第47話 妹

「おはようございます、お嬢様。本日も良いお天気ですね」

「……………………」

「朝餉をお持ちしました」

「…………………………ルーシカは」

「無理を言って代わっていただきました。お嬢様とお話ししたかったものですから」


 戸の外から聞こえてくる、明るい声。

 その主であろう黒髪の娘は、昨日から暇さえあればタグルの元へとやってくる。

 今度は朝ご飯を持ってくる仕事を侍女から奪ってきたらしい。

 職務放棄だと叱ることもできず、タグルは聞こえないように嘆息した。


「……………………」

「中にお入れしましょうか?」

「…………………………いらない」


 不屈の精神でも持っているのか、ハルと名乗った娘は侍女たちに開かずの扉と呼ばれるドアの前に居座っていた。


 朝から気分が悪い。

 ただでさえ一年で一番嫌いな日なのに、彼女のせいで余計に気が滅入る。

 今回だけはお母様のお言葉に背いてしまうけれど、それも仕方のないことだと思って欲しい。

 ここまでしつこい人は初めてだ。

 おかげで食欲も減衰する。


「お嬢様は私と同い年だとか。それどころか、お誕生日まで! 驚きですよね」

「……………………」


 心底どうでもいい。

 頼むから、どうか放っておいてくれないだろうか。


 ……もしや兄のジャルガの元に嫁ぐのが嫌で、縁談自体をなんとかするために家族に取り入る作戦なのか?


 そう考えると延々と世間話を続ける娘を追い返すのも憚られ、気の毒そうな視線を声を漏らす扉の隙間に送った。





 しばらく一方通行のお喋りを垂れ流していた時だった。


「……お付き合いくださって、ありがとうございます」


 不意に若干の間が空いて、次に聞こえた少女の声のトーンは落ちていた。

 そのまま訪れる沈黙。


 タグルは何も言わずに、しかし扉の前から退くことはしなかった。


「私には妹がいたのですが」


 途中からくぐもった声は娘がその場に座り込んだことを示す。

 渋々冷たい床に腰を下ろし扉に背を預けてから、なぜ彼女に付き合ってやっているのかとぼんやり思った。


「……色々あって、三月みつき程前から会えなくなってしまいまして」


 少し砕けた彼女の言葉が石造りの壁に反響する。

 本来はフランクな話し方をする者なのだろう。


 詳しくは述べなかったが、娘は愛おしそうに妹の話を続けた。


「本日は妹の誕生日でもありましたから、貴女様に少しだけ妹を重ねてしまいました」

「……………………そう」


 ボソッと溢れた相槌は、他でもないタグル自身のものだった。

 しかし彼女はそれに気づくことなく、思考を巡らせ続ける。


 単に話を聞かせにきただけ?

 ただの世間話を?


 ひょっとしてこれで仲良くなるつもりだろうか。

 同情を誘うならもう少しマシなやり方をするべきだろうし、それ以前に義姉になるらしい人物に協力を仰がれたところで応じるつもりはさらさらない。


(貴女のことなんて、どうでもいいんだってば)


 冷たい想いは心の内に秘めたまま、タグルは沈黙を守り続けた。


「嬉しかったんです、話し相手になってくださる方がいて。だから、ご迷惑だったと思うけど……ありがとうございます」

「…………………」

「そろそろお暇いたしますね。私がいてはお召し上がりになれないでしょうし」

「………………」

「……もし何か、ネスカ様のことでご存知のことがあれば、お教えください。それでは」


(……………………え?)


 立ち上がって去り際に吐いた言葉に、タグルは勢いよく振り向いた。

 木製の扉の向こうで歩き出す少女。彼女は今……自分の母親ネスカのことを尋ねた。


「………………ねぇ」


 慌てて腰を上げて引き止め、掠れた声で呼びかける。


 長いこと人との会話を諦めていたからか、思うように喋れない。

 それでもタグルは途切れ途切れに言葉を紡いだ。


「…………貴女は……母様のことを知りたいの……?」

「っ!! はい、そうです! 私は今、お嬢様のお母様がかかっていらっしゃる呪いについて調べておりまして……」


 タグルの声に反応し、即座に駆け寄ってくる足音。

 息急き切って答える娘に再び問いかける。


「……どうして……?」

「……お母様の呪いを解くためです。数多あまたある中から解呪方法を探り当てるだけでなく、呪いにかかってしまわれた理由もはっきりさせなければ、今後同じようなことが起きてしまうやもしれません。この悲劇を二度と繰り返さないために……私は本当のことを知りたいのです」


 真剣な声色が響く。


 タグルはそれきり何も言わなくなった娘と扉を挟んでにらみ合っていた。


 彼女の言うことが本当だとすると……彼女は母を助けるためにここに立っているということだ。


 もしそれが叶うなら。


 一体何度そう願っただろう。

 無力な父が、兄が、医者たちが、そして自分が恨めしかった。



 胸元に揺れる青い髪を撫で、タグルは顔を上げた。


「……何を……話せばいい……?」

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