第9話 ユニ

「……………え?」


 振り向いた先に立っていたのは、白髪の少年だった。

 真剣な眼差しで私を見つめる瞳の灰青は薄く、透き通るような白肌と髪色はほとんど同化している。

 風に揺れる儚げな白髪はあまりにも幻想的で、私は思わず言葉を失った。



 森はざわめき、雲は足早に過ぎ去っていく。

 時折瞬く二人の間に能動はない。

 ただ風が髪を撫で、裾を浮かせるだけだ。






 どれくらいの時間が経ったのだろう。


 先に口を開いたのは、私だった。


「……………………綺麗」


 ぽつりと、それだけ呟く。

 月光を思わせるその美しさは、まるで一枚の絵を見ているかのようだ。


 見開かれた目の奥に驚愕を覗かせ、シュカは呆然と固まった。


 え、何。

 なんかまずいこと言った……?


「……いや、綺麗な髪だなって! 習慣さえなければ、全然隠す必要なんてないのにね。あ、はいこれ。使って」


 バツの悪さを笑顔で覆い隠しながら、再び右手を差し出す。

 シュカは私の手の中の手拭いを思い出したように受け取ると、代わりに自分の持っていた、煤のついた布を寄越した。


「……あ、ありがと」

「いえいえ、どういたしまして」


 そのままぽいっと足元に布を放り投げ、水の中に沈めて他の洗濯物共々両足で踏み均す。


 ふと顔を上げると、何やらぼーっとしているシュカが目に入った。


「シュカ? 大丈夫?」

「え……ああ、ごめん。大丈夫」


 小首を傾げる私に形だけ「大丈夫」と言いつつも、シュカは私に探るような視線を向けている。


 やっぱり触れない方がよかったのだろうか。


 あんまりいないもんな、若い頃から髪真っ白の人なんて。

 外見のせいで苦労してきたなら、余計に触れて欲しくなかったのかも知れない。


 そう考えはするものの、発言の内容に訂正はしない。

 嘘は言ってないし。


「もう行って平気だよ。後はやっとくから」


 何事もなかったかのように微笑みかける私に、シュカは何かを考え込み始めた。

 反応が得られず、作業を再開できる空気でもない。


 灰青の瞳は迷いを示し、垂れ流された沈黙は切り開かれた草原に吹き渡る風が潰していく。

 太陽は未だに少しの角度を保ったままで、麗らかな日の中で足だけがやけに冷たかった。






「…………人間の多くは、魔力を魔力のまま保有することができる」


 唐突に、シュカが言った。


「全ての生物は、体内の魔力を生命力に変換して生きている。けど一部の人間や動物は、進化の過程で魔力の一部を生命力に変えずに体内に留めておけるようになった」


 淡々と彼は話し続けた。

 噛んで含めるようなその言葉に淀みはなく、押し殺された感情はむしろその裏に閉じ込めた心の輪郭を描いている。


 私は何も言わずに、ただ耳を傾けた。


「魔力の留置ができる人間。彼らは『有色人種』と呼ばれ、次第に数を増やし、現在この国の有色人種は国内人口のおよそ六分の五程度に上ると言われている」


 ふと見ると、シュカの握り拳には血管が浮き出ていた。

 重なる視線の先で表情を変えない彼の瞳が、ゆらりと揺れた気がする。


「有色人種は増えた。今じゃほとんどが有色だ。……でも、取り入れた魔力の全てを生命力に変換するような身体の仕組みを持つ人々も当然いる。色のない人種が存在を消した訳じゃないんだ。無色人種だけで構成されている民族もいるし、起こるはずの魔力保有量の遺伝がごく稀に、起こらない場合もある。彼らの蔑称は"ユニ"。各地で差別されたり迫害を受けたりして、その多くは捕まって奴隷に流される。見分け方は簡単だ。だって……」


 シュカは言葉を切った。


 ……………………まさか。


 ハッと息を飲む私に気づき、悲しそうに目を細めるシュカの口角は柔く上がっていた。


「……『色』って、目や髪の色のことだから。体内の魔力は色素として体外に現れるんだ。だから魔力保有量がどのくらいなのかは、簡単に見分けがつく」


 もう遅いと分かっていながら、開けっ放しの口を手で押さえる。

 水に触れていたせいで、顔に当てた左手は熱を失っていた。


「この家で色がないの、俺だけなんだ。皆気を使って、同じように布を巻いてくれてる」


「やっぱり知らなかったんだね」と苦笑するシュカの笑顔は薄い。


 考えてみれば、確かに皆どこかシュカを気にしていたように思える。

 誰も頭の布を取ったところを見たことはないし、眉毛が隠れるか隠れないかくらいのところまで巻いた布はいつだってきつく縛られていた。

 魔法を使わないのは使えないシュカに遠慮しているから、「合わせなくていいよ」という彼の言葉は私が彼をおもんぱかっていると思われたから。

 シュカ以外が私に髪を隠すように言ったのは、シュカに私の髪をあまり見せたくなかったからだとすれば……全て辻褄が合う。


「……誰も言わなかったのか。色のことも、俺のことも……」


 握り締めた指を解いてくしゃりと髪を撫で、シュカは何かを悔しがるような、それでいて喜ぶような、複雑な顔のまま俯いた。

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