第7話 シュカとスカート
ゲレに魔法を学び始めて、十数日が経った。
私は相変わらず魔法など使えなかったが、家事スキルは割と上がったと思う。
とうとう仕事を任せてもらえるまでになったのだ。
まあ、洗濯だけだけど。
朝食を済ませて片付けを手伝い、洗濯物が山積みになった三つの籠を順番に外に持って行く。
それを大きめの
洗剤のようなものらしい。
乾燥させた薬草が含まれているとのことだが、どうしてもヤバい薬が連想されてしまうのは私のせいだろうか。
靴を脱ぎ、軽く水で濯いだ両足を浸した洗濯物の上に片方ずつ乗せて体重をかける。
量が多いのでなかなか洗えている気がしないが、少しずつ水の透明度が落ちてきたようにも感じられた。多分これで正解なのだろう。
しかしこれは……疲れる。
一体何世代前の洗濯だ。
洗濯板でないだけマシだが、これもこれでかなりの重労働である。
何か別なことを考えながら黙々と作業すべきだと判断し、私はバシャバシャと足を動かしたまま遠くの山々に目を向けた。
ぼんやりと緑を眺めているとふと、あの日の彼女の顔が脳裏に鮮明に浮かび上がった。
絶望に等しい驚愕に凍りついた顔は蒼白で、らしくないその表情に私は少しばかり驚いてしまった。
……まあ当然といえば当然か。目の前で人が死ぬんだから。
もう二度と会えない少女にただ元気でいてほしいと、そう願うばかりだ。
「……そういえばまだ提出してないプリントがあったような……締め切り間近なものはなかったはずだけど、鞄の中に全部入れてたからなぁ。誰か見つけてくれてるといいんだけど」
盥の中身を軽くかき混ぜ、再び足踏みを始める。
水飛沫が光の粒となって草の上に撥ねると、爽やかな風が吹いて
この世界は、魔力に覆われている。
魔力は大地の底から流れていて、長い時間をかけて大陸を動かしたり、海や空気中に溶けて気候を安定させたりする。
詳しいことは分からないが、どうやら酸素や放射性物質に近いのか、魔力は基本的にどこにでもあるらしい。
そして、太陽にも役割がある。
それは、生き物たちが空気中や食べ物から享受するなどした魔力を、生命力に変えることだ。
呼吸や食事によって得た生命力を基にして、全ての生き物は生きているのだという。
進化を遂げる中で体内の魔力保有量を増やした人類は、その器の大きさを遺伝させ、全ての魔力を生命力に変えなくても生存が可能になった。
そうして彼らが習得したのが、『魔法』である。
「……てことは酸素と水と栄養素で生きている私が魔法を使えないのは必然じゃない? 親分の言い方からすると使えなくても生きていけるみたいだから別にいいけど」
そう独りごちてはみるが、せっかく魔法のある世界に来たのなら使ってみたかった、というのが本音だ。
いや悔しいでしょ、普通に。
一度でいいから魔法使ってみたかった。
試しに人差し指を下に向け、頭の中で蛇口をイメージする。
ここなら落ちた水は盥の中に還元されるだけだし、問題はあるまい。
「"
案の定、指先は全く湿らなかった。
「やっぱ無理かー…」
項垂れる私を嘲笑うかのように、空高くで鳥の鳴き声が響く。
見上げるとそこには、一羽の白い鳥が優雅に天を舞っていた。
「…白鷺…?」
鳥の名前など知らないが、ふと口をついて出る。
どこか懐かしいその光景に、私は金盥の中に立ち尽くした。
あの鳥、確かどこかで…………
「ハル?」
不意にかけられた声の主を振り返ると、そこにいたのはシュカだった。
「大丈夫?何かあった?」
「ごめん、ちょっとぼーっとしてた」
心配そうに首を傾げるシュカに慌てて弁明する。
私は止まっていた足を再び持ち上げて、水音を立てながら洗濯物を踏み慣らし始めた。
「疲れたら休んでいいからね」
「ありがと、でも大丈夫」
「そう?ならいいんだ」
家の中がひと段落ついて私の進捗状況を見に来てくれたのだろう。
「もうちょっとかな」と金盥を覗き込むシュカだったが、一瞬の変な間の後にパッと顔を不自然に背ける。
ええと。何かしたっけ?
足を動かしつつ視線を下ろす。
………………脚、か?
一歩ごとに翻るスカートのような民族衣装は一番長い部分が膝下丈なので、そこまでビショビショになる可能性は高くない。
面倒なのでそのままにして作業を続けているのだが、一番短いところは太もも辺りまでしかないのだ。
膝の曲げ伸ばしのせいで、はたから見ると人前ではあまり褒められない格好だろう。
「……今度動きやすい服をトーガさんにお願いしようか」
明後日の方向を眺めながら、シュカが言った。
「ピュアか」と思わず突っ込みたくなったが、少し考えてから口を噤む。
彼は長いこと、親分の言う通りなら五年の間ずっと、あの男だらけの山小屋で暮らしているのだ。
憶測に過ぎないが、思春期が始まる頃には既にああした生活が始まっていたのではなかろうか。
自然に人を褒めるのも、私との距離感がおかしいのも、ひょっとするとそれが原因なのだろう。
たまにぎこちなくなるのは私があまり接してこなかった異性であるという点を瞬間的に意識してしまうせいだと考えれば辻褄が合う。
私は何とも思っていない風を装い、柔く笑んだ。
「そうだね、そうしよう」
緩やかに流れる雲の下で、足元から漂う薬草の匂いが私たちを包んでいた。
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