第22話 臆病な少女

 呆然とした顔でそこに立ち尽くしていたのは、背の低い少女だった。


 従業員の制服に身を包み、肩につくくらいの淡い桜色の髪は、痩せた丸顔の中央で左右に分けられている。

 肉付きは悪く、袖口から伸びる白い腕はいとも容易く折れそうだ。


 驚愕とも恐怖ともとれるような表情を浮かべ、彼女は私を見つめて思わず溢した。


「………………く、黒……!?」


 …………髪を、見られた。


 どうする……どうすればいい?

 親分たちに助けを求めることはできないし、なんとか誤魔化してこの場をやり過ごすか?

 いやしかしそれはあまり現実的ではない。

 こうなることなら、せめて何かしらの対応策を練っておくべきだったか……。

 というかちゃんと警戒していればこんな事態を招くことはなかったのでは?


 混乱する頭は私の体の動きを止め、私と少女はしばらくの間、ピクリともせずに顔を見合わせていた。


 辺りはまだ静まり返っている。


 焦りと不安で頭が真っ白になった。

 もしこのまま、ここにいる人たちに私が黒だということがバレたら?

 職質みたいなのを受けたとしても、自分には戸籍がない。

 下手したら牢屋に入れられてしまうかもしれないし、最悪奴隷にされて売り飛ばされるかも……。


 マイナスの方向に考え始める大脳皮質を叱咤して、私はゴクリと唾を飲み込んだ。


 できるだけ早く、この状況をなんとかしなければ。

 他に人が来る前に。


 私は意を決して、口を開いた。


「あのー……」


 低めの、極力刺激しないような声を発したつもりだ。

 が、ドアを開けた状態のまま固まっていた少女はビクッと肩を震わせた。

 私がなおも声をかけようとすると、桜色の少女の方が先に唇を動かした。


「ご、ごめんなさ……」

「……え?」

「すみませんでした……っ!」


 そう言うと少女は、ぎゅっと目を瞑って思い切り頭を下げた。


「ちょ、ちょっと……?」

「お許しください! ただ掃除をしに参っただけなのです……まさかこんな早朝にお客様などいるまいとお声をかけることもせずに戸を開けてしまうなど。一体なんとお詫びすればよいか……!」


 困惑を隠せずに私が尋ねると、少女は顔を伏せたまま早口で謝罪を述べた。

 怯えているのか、前掛けを両手で握りしめている。


「え、待って待って。そんな気にすることじゃないし。謝られることでも……」


 慌てて首を横に振ると、桜色の後頭部は低い位置を保ったまま床に向かって叫んだ。


「い、いえ……! そのような黒い御髪をお持ちの方に対して無礼極まりない……本当に、本当に申し訳ありませんでした……ッ」


 涙声になりながら絞り出された言葉に、何も答えられない。


 何をどうして彼女がこのような反応をしているのかは全くもって不明。

 しかしこのまま時間が経って誰か別の人がここへ来たら、かなり面倒なことになるだろう。

 かといって口止めをせずに彼女を追いやるのはちょっと怖い。


 仕方ない。


 私はフードを被り、麻袋を右肩に掛けて少女の元へツカツカと歩み寄った。

 優しく「ついて来てくれる?」と声をかけ廊下に出ると、少女は顔を青くして私に従う。

 念のためドアを開けたところで周囲を見渡し誰もいないことを確認してから、私たちは歩き始めた。


 カウンター横にある階段に向かうとどうやら奥の扉はスタッフオンリーらしく、その中で何人かが動く音がする。

 ブーツの踵を鳴らさないように慎重に階段を上り、廊下の突き当たりから二番目の部屋に向かった。


「入って」


 扉の内側から手招くと、私より頭一個分背の低い少女は絶望を顔に貼り付け、小さな声で「し、失礼します……」と言って足を踏み入れた。




「とりあえず座って」


 自分は寝台に腰掛け、右手で椅子を勧める。

 ちゃんと自然に人差し指と中指を揃えて二本で示せたので、なんとなく安堵する。


 何故か少女は頑なに遠慮して、地面にM字に脚を曲げて座った。


 後で分かったことだが、これは目上の人に対する女性の正式な座り方なのだそうだ。思わず眉を寄せてしまったのはこの際無視してほしい。


「あなたにお願いしたいことがあるの」

「は、はい」


 私が言うと、桜色の少女は伸びていた背筋をさらに伸ばした。


「……この髪のこと、誰にも言わないでくれないかな」

「かしこまりましたっ」


 少女は即答した。


 そこまで怯えられると、お姉さん傷つくんだけどなー……。


「それから、あなたの名前を教えて?」


 私が精一杯笑顔を心がけて言うと、少女は上目遣いにおずおずと私を見つめた。


 フードのせいで顔が暗くて見えないか?


 私は右手でフードを後ろに払い、ふと思いついて少女の前に正座すると、改めて微笑を浮かべてみる。


「……ぴ、ピノと言います」

「ピノちゃん! 可愛い名前だね」


 チョコレートでコーティングされたアイスを思い出し、甘い物が食べたくなったのは気にしないでおこう。

 今は甘味より目の前の少女と向き合う方が大事だ。


「私はハル。よろしくね!」


 努めて明るく言って右手を差し出すと、ピノと名乗った少女はキョトンとして、私の顔と右の手を見比べた。


 少し考えて、握手という習慣が存在しないのかもしれないということに気づく。

 膝の上に並んだ片方の握り拳をそっと取り上げて、私は握手をした。

 警戒が解れてきたのか、ピノは私の手を軽く握り返してくれた。


「…よ、宜しくお願い致します」


 私はうんうんと頷きながら、ピノを見つめた。


 こういう時に有利なのは、北風より太陽だ。

 ここで仲良くなっておいて損はない。

 損得で友人を選ぶ訳ではないが、平穏な生活のためだ。

 平和イズベスト。

 友達ができ、日常も守れて一石二鳥、ということにしておこう。


 痺れ始めた脚を無理やり立たせ、私は再び寝台に腰を下ろした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る