第35話 薔薇の棘
「こちらでございます」
使用人に案内されて辿り着いたのは、昨日とは違い階段を目一杯上がったところにある小さな部屋だった。
恐らく外から見えたあの塔のうちの一つだろう、窓の外には広大な海と空が窺える。
照明を落とされた室内には陽の光が差し込み、空気の動かない部屋の中で私は時間の流れに取り残されたような気持ちになった。
部屋の中央の日差しの当たらないところに、誰かが横たわっている。
私は忍び足で天蓋付きの寝台に近づくと、ゆっくりと覗き込んだ。
そこにいたのは、美しい女性だった。
緩やかなウェーブを描いた金髪は豊かな胸元の辺りまで伸び、外国人女優のような整った白い顔立ちの中で、結ばれた紅い唇は薔薇の花弁を思わせる。
華奢な肩には細っそりとした腕が繋がり、腹の上で組まれた指は体温を失っているかのように青白い。
隣に立つ親分とシュカも、彼女を見て息を飲んだ。
外に控えていると言って、後ろの方で使用人が扉を閉める音が響く。
「……まるで人形だな」
「呼吸はしていないみたいですけど……」
私は「失礼します」と言って細い首元に手を当てた。氷のように冷たく、体温は感じられない。
しかし随分と遅くはあるものの、確実に脈はあった。
「……生きてはいるみたい」
足元にあった丸椅子に腰掛け、剥製のような顔に目をやる。
呼吸をしていないのに、生きている。
そんな病気は聞いたことがない。
私は頭を働かせた。
使用人によると夫人は1年近く全く目覚めていないらしいが、見たところ点滴も人工呼吸器もついていないのに一体どうやって生きながらえているのか、全くもって見当がつかない。
心臓が動いているということは、とりあえず元凶は脳か神経にあると考えていいだろう。
ミヤの時を思い出し、私は彼女の白い額に右の手のひらを乗せた。
バチッッ
突如、静電気のような感覚が指先を抜けた。
「………え……?」
……何が起こった?
脊髄反射で引っ込めた右手を確認するが、特になんともない。
様子がおかしいことに気づいたのか、シュカが声をかけた。
「ハル? 大丈夫……?」
「……今、何かが手を……」
「おい見ろ」
混乱する私の肩を軽く叩くと、親分は死んだように眠り続ける美女を顎で示した。
促されるままに視線を向ける。
そこには、彼女の頭部を覆うように、半透明な紫色のいばらの蔦が何本も生えていた。
「は………?」
「え、何これ!?」
私の反応にシュカも視線を向け、即座に素っ頓狂な声を上げる。
「恐らく魔力に反応する類の何かだな」
『親分ご名答! これは多分呪いだね』
ミヤの言葉が唐突に聞こえ、私は危うく叫びかけた。
この世界では、人々が医館と呼ばれる病院に向かう理由は地球のそれよりもかなり多い。
普通の病気や怪我だけでなく、魔法による麻痺や呪術による呪いなど、その種類は多岐に渡るのである。先ほど使用人に渡されたカルテらしきものをパラパラと捲ると、一番最後に『これまで何人ものお医者様や魔術師様に診察を依頼したのですが、その誰もが口を揃えてより良い先生に頼んで欲しいと仰いました』というメモ書きがしてあった。
思ったより重症だ。
彼女にかけられた呪いは進行するものでないとカルテにあるので安心できるにしても、多くの医者やら魔法使いやらが匙を投げているとなると……私にできることなんてなくないか?
同じく考え込んでいる親分を見上げ、私は口を開いた。
「ある魔法使いの診立てによると、"薔薇の棘"って呪いなんじゃないかって。でも誰に診てもらっても解く方法が見つからなかったらしくて……かなり強力なものみたい」
「呪い?」
シュカの言葉に首肯して続ける。
「魔力に反応するっていう見立ては正しいんだけど、正確には人間が恒常的に纏っている微量の魔力を感知して、宿主を防衛するようになってるって書いてある」
恐らくこれのせいで、呪いの種を探せなかったに違いない。
一年間だ。一年間も目が覚めない。
彼女の家族はあんなだから好きにはなれないけど、なんだかんだいって領民たちには人気がある。
契約を交わした時に「よろしく頼む」と言ったボルボの顔からは悪人顔はそのままだったが傲慢さが消え、悲しげな瞳が揺れていた。
彼が女好きなのは元からだが、派手に遊び始めたのは彼女が目覚めなくなってからだと後で侍女の一人が顔を伏せて言った。
息子のジャルガも目覚めない母親に対する不安を紛らわすかのようにキザったらしい態度をとるようになり、彼のたった一人の妹は塞ぎ込んで部屋に閉じこもってしまったのだと。
以前は仲のいい家族だった、と使用人たちは口々に溢して悔しそうに俯いた。
私は奥歯を噛み締め気を引き締め、横たわる伯爵夫人の死人のような顔を見つめた。
呪いとは、特定の相手の体内に魔法を仕込む、いわば毒やウイルスのようなものである。
その類別はかなり豊富で、治療法も様々だ。
例えば内側からじわじわと対象の生命力や魔力を奪っていく呪いには薬草が効果的だし、腕や脚、全身を動かなくさせる呪いにはその部位に魔法陣を描いたり魔法薬を飲んだりといった療法があったりする。
他にも体外から魔力を送り込んで回復力を高める方法などがあるが、厄介なのはその全てに効く対処法が存在しないということで、治療する側は半ば当てずっぽうで回復する方法を探るしかないのが現実である。
「……って、ゲレペディアが言ってた」
「ゲレペディア……?」
シュカの疑問を「なんでもない」と愛想笑いで誤魔化しつつ、私は再び口を開いた。
「呪いには"呪種"って呼ばれるものが体のどこかにある呪いと、どこにもない呪いがあるの。呪種がある場合はそれを破壊するか取り出すかすれば、宿主は解放される。今分かっていることは、『呪いは頭部を守っているということ』『1年間継続して呪われているということ』『進行性のない呪いだということ』……種がない呪いは継続的に魔力を使って呪いをかけなくちゃいけないから……客観的に考えて、多分彼女の呪いには種があるんだと思う。首元には触れたから、やっぱり弾かれた頭が怪しい。解呪方法もまだ見つかっていないことだし、しばらくマニセリルに滞在させて欲しいんだけど……」
「ちょっと待った!! ハル、お前まさか治すつもりか……!?」
動揺を滲ませて、親分が私の肩を掴んだ。
診察だけして帰るのだと思っていたらしく、かける言葉を口をパクパクさせながら探している。
彼にとってみれば、滞在する日にちは短い方がいいのだろう。
でも……治らないなんて辛いじゃないか。
一年間も眠ったままで、家族がバラバラになって。
まだ目覚める可能性があるなら、諦めるのはダメだ。
そこまで考えて、ふと母の顔が脳裏をよぎる。
……ああ、だからか。
道理で彼女を放っておけない訳だ。
自分の好きに生きるなら、彼女を救うのは私のため。
契約の一部として、今後も辺境伯によくしてもらうための材料として、そうやって心の中で自分に弁解してから私は結んでいた唇を解いた。
「……置いて帰ってくれていいわ。迷惑なのは分かってる。でも、この人を救いたいの。私にも何かできるなら……」
分かっている。
これは私の我儘だ。
彼らにとっては何の益もないし、何の義理もない。でもここで彼女を見捨ててしまうのは……。
話したこともない女に何故か重なったその面影が、心に根を張る。
しばらく沈黙が続いてから、親分の大きな手が不器用に再び私の肩に触れた。
「……しょうがねぇなぁ……」
パッと顔を上げると、そこには眉を寄せる親分と困ったように笑うシュカがいた。
「あのクソ領主に会うのは二度と遠慮したいが、俺の可愛い妹の頼みじゃあ行くしかねぇ」
「やっぱりハルはハルだね。……あ、親分、ハルが残るなら俺も残ります。一人にする訳にはいきません」
「誰が帰るって言った? 全員滞在延長だ馬鹿野郎。ユドの屋敷に泊めてもらえば宿代も浮くし、問題ねぇしな」
私の心を見透かしたように、親分が声だけ明るく言い放つ。
何か事情があるんだろう? そう視線で問いかける彼に、私も微笑みを返した。
「ごめん、我儘言って……。ありがとう」
それから今後のことについて簡単に話をし、私たち三人は了解を得に領主の元へと向かった。
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