第45話 孤独なジャルガ
ツカツカと響く足音は荒々しく、しかし彼の心中は憤怒とは程遠いものだった。
端正と言える部類の顔の下の尖った顎に左手を当て、幼い頃に与えられた部屋の中を歩き回る。
誰もいない空間で彼は一人、よく回る頭を目一杯働かせていた。
「どうすれば……どうすればいいのだ」
広い机の上に積まれた資料の山々は様々な数値を示し、散らばった書類の文字がなす列は
あちこちにある走り書きや引かれた線が物語るのは、表面上には見えない試行錯誤。
彼は正真正銘の努力家だった。
幼い頃から将来を嘱望され、辺境伯の嫡男として恥じることのない人間であれと言われ続けた。
父親は父親ではなく、厳格な教官と言えば聞こえはいいかもしれないが、つまるところ一度才能がないと思われればそれまでである。
五年通った国立の貴族学校では金儲けしか考えていないマニセラン辺境伯の息子だと色眼鏡で見られ、友達らしき人もほとんどできなかった。
一昨年に卒業した時は、ようやく訪れた解放感に心の底から感謝したものだ。
どのみち伯爵家を継ぐしかない。
自由な選択肢など彼に残されてはいなかった。
認められて爵位を継ぐか、見限られて平民に落ちるか。
あの辺境の地にある北の貿易港マニセリルを治める者として、商才に恵まれていたのは彼にとって幸いであった。
そしてもう一つの幸運は、彼の母親がネスカだったことだ。
父親譲りの頑固な性格は生真面目さへと移行し、集中すると周りが見えなくなってしまう傾向にある。
おかげで彼には友人と呼べる友人がいなかった。
周囲を取り巻く環境は彼を毒したが、満たされない承認欲求はネスカによって何とか補われていた。
しかし彼女が目を覚まさなくなってからは己が己を鼓舞するしかなく、彼の自尊心は次第に高くなっていった。
せめて自分だけは自分を褒めてもいいはずだと、味方を見失った少年は結果として立派なナルシストへと成長したのである。
だが、昨日現れた黒髪の少女は彼を否定しなかった。
ガン見した上にあんなに見下した発言をしたにも関わらずだ。
少女はこちらを非難することもなく、淑やかにかつ凛としてそこに佇んでいた。
自分より高い位置に座る辺境伯の厳つい顔を前に、どうしてあんなにも堂々としていられるのか。
ジャルガは分からなかった。
自分にないものを持つ少女に、ただ惹かれた。
勿論異性に対する姿勢など何を手本にすればいいかもわからず、懸命に動かす脳味噌も納得のいく答えを出してくれない。
「……ハル殿」
その名前を口にするだけで、心が震えた。
こんな気持ちは初めてだ。
容姿なんてもうどうだってよかった。
あの大きな黒い瞳を緩めて笑う彼女を、どうすれば振り向かせることができるのだろう。
「しかしご婚約なさっている方がいるとなると……もうどうしようもないのだろうか」
無理矢理自分に言い聞かせて下唇を噛む。
まるで絵の中から飛び出してきたかのような黒髪の少女の笑顔を思い浮かべ、ジャルガはただ、暗い闇の中に落ちゆく心地がした。
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