第46話 トーガとの再会
お堅い印象の(しかしなぜか目が輝いていた)侍女長ポランに軽く話を聞いたあと、私はセシャナに場所を教わってすぐさまシュカたちの元へと向かった。
黒絨毯の階段を駆け下り、早歩きで廊下を進む。
裾の長いスカートが膝の動きを妨げるが、後ろからついてくるセシャナは機能性重視のお仕着せで優雅に私に追いついていた。
二つあるうちの西側の応接室の扉の前に立つ。
少し息を整えてから、「シュカ、いる?」と声をかけた。
「入ってもいい?」
「うん、大丈夫だよ」
明るい返事が扉越しに返ってくる。
「失礼しまーす……」と小さく呟きながら、両開き戸の片側だけを押し開けた。
「やぁハル! 元気にしてた?」
大きな窓の外から差し込む逆光に眩しくて数度目を瞬くと、そこにいたのは相変わらず童顔の青年だった。
こちら向きに座り、布を取ったらしい彼の頭上には明るい萌黄色の髪が揺れている。
交わした視線の先で私を捉えたライトグリーンの瞳が緩やかな弧を描いた。
マニセリルに来てからまだ四日なのに、久々に会う友人との邂逅のように懐古の念に駆られた。
「勿論。トーガも元気そうで何よりだよ」
柔く微笑むと、腰掛けたソファーの上でトーガが嬉しそうに目を細めた。
彼の対面に座るシュカもこちらに体を捻り、指先で軽く頬を掻いて告げる。
「ゲレさん、家に着いたって」
「そう、それはよかっ…………え、ちょっと待って」
「ん?」
困惑を投げ渡す私を笑顔で窺うトーガ。
傾げた首の角度は10度ほどだった。
小悪魔か。
「……まさかと思うけど、ゲレが帰って来てから出発したの?」
「え、うん。そうだけど」
怪訝そうな表情を作り、トーガはシュカに視線を送る。
シュカも「何が問題なのか」と言わんばかりに肩を竦めた。
「いやいやいやいや、山小屋からマニセリルまで半日かかるんだよ!? ゲレがこっちを出たのは今朝なんだから、どんなに早くても着くのは昼過ぎでしょ!?」
「お昼ご飯はパールンだったよ。新鮮な野菜は久しぶりだったからね、美味しくて二杯もお代わりしちゃった」
『パールン』はイーリエシア王国南部の郷土料理で、小麦を練って指の爪サイズに丸めた『テテ』というマカロニのようなものを葉物野菜と鳥肉と共に茹でて作られる。
腹持ちもよく、何度かシュカのテテ作りを手伝ったことがあった。
「ていうか誰が料理してるの?」
「ああ、多分ゼンさんだよ」
失礼を承知で尋ねると、今度はシュカが答えを寄越す。
「え、ゼンって料理できるの!?」
「言ってなかった? あいつ元々料理人だよ」
トーガもなぜか自慢げに頷いた。
「それならゼンがいつも料理すればいいじゃない。なんでシュカが?」
「子供だった頃から皆には助けられてきたからね。狩りができなくても家事ができれば役に立てるかと思って、無理を言って料理当番を代わってもらってたんだ」
「ああ、そゆこと」
二、三度頷いて向かい合う二人のちょうど横にある椅子に歩み寄る。
「お邪魔します」と言いながら、私はフカフカのソファーその三に腰を下ろした。
付いてきたセシャナは沈黙したまま背後に立つ。
ちなみにシュカ付きの侍女も彼の斜め後ろに佇んでいた。
壁に同化している……というか壁だ。
「で、話を戻すけど」
トーガに視線を送る。
私とトーガを交互に見ながら、シュカも黙って耳を傾けた。
「ゲレが帰ってきて、お昼ご飯を食べてから向こうを出たんだよね? てことはトーガは二時間くらいでここにきたことになるんだけど?」
「まあそんなところかな」
トーガは曖昧に答えた。
「待って待って、どういうこと?」
「えーと」
ここでシュカが間に入った。
落ち着いて、と言うようにシュカの前にあった湯飲みを寄越す。
慌てて「あ、まだ口つけてないからね」と付け足してから、シュカは改めて口を開いた。
「トーガさんは……なんて言うか、めちゃくちゃ足が速いんだ」
「え、それにしても普通なら半日のところをたったの二時間って、ちょっと早すぎない?」
「あー、そこはほら、魔法だから。まああんまり気にしなくていいよ」
困ったように笑うトーガ。
シュカは一瞬固まって、その様子から私は察した。
彼らはきっと、私が彼らのことをあまり知りすぎるのは良くないと考えているのだろう。
部外者がズカズカと聞きにいっていい話ではなさそうだ。
私はそう判断を下し、話題を変えた。
「そういえば、トーガは何か用があってここに来たの? できることがあったら手伝うよ」
「や、用事というか……ゲレとどうせ親分が『クソ野郎の家なんかに泊まれるか!』って言って拒否するだろうなって話になってさ。ゲレ兄も疲れてるだろうし僕が行った方が早いからってことで、もう一つ部屋を借りられるようにお願いしたいんだけど……」
「それなら親分がもう伝えて…………あれ?」
そこまで言ってから、おかしなことに気づく。
トーガははっとして、それから両手で頭を抱えた。
「……あの人、こうなることを予想してたな!? どうせ僕が来るだろうって……そりゃ来るよ!! 来るけどさ!!」
とはいえ激昂はしていない。
ある種の諦めを含んだ嘆息を最後に、トーガはすぐに立ち直って手前の湯飲みに手を伸ばした。
シュカもなんとなく想定していたようで、驚愕というよりどこか諦観した笑みを浮かべている。
上向きになった童顔の顎の下で、冷めた茶が喉元を通り過ぎた。
トーガが続ける。
「まあ部屋が準備されてるのはありがたいことだよね。とりあえず差し当たっては僕はハルとシュカのお目付役って感じなんだけど、今日はこの後どうしたい? 手が必要なら手伝うし、なんでも言ってもらっていいよ」
「ありがとう。でも今できることはもうあらかたやっちゃったから大丈夫」
「そっか……何をしてたの?」
「聞き込みだよ。ここの人たちに話を聞いて回ってたの」
「……ああ、夫人のこと?」
右隣からシュカが尋ねた。
私も「そうそう」と首肯する。
「まだ話を聞けてないのは伯爵の息子のジャルガ様と、娘のタグル様の二人だけ。ジャルガ様はどこにいるか分からなくて、タグル様は……返事をしてもらえるまで通おうかなって」
苦笑で話を閉じる。
はっきり言って、彼女が私の言葉に何か返してくれるかどうかは微妙なところだ。
外が嫌で引き籠りになったのに、いきなり知らない人が来て『お母様のお話を聞かせてください』って言っても普通は警戒するだろう。
そればっかりは仕方がない。
一人考えに耽っていると、トーガが申し訳なさそうに口を開いた。
「ねぇハル……どうしてそこまでするの? そりゃあ契約に含まれてることだから、中途半端に触れるのはよくないのは分かるよ。でもさ、ここの人たちに義理があるって訳じゃないんでしょ? だったらなんで……」
「分かってる、私の我儘だってことくらい」
真剣な視線が目の前の黄檗の瞳を捉え、ゆっくりと灰青の目に移る。
視界の上の方で、白髪がサラサラと揺れた。
「……でもごめん。何もしないなんて無理なの」
二人から目を逸らし、どこか遠くを見つめた。
私が彼女を何もせずに見放すのは、あまりに無責任すぎる。
これが自分の我儘だと分かっていながら、私にはこの感情を止めることなどできなかった。
「聞いて欲しくないことなら、聞かないよ」
俯く私に、シュカが言った。
しばらく黙っていたが、絞り出すように「……そのうち話すね」と答えてその話はおしまいになった。
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