第26話 口論するなら他所でやれ

 廊下にまで響く爆笑がようやく治まり、ユドは涙を指先で拭いながら「いや、これは失礼」と謝罪を述べた。


「よく言われますから」


 この世界の人にだけだけど。


 ユドはやっとこさ真面目な表情を引き出すと、髭のない顎に手を当てた。


「成人済みとなると、そうだな……亡命してきたことにして、年齢も17で発行しておくのはどうだろう。この場合、亡命者証明書も別に作成しなければならないから、出身地を記載する必要があるんだけど……どうする?」

「くくっ……それならメックラコンリはどうだ」


 未だに引きずる笑いを抑えつつ、親分が提案する。


 メックラコンリ共和国はイーリエシアから陸続きのカジュニ連邦国を挟んで北方にある国で、間違いでなければ今現在内戦中だったはずだ。

 それなら亡命してくる人がいても不自然ではないだろう。


 それにしてもどの国も変な名前だ。

 おかげである意味、世界史より覚えやすい。


「なぜメックラコンリ共和国なんだい?」

「……俺がメックラコンリの出身なんで」


 親分ではなく、ルノイが声を上げた。


 え、そうなの?


「ガキの頃に、亡命船に乗せられてこっちに来たんです」


 そんなに長いこと内輪揉めしてるのか、メックラコンリ。

 ルノイは確か今20歳だったか?

 そうすると10年くらいドンパチやってることになる。仲悪すぎだろ。


 でもまあ確かに、ルノイがメックラコンリの人間だというのなら色々と辻褄合わせができる。

 親分がこの国を挙げたのはそれを考慮した結果だろう。


「分かった、メックラコンリ共和国からの亡命ということで手配しよう。証明書の記載事項は本人が書くことになっているんだが、ハル嬢、イーリェの文字は……」

「大丈夫だと思います」


 三ヶ月の間に、日常生活に困らない程度には勉強してある。

 自分の名前とその辺のことくらいなら楽勝だ。


 我ながら頑張った方だと思う。

 通信簿があったら意欲関心態度の欄はA判定をもらえるだろう。


「それじゃあこの用紙を埋めてくれ」


 ペンとインクと二枚の紙を受け取り、お礼を言って膝の先のテーブルに上半身を伏せた。

 隣に座るシュカが、間違いのないようにと一緒に見てくれている。


 ユドは親分に向き直ると、「それからもう一つ」と切り出した。


「ハル嬢の保護責任者はひとまず君になる。彼女を一度、辺境伯に会わせてみないか?」

「げ、あのドブ野郎かよ……お前俺があいつを苦手なの知ってんだろ? それにあの女癖の悪い業突く張りにハルの存在が知られたら、それこそ最悪だ。違うか?」


 辺境伯というと、この辺りを治める領主様ってところか。

 代々マニセラン家がその役を務めており、商魂逞しい人物であるが故に貿易の盛んなマニセリルでの人気は高いらしい。

 ただ、会話の内容によれば女の人にはだらしないようだ。

 私も許容範囲に入るとなると、かなりの物好きか、またはこの国の美人の基準が日本とずれているのだろうか。

 ストライクゾーン広いなおい。


 在住地域の欄をシュカに言われるまま『レナンの森』と書いて埋め、これでいいのかと心の中でツッコミを入れる。

 いや『森』って……ねぇ。


 頭上でユドが食い下がった。


「彼女の髪色はかなり珍しい。現に今まで彼女にフードを被るように指示していたのは君だ、そうだろう? 何か起きる前に、先手を打って『中央機関の保護下に入る』という旨を辺境伯に伝えておくべきだ。後から人づてに知られたら、それこそ面倒でしかない。それにあの人が後ろ盾になれば、ハル嬢は白昼堂々と美しい髪を隠さずに歩けるはずだ」

「それは分かる。分かるがな、いかんせんそんなに簡単にいくとも思えねぇ。世界にたった一人かもしれない黒髪の美少女がその綺麗な髪を隠すことなく街中を闊歩してみろ。どんなにこの街の警備がちゃんとしててもな、悪い奴はいるんだ。網の目を掻い潜ってハルを捕まえにくるに違いねぇ。だったらわざわざ人目に晒すことはねぇし、それならあのドブ野郎に会いに行く必要もねぇ。何より一番危険なのはあの女好きだしな」


 七人の兄たちといいユドといい、人を褒めるのに遠慮も躊躇もないのはやはり国民性なのだろうか。

 容姿に関して持ち上げられることに慣れていないせいか、ペンの動く速度がガクンと落ちた。

 この状況になんとも思っていないであろうシュカの視線が心なしか痛い。


 めちゃくちゃ恥ずかしいんだって!

 頼むから察して!


「ハル嬢がそれでいいと言うなら、別に敢えて人目に晒せとは言わない。けど、いずれは彼女の存在は辺境伯の耳に入る。絶対にだ。それなら早いうちから手を打った方がいい。後から知られてみろ、それこそ妾の一人にするから身柄を寄越せなんて言われかねない。先にこちらから交渉して、ハル嬢に何かあった場合は全面的に協力するよう求めるのが最良なはずだ」

「俺はあいつと喋るのはごめんだ。死んでも遠慮したい」

「勿論私も同行しよう。生憎今日は立て込んでいて厳しいが、明日のこの時間なら問題はない。もしよかったら、今夜は我が家に泊まっていかないか。盛大にもてなさせてもらうよ。ああ、先日手に入れた舶来の果実酒でも開けよう」

「……そう言うんならしょうがねぇ」


 ユドの説得に、というより餌として出された輸入品の酒に負け、親分は明日の辺境伯邸訪問を承諾した。


 ジルがいたら諸手を挙げて喜んでいたことだろう。

 山小屋では長く保つ安酒しか飲めない。


「決まりだね。日暮れ頃にまた職員入り口に来てくれ。それまでは君も用があるだろうから、そっちを済ませておいでよ」

「おう、そうさせてもらう」


 親分が頷いて膝をピシャリと叩いた。部屋に響いたその音に、一瞬ビクッと肩をすくめる。


 2枚目の一番下の欄まで文字を並べたところで顔を上げてシュカを見ると、シュカはにっこりと微笑んで、「さすがハル」と言ってやっぱり褒めた。


 結構間違いを指摘されたけどね。

『メックラコンリ』とか初めて書いたし。


「ハル嬢、そろそろ書けたかい?」


 いいタイミングでユドから声がかかり、「お願いします」と書類を差し出す。


 小声で感謝すると、シュカは照れ臭そうに頬を掻いて笑った。

 首の傾きに合わせて、柔らかそうな白い髪が揺れる。


 ちなみに机を挟んで反対側に座るゲレは深い藍色、その隣の親分は鮮やかな緋色だ。

 ドアの横に立ったまま壁にもたれるルノイは、布を巻いていたせいで癖のついた濃い紫の髪を頭のてっぺんから撫で付けている。


 カラフル過ぎて目がチカチカする。

 ここは少年漫画か。


 一通り確認し終えたらしいユドの「君は見た目だけでなく字も綺麗だね」という軽口を愛想笑いで受け流し、私は尋ねた。


「私に何かあったら助けてもらうよう辺境伯にお願いする、ってことで合ってますか?」

「うん、そうだね。まあ正確には、基本的に君がこの地にいる間は街にいる兵士が君を守るという形になるだろう。勿論大々的に護衛をつける訳にはいかないから、見張りを増やしたり要所要所の警備を強化したりしかできない。それも手配するのに数十日はかかる。ということは――――恐らく次に君がマニセリルを訪れる頃から実現するだろう。それでもし万が一君に何かあった時……例えば人攫いや奴隷商人に攫われてしまったとして、そういう時には中央機関と領主陣営が総力を挙げて君を助ける。そうならないようにするつもりではいるけれどね」


 まるでどこかの国のお姫様がお忍びで遊びに来たかのような計らいに面食らう。


 私ごときにVIP待遇とか申し訳なさすぎるんだが。


 黒に近い方が魔力量は多い。

 これはこの世界の常識だ。

 当然人々は私の髪を見て「あの娘はとてつもない量の魔力を持っているに違いない」と考えるだろう。

 中には私を誘拐して悪用しようとする輩もいるかもしれない。


 そこまでは理解できる。


 でもさ、実際は魔力持ってないから。

 どう考えてもそんな大層な警備は割に合わなくないか?


 疑問はもやになって脳裏を覆う。

 しかし私は生唾を飲んだ。


 このことはユドには言えない。

 昨日ギーナの店を出た後、親分に「自分の魔力のことは誰にも言うな」と釘を刺されている。


 しかめっ面の思案顔を心配の表情ととったのか、シュカが私に向かって「大丈夫」と柔く笑んだ。

 その笑顔に少し癒され、私はなんとか頷いて、軽く息を吐いた。

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