先を壁に向けて打ち鳴らす。
現れた空間から音もなく本が数十冊飛び出してきて、部屋の中心に備え付けられた円卓の上に収まった。
どれも厚さは普通で、灰色に金字で表紙に文字が刻まれている。
どうやら同じシリーズらしい。
題名は……『呪術大全 第104巻 "金縛り"』『呪術大全 第237巻 "操り人形"』『呪術大全 第68巻 "石化"』などなど。
本の山の重みで木製のテーブルが軋んだ。
「え、これ全部!?」
覚悟はしていた。
しかし実際に資料の量を前にして、リアクションせずにはいられなかった。
「何か他に気になる症状はあった?」
「そうですね……呼吸はないけど脈はあって、その状態で一年が経過しているそうです。あ、あと、私が被術者の頭部に触れようとしたら黒い植物の蔦みたいなのに弾かれました」
「植物の蔦?」
「はい、棘のある蔦です」
ふむ、とギーナは頬に手を当てた。
あえて"薔薇の棘"ではないかと言わなかったのは、先入観を省くためだ。
事実のみを並べて提示しその上で彼女が呪いの種類を仮定した方が客観性が高まる。
ギーナの知識を軽んじているつもりはないが、実際本人がどのくらいの力量の魔女なのか私は知らない。
何か言いたそうなシュカの目を無視し、紅い唇が開くのを待った。
「棘のある蔦……それだけ聞くと十中八九"薔薇の棘"でしょうね。でもそうだとすると、ちょっと妙な点があるのよ」
七分袖から伸びる長い腕が本の群れを掻き分け、その中の一冊を探り当てる。
ギーナはしばらくページをめくり、ある部分で止めて卓上に乗せた。
「ほら、ここ」
促されるままに近づき、ギーナの指先の文字を追った。
「『持続性はなく、呪文を唱え続けることで○○状態を……』すみません、これはなんて読むんですか?」
「ああ、『発芽状態』ね。『唱え続けることで、発芽状態を保つことができる』……一年もずっとなんて無理があるわ」
『発芽状態』は恐らく、『呪いの"種"が成長し被術者に効力を発揮する状態』という意味だろう。
つまり本来"薔薇の棘"はあくまで一時的に被術者の動きを止めるために用いられる呪術であり、一年間継続してネスカにかかっている呪いが"薔薇の棘"であるとは考えにくいということになる。
「そうなると……複合呪術の可能性があるわね」
「『複合呪術』?」
「呪術も魔法と同じで詠唱が必要でしょう。でも魔法に比べて詠唱を組み合わせるのが簡単なのよ。呪術の詠唱は元が古代語だから、呪術者だけでなく考古学者や古語学者も詠唱のリメイクができるって訳」
「ええと……ということは『元々ある呪術を改造したオリジナルの可能性がある』ってことですか?」
「ま、そういうことね」
……これは一筋縄ではいかないやつじゃなかろうか。
怪しくなった雲行きに顔をしかめ、私は再びギーナの手元に視線を落とした。
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