第5話 魔法の存在

 日は既に高く上り、山小屋を遠巻きに囲む樹々が爽やかな風に揺れる。


 立てかけた梯子を上って屋根に上がると、陽の光に温められた丸太は裸足で登るには堅かった。

 滑車で引っ張り上げた3つめの洗濯物の籠を回収したシュカもそれに気づき、慌てて私に駆け寄って来る。


「そんな綺麗な足じゃ、この屋根は痛いだろ」

「いえ、大丈夫です! 私のぶんの洗濯物もありますから、お手伝いさせてください」


 さすがに下着は混ぜていないので問題はないが、シュカに借りていたシャツとズボン、それから最初に着ていた制服も洗わせてもらっている。

 それにこの家に置いてもらう身としては、シュカに狩りを覚えさせたいという親分の要望のためにも、少しばかりはできる家事を早く完璧にこなせるようになるべきなのは明白だ。


「気にしなくていいのに……」


 シュカは苦笑を浮かべながら、危ないからと左手を差し出した。


 確かに、シュカが傷一つない白い足を『綺麗な足』と呼ぶのはあながち間違いではないのかもしれないし、落下の危険性がある私に手を貸さないほど不親切な人でないのは分かっている。


 が、そういった扱いに私は慣れていないのもまた事実である。

 1人で斜め下に顔を向けて赤面しながら、なんとか頂上まで辿り着いた。


 さっきだって、もらった服を着て見せたら皆が皆ベタ褒めするものだから、真っ赤になってお礼もちゃんと言えなかったのだ。

 一番無愛想に見えるルノイでさえ、「髪の黒がよく映えている」と表情筋を微妙に動かして褒めてくれた。

 この国の国民性なのかは分からないが、少なくともこの家の男たちは私に対する紳士的な言動に遠慮がないらしい。


 上目遣いに窺うと、シュカは頬を掻きながら笑った。


「トーガさんはさすがだな。明るいところで見ると、ますます似合ってる」


 服を褒めているのか私を褒めているのかもうよく分からなくなってきたので、私は諦めて慣れようと心に誓った。


「ありがとうございます……」

「わざわざ丁寧な言葉使わなくていいよ。あと、さん付けもいいから。そんなに遠慮しないで、歳もほぼ同じなんだし」


 シュカは洗濯物を干す棒を立てながら、人懐こそうに笑った。


 1つしか違わないにしては、彼は随分と大人びて見える。


 反対側の棒をうんうん唸りながら持ち上げると、シュカは少し高い位置から棒を受け取り、涼しい顔で立ててしまった。

 シュカの顔を見られなくなって俯くも、何をそんなに気にしているのかと根性で顔を上げて言った。


「じゃ、じゃあ私のことも、呼び捨てでいいからね」

「ほんと? ありがとう、ハル!」


 きっと名前を呼び捨てで呼ぶことも、慣れているのだろう。


 自分でもよく分からない部分でなんとなく悔しくなりちらっと見上げると、シュカは一瞬目を逸らして、何事もなかったかのように再び口を開いた。


「その髪、細かくて綺麗だよね。さっきとは違う形をしているけど、どうなってるの?」


 細かい、というと、着替えた後に両側の少量の髪で編んで頭の後ろで纏めた三つ編みのことだろうか。


 風でいつの間にか肩に溢れていたフードを慌てて取り上げ、会話を続けながら頭上に戻す。


「あ、えと、これは三つ編みって言って、簡単に言うと髪の束を3つに分けて編むだけなんですけ……だけど、こういう編み方は、この辺りにはない、の?」


 シュカは少し返答に困ったらしく、右の拳を口に当てながら言った。


「編み方自体はあると思うけど……女の人が髪を編むなんて、聞いたことがなくて。見えないのに編めるなんて、かなり器用じゃなきゃできないよね。とても綺麗だし」


 結局最後は褒めるのか。


 私は愛想笑いで誤魔化しながら、彼らの精神の3割でも日本男児にあったならと心の中でため息をついた。




 しばらくの沈黙の中で、私はふと、シュカにじっと見つめられていることに気づいた。


「あの、どうかした……?」

「ああ、いや……」


 シュカは慌てて目を泳がせたが、すっと息を吸うと、恐る恐る私に聞いた。


「誰も聞かないから聞くんだけど……ハルは、魔法は使わないの?」

「……………え?」


 一体何を聞かれるかと思ったら、魔法?


「えっと、なんで魔法……?」

「うん、いや、だって家事の手伝いとか全部わざわざ手でやってくれてるでしょ。けどそれだと大変だろうから、無理して合わせなくていいって言いたくて……」


 必死で弁明するシュカを前に、私は混乱した。

 合わせる? 何に?


「ちょ、ちょっと待って。この世界には、魔法が存在するの?」

「え、うん。……え、もしかして、ハルの世界には魔法はなかったの……?」


 呆然と驚くシュカの前で、私も驚愕の表情を浮かべる。


 ……これは、あれか。ラノベで言うところの、剣と魔法の異世界ってやつか。


 今朝まで今後に対する不安で一杯だった癖に、結構現金な奴だ。

 我ながら呆れる。


 ていうか魔法があるなら、私はこの世界に『召喚された』可能性が出て来るわけだよな。

 いや、お決まりのパターンを参考にしただけだから信憑性には欠けるけど。

 後は、死後何らかの目的の上で魂を神様かその辺の人物に拾われてそのまま放り込まれたか、はたまた本来であれば記憶を消去処理し成長を逆再生したのちに輪廻転生の流れに乗せるはずだったが何かのミスでそのまま転移してしまったか…………


 典型的な異世界転移系の物語での主人公の初期状態を脳裏に描き、何故か真剣に悩み始める。


 もしそういう状況下にあるとして。

 次に出て来るのは大体『冒険の目的』か『チート能力スキル』だと相場が決まっている。

 さて、次の展開は…………………


「……ル………ハル、大丈夫?」


 無言のまま固まった私を案じ、シュカが軽く覗き込んだ。


「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」


 私は困惑と疑問とが入り混じった、結局怪訝としか言いようのない表情を浮かべ、飛躍すぎた想像を無理矢理堅い丸太の上に戻す。

 シュカは眉の端を下げたまま笑った。


「そんなに心配したくても大丈夫。ハルならきっと使えるよ。……もし使えなくても、別に生きていけない訳じゃないんだし」


 ……ここへきて魔法が使えない可能性を忘れていた。


 早くも焦燥に見舞われ始めた私の眼前で風にはためく洗濯物は、広大な大地と澄んだ青空を屋根の上から眺めていた。

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