第4話 森と狩人④
「……無理してないか、あいつ」
鍋その2をテーブルに並べたシュカに、親分は聞いた。
「そうかも知れないですね……」
シュカも階段に目をやりながら小さく呟く。
「昨日1日一緒に過ごしていて分かったんですが……彼女、基本的なことを何一つ知らないんですよ。この辺りのことだけでなく、王国やイーリェのことも。綺麗なイーリェを話しているのに、本人はイーリェという単語そのものすら知らなくて」
「そいつは妙だな……。俺もな、最初にハルが言ってた『トウ・キョウ』ってのがどこなのか、マニセリルなら分かるかと思ってな。聞いて回ったんだが……そんな名前の村も地名も、誰も聞いたことがないって言うんだよ。おかしな話だよな」
そう言って親分はシュカと目を合わせ、首を傾げた。
「お、今朝も美味しそうだね」
3人の男たちを連れて居間に戻ると、シュカが「座ってください」と人差し指と中指を揃えて椅子を指した。
ものを示す時、この辺りではそうするのが普通なのだそうだ。
思わず「板前かよ」と心の中で突っ込んだのは最初だけである。
「トマトの煮込みスープと、こっちはイムです」
聞き慣れない単語に疑問符をつけ、私はシュカに尋ねた。
「……シュカさん、"イム"ってなんですか?」
「鳥の腿とキャベツと山芋を煮て塩で味をつけたやつだよ。って言ってもキャベツは冷凍しておいたものだから、鮮度はないけど」
「おいお前ら、早く座れ」
腹の鳥が鳴いちまう、という親分の呟きに、ここでは虫じゃなくて鳥なんだなと思いながら、私は男たちと急いで食卓を囲んだ。
長方形のテーブルの上座に座る親分が食べ始めてから、他の皆は各々に木のスプーンを手に取る。
私は手を合わせて、小さく「いただきます」と言った。
「……なぁハル、そりゃ一体なんだ?」
何を指して言っているのかと親分の方を向くと、親分は私の真似をして両の手のひらを合わせていた。
「何かのお祈りか?」
「あ、いえ。これは私の国での挨拶みたいなものです。自然の恵みを『ありがたくお受け取りします』って意味なんですよ」
お祈りという概念があるということは、この世界にも宗教のようなものが存在するのだろうか。
「自然の恵みっすか……ハル嬢は育ちが良さそうだけど、自然への感謝はちゃーんと教えられたんっすね」
斜め前に座る、快活そうな男が言った。
八重歯の目立つ彼の名前はゼンだ。
「おいゼン、その言い方はちょっと失礼じゃないか」
ゼンの隣に座るのはルノイだ。
切れ長の目に、右耳の耳飾りが特徴的である。
2人は互いにジロリと相手を眺め、すぐにそっぽを向いた。
どうも相性が悪いらしい。
気まずい沈黙が流れる。
私は慌てて、話を逸らした。
「……そういえば、私の服、トーガさんが選んでくださったんですよね! わざわざありがとうございます」
シュカを挟んだ向こう側でスープをお代わりするトーガに、全力で頭を下げる。トーガはニカッと白い八重歯を見せると、ちょっとだけ照れ臭そうに言った。
「いやいや、気に入ってもらえたみたいで何よりだよ! 着たら見せてね」
笑顔で返事をした時、その向こうにいた親分と目が合った。私には親分が何か考え込んでいるように見えて、思わず尋ねた。
「あの、親分、どうかしましたか」
親分は軽く顎を撫でながら、おもむろに口を開いた。
「ん、いや……そろそろお前も落ち着いた頃だろうと思ってな。お前のことを、聞かせてもらいたいんだが」
それまでと打って変わり、微妙に空気が張り詰めた気がする。
やっぱりそうだよな。
どこの誰かも分からないような人間を手放しに歓迎するほど、彼らが不用心な訳がない。
今まで何も聞かずにここに置いてくれたのは、彼らの誠意と優しさだったのだろう。
しかし、仮にここが私の知る世界ではないところだったとして、私は異世界から来た者だと説明しても理解してもらえるかどうか。
というかそれ以前に、違う世界の存在を信じてもらえるのか。
自分でも信じられないことを、どうしたら分かってもらえるのだろう。
でも。
私は覚悟を決めて、顔を上げた。
「極東の島国、ニホン……か」
ルノイの呟きに全員が視線を絡ませ、複雑な間が空いた。
鍋はそろそろ冷めてきているが、誰もスプーンを動かさない。
「……ごめんなさい、やっぱり信じられませんよね」
愛想笑いで誤魔化しながら、話を収束させようとする。
けれども彼らはそんな私の予想とは裏腹に、神妙な面持ちで事態を捉えたようだった。
「……その話、信じよう」
静かな、しかし力強い声が響いた。
パッと顔を向けると、親分が白い歯を見せる。
「世の中にはな、稀に信じられねぇような不思議なことが起こるもんだ。お前はきっと、それに巻き込まれちまったんだろう」
「ハル嬢は一度元の世界で死んじまったんっすよね。じゃあ今度のは、"
「ゼンの言う通りだ。まだ生きているのなら、精一杯謳歌してやればいいさ」
呼応するようにゼンとゲレが頷く。
「そう、言っていただけると……ありがたいです」
内心では途方に暮れながら、私は力なく笑んだ。
よかった、信じてもらえた。
……けど。
これからどうすればいいというのだろう。
いきなり飛ばされたこの世界に、私は本来なら存在しないはずの人間なのだ。
働かざる者食うべからず、どうにか働き口を探さなくてはなるまいが、それ以前に得体の知れない者を誰が雇ってくれるだろうか。
そもそも私のような異世界人が働けるところがあるかどうかも定かではないし、身元を証明できるものさえも私は持っていない。
これまでの17年間ぶんの経験値では如何ともしがたい状況に、私は改めて不安に押しつぶされそうになった。
膝の上で作った握り拳に筋が浮き、噛み締めた奥歯が疲れを訴える。
そんな私の心を見透かしたように、親分が柔和な笑みを浮かべた。
「なぁハル。もしお前が嫌じゃなかったら、ここでシュカの手伝いをやっちゃあくれねぇだろうか」
「え……?」
「俺らがここでの生活を始めてから、かれこれ五年になる。そろそろシュカにも、狩をしてもらおうと思っていたところなんだ。だから家事をこなしてくれる人材が増えるのはこちらとしてもありがたいんだが……お前さんにとっても悪い話じゃあねぇだろ?」
周囲の面子を伺うと、全員が全員温かく微笑んだり、首を縦に振っている。
「いいんですか……?」
「遠慮はいらねぇ。やりたいことを見つけるまでで構わねぇし、衣食住の保証はできる。どうだ?やってみねぇか?」
親分の目が温かく緩む。右も左も分からない異世界の森で私が最初に見た、あの目だった。
彼らは一体、どこまで優しいのだろう。
突然転がり込んで来て、常識も分からない見ず知らずの小娘を自分たちの家に置いてくれようとしているのだ。
狩猟も商売もできない私が穀潰し要員になることは目に見えているというのに……。
「ありがとうございます……私、皆さんのお役に立てるように精一杯頑張ります……っ」
私は勢いよく立ち上がり、男たちの顔を順に眺めた。そこにいる誰もが、嫌な顔一つせずに私を見つめている。
込み上げる安堵に鼻の奥がツンとなるのを遮って、私は頭を下げた。
「これから、どうか、宜しくお願いします……!!」
ああ、神様が本当にいるのなら。
彼らと引き合わせてくれたことに、私は今こそ、心から感謝したいと思った。
「男ばっかでむさ苦しいとは思うけど、よろしくっす!」
「てことは、ハルちゃんの服、また選んでいいってこと?」
「いや、まずはハル嬢の部屋をなんとかしなきゃいけないだろ」
再び騒がしくなった山小屋の中で、私は笑った。
滲んだ視界に広がる、これから生きる優しい世界は、私にはもったいないほど眩しかった。
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