第30話 辺境伯邸へ行こう
港街マニセリルから馬車で北に20分ほどの場所に、その城はあった。
城というより砦に近い風貌は、無骨な石造りの塀に囲まれた背の低い箱がいくつも上へ上へと重なり、並んだ窓が大きく口を開けている。
中央にそびえ立つ二本の太い塔は天を突き、さながら肉食獣の牙のようであった。
夕陽の代わりに顔を出した月に煌々と照らされた城壁を、最も高い位置にある窓の内側から一瞥すると、男は手元の書簡に目を落とした。
『ボルボ・マニセラン殿』
真名を抜いた自分の名前の下につらつらと書き留められた上部だけの挨拶を読み飛ばし、三度目に行を改めて始まった段落で目を止める。
『さて、本日手紙をしたためましたのは、貴方様に内密にご相談させていただきたいことがあるからでございます。内容については、情報の漏洩を防ぐべきことと判断致しましたため、直接お伝えさせていただくことをお許しくださいますよう。
つきましては
黄朽葉色の髭を右手で撫で、男は不敵な笑みを浮かべた。
『マニセリル中央機関総裁 ユド・エフツ・カダラリユ』という名前で締めくくられた手紙はそれほど小さいものではなかったが、男の巨大な手の中では
筋肉で肥大した後ろ姿に、「どうなさったのです?」とさして気にしていないような女の声がかかると、男は窓に背を向けた。
「……お前は黙って俺に飼われていればいい」
言葉の冷淡さとは裏腹に、男の口角は片側だけ上がっていた。
月の光に反射する首の白い輪を目を細めて眺め、腰元まで垂れた長い燃えるような赤毛に目を移す。
その従順な女の顔は首輪と同化しそうなほどに白く、先程着るように命じた袖のない服が寒いのか、少し青ざめた唇はそれでも顔に紅をさしていた。
「
何のことかと左手を見ると、手紙はいつの間にかくしゃくしゃになっている。
「ああ」と一言言って、ボルボは高い鼻先をよれた手紙に押し付け、盛大に鼻をかんで丸めた。
翌朝、午前9時半。
一行はマニセラン辺境伯の城に到着した。
寒々とした城壁の内側から見上げると、奥には首が痛くなるような高さの二つの塔が立っている。
石造りの城壁は石垣の群れを思わせ、私は懐かしさの中に新鮮味を感じるという不思議な感覚を覚えた。
それにしてもセンスが悪い。
これでは城というより要塞みたいなものだ。
防御に全振りしたな、そうに違いない。
私が一人で頷いていると、すっとシュカが前に立った。
「……どうしたの?」
シュカの幅の狭い背中に訊ねて横から伺うと、灰色の壁に浮く
暗い黄色の髪を風に揺らし、恵まれた体格の上に乗った顔はどちらかというと整った部類であろう。
身長はシュカより高そうだ。
大方180前後といったところか。
偉そうに、というか本当に偉いのだろう、
……正直あまりあれに関わりたくない。
シュカの鼠色の羽織を軽く握ったまま苦手なタイプの男を睨む。
青年はコツコツと大袈裟に石畳の道をやってくると、3メートル手前でピタリと止まり、これまた大袈裟に頭を下げた。
「これはこれはユド総裁殿。お忙しい中、わざわざお越しいただきありがとうございます。……火急の用とのことでしたが、後ろのお客人たちがそうなのですか?」
「ご無沙汰しております、ジャルガ様。ご息災何よりにございます。こちらは我が友人、ロレッカと、その商売仲間たちです」
ジャルガと呼ばれた青年とユドの間でなんとも言えない不協和音が聞こえる気がして、私は顔をしかめた。
仲悪いんだなこれ。
ていうかあいつ絶対ナルシストだろ。
さっきからことあるごとに前髪を横に攫っていくのが
どこの世界にもいるんだな、こういう奴。
「……ご挨拶が遅れました、ロレッカ・ラムリネ・カントミナと申します。この度はお時間を割いていただきますこと、心より感謝申し上げます」
親分が適当に言葉を並べると、ゲレ、ルノイ、シュカは合わせて会釈した。
表面上の会話は続く。
「初めまして、マニセリル領領主、マニセラン辺境伯が長男、ジャルガ・マニセランでございます。どうぞよろしく。……それより」
ナルシスト野郎は左手で前髪をさっと撫でると、髭のない尖った顎を突き出して言った。
「差し支えなければ、ここから先はその被り物をお取りになっていただきたい」
眉を寄せる親分はどうやら辺境伯だけでなく、息子とも馬が合わないと判断したらしい。
ユドと一瞬顔を見合わせ、渋々布を解いた。
それに倣って他三人も布を取る。
ジャルガはシュカの白髪を見て、見下したように鼻で笑った。
羽織を握る私の手が強くなる。
「……そちらの方も、よろしいですか?」
フードの下から上目遣いで睨め付ける私に、ジャルガが声をかけた。
「失礼ですが、彼女は本日お伺いさせていただいた用件に深く関係いたします。ここはどうか、ご容赦ください」
そうきっぱりと言い放ったのは、目の前に壁のようにして立つシュカだった。
色無し、と下に見ていたシュカに堂々と返されたのが相当気に食わなかったのか、ジャルガは笑顔のまま青筋を立てている。
器用なことだ。
高飛車なナルシ野郎は気を取り直して口を開いた。
「……それは失礼。では、辺境伯の元にお連れします。どうぞこちらに……」
先導し始めたジャルガとその付き人に続き、一行は10メートルはありそうな扉の先へと足を進めた。
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