第32話 アドリブです

 ………まずい。かなりまずい。



 状況は最悪だ。


 嫡男の正妻となれば、受け取れる財産は莫大だ。

 それだけでなく、伯爵夫人の権力は凄まじいものである。


 つまるところ、向こうは最大のカードを切ったのだ。


 本来であれば交渉のテーブルに着く前から相手の情報を元に、出されるであろう提案を考えて対策を練っておく必要があった。


 だがしかし、まさか国内でも有力な辺境伯が初対面の、それも素性も定かでない娘を自分の息子の正妻にしようと考えるなど、誰が思いつくだろうか。


 私たちは完全に、デカマッチョの欲深さを舐めていた。



 呼びつけられたジャルガが入室し、ボルボが息子に向かって尋ねる。


「ジャルガよ、そこな娘をお前の正妻として迎えようと思うが、どうだ?」

「ふむ……」


 父親と同じ視線を私にまとわせると、ジャルガはほくそ笑んだ。

 女好きって遺伝するんだなー……。


「……私に相応しき容姿、そしてあの髪の黒さ。素晴らしいです! 是非とも我が妻にしたい!」


 いいのかそれで。私は平民だぞ。

 

 ていうかそんな美人なの私?

 この国の人は美形が多いけど、こいつらまさかのブス専?


 そしてやはり髪色がモノを言うのか、ジャルガは私の胸まである黒髪をジロジロと眺めている。

 ……まじでキモい。



 どうする?

 一度持ちかけた契約は無利益と判断できなければ蹴ることができない。

 この状況下において、これ以上の攻撃材料はないに等しい。


 しかしここで折れるわけにはいかない。

 本音を言うと、あのナルシ野郎の嫁とか死んでも嫌だ。



 仕方ない。

 やるだけやってみよう。



 ジャルガの視線を全力で無視し、私は腹を括った。


「……いくつかよろしいでしょうか、マニセラン辺境伯様」

「なんだ」

「私の提案をお聞きになって、それからお決めになってはいただけませんか?」

「……その前に、理由を聞かせてもらおう。まさか次期辺境伯の嫁になるのが嫌だというわけではあるまい?」


「はっきり言って普通に嫌だわ」と叫びたい気持ちを無理やり抑え、私はにっこりと微笑んだ。

 なぜか鼻の下を伸ばすナルシ野郎が目の端に映る。


 これから私、あんたを振るんだけどな。


「勿論でございます。伯爵夫人という素晴らしい椅子を用意していただき、その上ジャルガ様のような見目麗しい方の妻になれるなど、それ以上の誉はありません」


 ここで軽くジャルガに笑いかける。

 演技は苦手だが、このくらいしておけば不敬には当たるまい。


「ですが私には、既に伴侶となる方が決まっております。ですので申し訳ありませんが、そのお話をお受けすることはできないのです」


 ぱっと見渡すと、がっつりアドリブで話し続ける私を、狩人たちはハラハラと見守っていた。


 皆、大丈夫だよ。

 これ真っ赤な嘘だから。


 澄まし顔でデカマッチョに向き直ると、頷いて首からペンダントを外し、黒い石の方を上にしてカーペットの上に優しく置く。

 何事かと集まった視線に顔を上げ、満面の笑みでもって対応した。


「どうせなので、彼をこの場に呼びましょうか」


 これはかなりの賭けだ。

 ぶっちゃけ、うまくいくか分からない。


 とりあえずこの場さえ凌げば、後はユドと連携をとってなんとかできるはずだ。


 私は立ち上がり、ペンダントに向けてパチンと指を鳴らした。



 その瞬間、黒い靄のようなものが足元のペンダントを覆い、あたかもずっとそこに立っていたかのように、一人の青年が姿を現した。

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