第48話 仮説

「…………入って」


 扉の向こうから聞こえた少女の声は震えていた。


 そりゃそうか、一年近く人との接触を避けてきた訳だもんな。

 ましてや私は素性も分からないし、つかほぼ初対面だし、怯えられても仕方ない。


 それにしてはよく入れてくれる気になったな。

 もうちょっとかかるかと思ってたけど、たったの二日で絆されてくれた……というよりこの場合は母親への愛が強かったのか。


 勝手に解釈しながら慎重に扉を開ける。


「失礼いたします。改めまして、ハル・ソエジマと申します。お誕生日おめでとうございま……」


 視線を向けたその奥で、私は息を飲んだ。



 そこにいたのは、透き通るような青い髪を足元まで伸ばした華奢な令嬢だった。

 裾の長い上品な服の先から見え隠れする日に焼けていない白い肌はまるで陶器だ。

 床につくかつかないかというところで揺れる髪は絡まる素振りも見せず、同じ色に染められた瞳が私を映す。

 上目遣いにこちらを窺う少女は儚げで、どこか母親に似ていた。


 言葉を失ったまま立ち尽くす私を不審に思ったのか、少女は怪訝な表情を隠さずに一歩後ずさる。


「……ごめんなさい、あまりに綺麗だったものですから」


 慌てて開いた口から溢れた文言はお世辞にも格上のご令嬢相手に使うものではなかった。

 取り繕うにも無理がある。

 それ以上何も言えずに動揺する私を見て少女は黙っていたが、しばらくすると不意にその桃色の唇で言葉を紡いだ。


「……初めまして、タグルです…………とりあえず……どうぞ」


 それが中へと誘う意を示すことにようやく気づき、私は少女の後に続いて部屋の中に足を踏み入れた。






「ハル様! おかえりなさいませ」


 階段の下で待ち構えていたセシャナがこちらに気づいて声をかける。

 傾いた日の光が黒絨毯の敷かれた屋敷を染め、窓枠に縁取られた茜色の長方形が廊下に等間隔で並んでいた。


「あの、お嬢様は……」

「いい友達になれそう。明日も会いに行きたいわ」


 軽く写った口調に嘘がないことを察し、セシャナは笑顔で頷いた。



 結論から言うと、タグルは思った以上に協力的だった。

 母親とは実は血が繋がっていないこと、父親に疎まれていること、兄との仲もあまり良好ではないこと云々、家庭内のあれこれまで教えてくれたのである。


『こんなに話してくださって、大丈夫なんですか……? いや、こちらとしてはどんなことでも聞きたいところなのでありがたい限りなんですけど……』

『…………何が繋がってるか……分からない、から』


 彼女の口調は決して滑らかではなかった。

 それでも絞り出すように詳細まで述べてくれ、おかげで私はある仮説を立てることまでできている。



「……念のため、あの二人に相談しておこう。あと呪いについても気になることがあるから、ギーナさんのところにも行かなきゃ」


 ブツブツと呟きながら膝の前進を妨げる裾を大袈裟につまみ、宿泊する部屋までの道のりを歩く。

 付き従うセシャナに「一度マニセリルに行きたいんだけど……」とお伺いを立てると、ボルボに確認を取ることを快く了承してくれた。


 それからふと思い出して、口を開かずに言葉を紡ぐ。


『……ミヤ、起きてる?』

『起きてるよ。どしたの?』

『その格好でいてもお腹って空くもの?』

『そりゃあ空くよ! 僕もあったかいご飯食べたい……』

『じゃあセシャナにお夜食を作ってもらえるように頼んでみるよ。何かリクエストある?』

『えーとねー……あ、リバリがいい。お魚はなんでもいいけど、あるなら鱈で』


 リバリは包み焼きのことである。


『了解、聞いてみるね』


 念話を一旦止め、斜め後ろを同じペースで進むセシャナに歩きながら顔を向けた。


「……ねぇセシャナ、ちょっといい?」

「はい、なんでございましょう」

「お夜食を作ってもらいたいんだけど、お願いできるかな」

「お夜食でございますか?」


 キョトンと小首を傾げるセシャナ。


 これはそんな細身の小娘がどうしてそんなに食うんだよって顔だろう。

 想像に容易い。


「料理長に頼めば問題ないかと存じますが……何をご所望なのです?」


 本当は申し訳ないので自分で作りたいところだが、彼らは職人だ。

 無闇に仕事場に足を踏みいれようものなら命が危ないので、大人しく委ねることにする。


「鱈のリバリなんだけど……料理長の名前って確か、チガッサさん、だよね」

「はい、チガッサ・バリエニンでございます」

「今から調理室に寄っていってお願いすれば平気かな? あ、でももうそろそろ晩ご飯の支度をする時間だよね」

「そうですね。お急ぎでないのでしたら、お食事を済まされてからお訪ねになられた方がよろしいかと。……もしや、昼餉が足りませんでしたか」


 長々と話す私とタグルのために、途中セシャナが昼食を二人分運んでくれたのである。


 ちなみにお嬢様は朝ご飯も完食してくれましたよ、だいぶ冷めてたけど。


「そ、そういう訳じゃないよ? でも昨日の夜はちょっと足りなくてお腹空いちゃってね。最初からお夜食を用意しておけばそんなこともないだろうし、それに好きな時間に食べられるのも魅力的というか」


 必死の弁明も曲解されたらしく、驚愕の表情の裏で大食らいの肩書きをセシャナにつけられながら、私たちは廊下をテトテト歩き続けた。


 ……にしても廊下なっがいなおい。

 この長めの丈のスカートで歩くのもそろそろ疲れたぞ。


 そう軽く悪態をつき、気を取り直して念話を再開する。


『ミヤ、聞こえた? あとでチガッサさんにお願いしに行くから、もし忘れてたら声かけてくれる?』

『合点承知の助!』

『どこで覚えたのよそんな言葉……』

『ハルの記憶』

『当然のように答えなくていいから』


 プライバシーも何もあったもんじゃない。


 溜息を漏らしつつようやく辿り着いた自室のドアを開け、私とセシャナは夕餉までの時間をお喋りをして潰していた。

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