第6話 ゲレの授業

 風が冷たくなってきた。

 新しいブーツで森に囲まれたひらけた庭を全力で駆けるが、寒さに肩が震える。


 急いで飛ばされた洗濯物を拾い集めると、私は暮れかけた日に踵を返して7人の狩人たちが待つ山小屋へと向かった。





 蝶番の軋むドアを開けると、中は暖かかった。

 奥の台所に立つシュカの元へ行くと、彼は木ベラとスプーンを足して二で割ったような調理器具を片手に申し訳なさそうに頬を掻いた。


「ハルごめん、ありがとう」

「いいのいいの。気にしないで」


 私もつられて頬を掻く。


 少し前に取り込んだ他の洗濯物も一緒に畳もうと振り返ると、大きな肘掛け椅子にもたれて本を読む親分と目が合った。


「お前、随分とシュカに懐いたな」


 年に似合わない椅子や表紙の褪せた本が笑うと余計に似合わなくて、年の離れた兄がいたらこんなものだろうかと私は思った。


「シュカは歳も近いですし……知らないことをたくさん知っているので、話していて楽しいんです」

「そりゃあよかった。敬語も取れて名前も呼び捨てとは、仲良くなるのが早ぇなぁ」


 そう言っておどける親分に相槌を打ち、その後も会話を弾ませながら山の上から乾いた洗濯物を椅子に腰掛けた膝の上で畳んで右側に二つ目の山を作り始める。


 ……そういえば、彼らが魔法を使っているところは見たことがない。彼らは『使えない人』の部類に入るのだろうか。

 魔法が使えるならきっと便利だろうから、ちょっとしたことにも使ってしまいそうなものだが……………。


 ふとさっきまでのシュカとの会話を思い出して、手の中で簡単に畳み終えた布を右の山の上に綺麗に重ねてから、私は親分に声をかけた。


「……親分、少しいいですか」

「ん?」

「魔法について、お聞きしたくて」


 私が背筋を伸ばしてそう言うと、親分は「ふむ」と顎を撫でた。


「ハルは……魔法を見たことがないのか」


 察しがいいな。

 説明が省けて助かる。


「はい。元いた世界にはなかったので……あの、魔法って私にも使えるんでしょうか」


「んー……黒はお前の他には見たことがねぇからな。確かなことは言えんが……まあ色持ちだし、できんじゃねぇか」


 親分の言う『黒』が何かは不明だが、可能性は低くないらしい。


 ほんとですか、と意気込む私を見て、彼の褐色の顔面は楽しそうに笑った。


「もし仮に使えなくたって、気に病むんじゃねぇぞ。そんな奴は大勢いる。それに魔法については知ってて損することはねぇからな、この際だから基礎から叩き込まれとけ」


 私も微笑を浮かべて、それから真っ直ぐに大男の目を見て言った。


「親分の都合のいい時で構いませんので、私に魔法のことを教えていただけませんか」

「ああ、勿論だ。……と言いたいところだが、このところ立て込んで用事があってな。代わりにゲレに教えてもらうといい。俺から頼んでおくしな。……そうだ、ついでにシュカに困らない程度にこの世界の常識を教えてもらえ。それなら家事の合間にでも覚えられるだろ」


 名案だな、と親分は自己首肯する。


「とてもありがたいんですけど……いいんですか……? ほら、シュカが狩りに出れるようになるのが遅くなってしまうかも知れないですし」

「気にすんなって。なんたって、俺らの可愛い妹分のためだからな。いくらだって手を貸すさ」


 そう言うと親分は、照れ臭そうに首の後ろをペチンと叩いた。


 妹、か。


 強く押した背中の感触を思い出し、右の手のひらに視線を落とす。


 きっともう、あの場所に戻ることはできないのだろう。

 立ち止まって、いつまでも後ろを見続けるのはもうやめる。

 私はここで、自分にしかできないことを探そう。


 諦めとは違う、新たな決意と共に、私は親分の温かな言葉を心に沁み込ませた。






 次の日から、私の1日は格段に短くなった。


 朝は日が昇る前に起き、シュカの家事を手伝いながら、空いた時間で一般常識や文字の読み書きを習う。

 昼食の片付けを済ませてからは、帰宅したゲレの部屋にお邪魔して魔法について学び、夕食が終わってもう寝るばかりになると、シュカに借りた簡単な本を読んだり、親分がくれた紙の束に日記を書いたりした。




「最初に『魔法とは何か』というところから説明する」


 ゲレの授業で教えられた『魔法』は、私が想像していたものとは少し違った。


 この世界に存在する『魔法』とは、体内に蓄積された魔力を意識によって変換し、体外で何らかの形にすることである。

 変換の段階で呪文を唱えることが多いが絶対に必要であるという訳ではなく、大切なのは『想像力』なのだそうだ。


「例えば、火を起こしたい人がいるとする。火をおこす呪文は"火よパラドナ"だが、ただ何も考えずに『パラドナ』と叫ぶだけでは蠟燭程度の火にしかならない。逆に『パラドナ』と口に出さずとも、頭の中で業火が燃え盛っていたならば、目の前に現れるのは炎の海だ」


 ゲレは「見た方が早いな」と実際に魔法を使ってみせてくれた。


 机の上にあった空の瓶を手に取り、栓を開けずに私に軽く見せてから机に置いて手のひらを向ける。

 次の瞬間、何もない空間から透明な液体が現れ、瓶の内側を満たした。


 驚いてゲレの顔を見ると、ゲレは笑った。


「飲めるぞ。水だからな」

「え……いや、飲みませんけど……」


 一体どういう仕組みだろう。

 空気中の水蒸気を一瞬で冷やしたのか?

 それとも本当に何もないところから新たに水という物質を作り出したなんて……まさか。


「イメージさえちゃんとしていれば、難しいことはない。普通は呪文も使うが、しっかりとイメージすることが一番重要なんだ」




 つまり、絵を描くみたいな感じだろうか。

 より細かく、より鮮やかに絵を描くことができれば、描かれたものはそれだけ実物に近くなる。

 魔法も似たようなものだとすると、映像化・二次元化に慣れている私には有利な展開と言えよう。


 脳裏に


『想像力』=『創造力』


 という等式を書きつける。



「…………魔力波動はあるから、魔力保有量はあるはずなんだが……なんだ……?魔力の種類の問題か……?」


 ふと顔を上げると、私をじっと観察しながらゲレが何やらぶつぶつと呟いていた。


 魔力保有量? ゲームで言うところのMPみたいな感じか?


「あの…?」

「ああ、すまない、少し考え事をしていた。……話を戻そう。今見せたように、魔法はかなり有能なものだ。想像さえすれば基本的に何でも作り出せる。それを可能にしているのが魔力だ。人間の多くは魔力を魔力のまま保有することができる」

「魔力を保有できない人もいる、ということでしょうか」

「そうだ。正確には、体内の魔力は基本的に生命力に変換されることによって生物は生きることができるんだが、進化の過程で魔力の一部を生命力に変えずに体内に留めておけるようになった訳だ。勿論、取り入れた魔力の全てを生命力に変換するような身体の仕組みを持つ人々も当然いる。……これはまた今度話そう。とりあえずはこんな感じだな」



 ゲレのざっくりとした説明が「分からないことがあったらなんでも聞けよ」で終わると、私は家の外に連れ出された。

 井戸の横に人1人が余裕で入れる大きさの桶(簡単に言うとドラム缶サイズ)をどこかから引っ張り出して来て私をその前に立たせ、ゲレは口を開いた。


「今日の課題は、この桶を水でいっぱいにすることだ」

「え、やり方とかって……」


 慌てて尋ねると、ゲレは大きく頷いて満面の笑みを浮かべた。


「水を作る呪文は"水よメシナ"だ。ま、とりあえずやってみろ」


 どうやらゲレは、放任主義らしい。

 ……なんでも聞けって言ったのはどこの誰だよ。




 言うまでもなく、私はその日、一滴も水を出すことはできなかった。

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