第8話 厄介者の気持ち

「それで。何か用だった?」


 シュカにそう尋ねながら両足で金盥かなだらいをかき混ぜ、底の方にあった鼠色のマントを白いつま先で見える場所まで引っ張り上げる。


 中身を満遍なく踏むべく中身の上下をひっくり返してから、私はふと気づいてフードを被った。

 2日目の夜に彼らにできる限り髪を隠すようにと伝えられたためだ。

 親分にフード付きのマントをもらってから、私は基本的にそれを羽織ったまま生活している。

 もっとも家事をする際にはかなり邪魔になるので、一人の時はそれを確認した上でフードをとっているが。


 シュカは私を見て何故か申し訳なさそうに笑うと、口を開いた。


「……洗濯物干すの、手伝おうと思って」

「あー……ありがとう、でも大丈夫。早く一人でできるようになりたいし」


 そう言いながら再び足踏みを始める。

 暑いのでマントを脱ぎたいところだが、なんとか堪えてフードの奥でシュカに笑いかけた。

 この状況下において辛そうにするべきではない、という判断は私の直感でしかないか、あながち間違いだとも思えない。


「そっか」


 少し間を開けて、シュカの呟くような声が聞こえる。

 そこに寂しさが滲んでいるような気がして、私は喉の奥で唾を飲み込んだ。



 勘違いしてはいけない。


 私はここに『置いてもらっている』身だ。

 いくら彼らが親切だったとしても、彼らにとって何かしらの利用価値がなければこんなに長い期間居候を許してくれるはずはない。

 もし本当に彼らが優しさだけのために私を住まわせてくれているのだとしたら、それこそその恩を絶対に返さねばなるまい。

 たった一人でこの世界に迷い込んだ私を助けてくれたのは、他ならぬ七人の狩人たちなのだから。


 結論、私は彼らの役に立つべきである。

 …………いや、役に立たなければならない。

 そうでなければ、彼らにとって私はただの厄介者でしかないのだ。

 利用するために助けてくれたのだとしても、恩を仇で返す訳にはいかない。


 ここを追い出されてしまえば、私は生きる術を失ってしまう。


 しかし逆に言えば、もっとも優先すべきは彼らの利益となることだ。

 なんて単純明快なのだろう。


 マイナスに傾く思考は私にとって、決意を固めるためのものでしかない。

 ネガティブはよくないが、ポジティブすぎて頭の中がお花畑なのも考えものである。


 今回の場合は『私が彼らの恩を倍返しすればいい』と読み取ればいいだけのことだ。

『甘えていい』立場にはないということさえ理解していれば、この世界で生きるために必要なことを吸収しながら生活していくには支障はないはずである。

 彼らに対して申し訳ないと思うなら、せめて自分にできることを誠心誠意こなすべきだ。罪悪感や卑屈感にさいなまれている暇などない。



 あの日、異世界への予期せぬ訪問をもって私の一度目の人生は終わりを告げた。


 しかし、まだそこに続きがあるなら(本来なら考えられないような事態が起きているこの状況を『二度目の人生』という言葉で片付けられるかどうかはさておき)死に抗ってみても悪くはないだろう、と視界の端に映る色白の少年を上目遣いに窺う。


 自身の捻くれた思考が17年しか生きていない少女のそれとは明らかに言い難いことに今更ながら呆れながら、彼の灰青の瞳が疑問符を示すに十分な自嘲の笑みを浮かべた。


「なんでもないよ。気にしないで」


 片方ずつ足に体重をかけながら、いつものように明るく笑ってのける。


 彼らにはまだ、恩を返すことができるのだ。

 これがたとえ自分の曲解であっても、報いようとすることそのものが間違っている訳ではないはずだ。


 私は心の中でそうひとりごちた。




 ふと、シュカの頭の布に視線が吸い込まれる。

 原因はそのたるみ具合で、そのまましばらく家事をこなし続ければ10分もしないうちに解けるであろうことが簡単に見てとれた。

 ついでに言えば、布で覆われた側頭部は煤がついて黒くなっている。


 どうせなら一緒くたにして洗ってしまった方が手っ取り早い。


 なぜか何も言わずに突っ立って私を眺めているシュカに、足踏みを止めて声をかけた。


「ここんとこ、煤で汚れてるよ。まとめて洗っとくから、私に頂戴」


 二本の指を揃えて右耳の上を示し、その手をシュカに向けて差し出す。

 シュカはキョトンとした表情を隠そうともせずに、一瞬の逡巡をもって私の言葉を飲み込んだ。


「……え? あ、これ?……いいよ、後で洗っとく」

「そのくらい、ついでだからいいよ。それにもう一回洗濯するにも水が勿体無いし」


 日本で習慣的に心がけていた節水をこの場で引き合いに出してしまったことに若干後悔したが、節約するに越したことはないだろうと思い直し、私は目で「早く渡せ」とシュカに訴えた。


 こういう時には元の世界で培ったオバちゃん精神が役に立つ。

 老婆心だということを十分に理解しながらも、押し付けていくあの会話術はある種の能力と言って差し支えあるまい。


 しかしシュカは困惑を顔に浮かべて頬を掻いた。

 その様子に『髪は隠すものだ』と教えられたことをようやく思い出し、すぐに「しまった」と口には出さずに呟いた。


「あー…ごめん、髪を見せるのは良くないんだよね。後ろ向いてるから、その間に盥の中に放り込んでもらっていい?」

「………………………分かった」


 渋々、というよりどこか覚悟を決めたようにシュカは頷く。

 怪訝に思いながらも笑顔で身体の正面を反転させて森の方を向き、彼が布を盥に落とすのを待った。


「……もう大丈夫? この手拭いまだ使ってないから、これ使っていいよ」


 腰紐に挟んでいた布を、顔を向けずに手だけで差し出す。

 ヒラヒラと軽く右手ごと布を振りシュカが受け取るのを待っていたが、彼はうんともすんとも言わなかった。


「………………シュカ?」


 え、まさかもういないとか?

 タチの悪い悪戯はやめてほしい。


 爽やかな風が再びフードを飛ばしかけるので左手で押さえつつ、私は一応「そっち向くよ?」と声をかけてゆっくりと振り向いた。

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