第6話 異世界にて

 屋上に出て、臥雲がなにか黄色い札のようなものを持って、呪文を唱えたのは覚えている。映画で観た陰陽師みたいだなとオレは思った。

 臥雲の腕がくうを斜めに薙いだと思った次の瞬間、ベージュ色をした煉瓦造りの薄暗い部屋にいた。


 部屋の奥には天鵞絨ビロードの天蓋のかかったベッドがある。寝室なのかな?とオレは思った。

 ベッドの奥の大きな窓からは月明かりが漏れていて、脇にひざまづいている人影を黒く映し出していた。長い金髪が月光に反射して薄く輝いている。女性……というか、オレと同じぐらいか、まだ年下の少女だと思った。

 彼女はベッドに横たわる人物の枕元で寝息を確認し、立ち上がると、懐から銀色に光る短剣を取り出した。


「誰!?誰かいるの!?」


 少女がこちらを振り向く。

 短剣にハッとして後退あとずさりしたオレの気配に気づいたようだ。


「誰?……あなたは誰なの?」


 彼女にはオレが見えるらしい。都合の悪い時に見えるなんて、勝手の悪い魂だ。


「オレは――」


 オレはなんと答えていいのか分からないまま立ち尽くしていた。


「邪魔をするならあなたも殺す」


 短剣を振りかざしてこちらを向いた彼女の顔を、ベッドサイドに置かれた燭台の明かりが半分映し出していた。殺気立っているのは青い目が吊り上がっている。


「人殺しはよくない……と思うな」


 恐る恐る話すオレに、彼女はすごい剣幕で怒りだした。


「人殺しじゃないわ!!!私は魔王を……魔王を倒すためにここまで来たのだから!!!」


「……魔王?」


「そうよ!魔王ウーログ・ハルハーゲン討伐の命を受け、私は奴隷に身をやつし、長い年月をかけて、妾となってここまでやって来た……だから邪魔しないで」


 ベッドに横たわる男、ウーログ・ハルハーゲンは、彼女に寝込みを襲われてオレの身体に転生してきたということか?

 ならば、彼女にウーログを殺させるわけにいかない。


「……君はなんて名前なの?」


 ここは話を引き延ばし、隙を見て彼女を止めないと。

 オレは彼女のそばに近寄った。


「名前なんて、あなたには関係ないでしょ!?」


「……きっ、聞いておきたいんだ!」


「終わってからでいいでしょ!?」


「いや!倒す前に聞いておかないと!魔王を倒す勇者の名前!!!」


「シーヴ。……シーヴ = オーベリ」


「シーヴ?シーヴはなんで魔王を倒さなくちゃならないの?」


「なんでって……あなた知らないの?ウーログ・ハルハーゲンは普通の人じゃないわ。彼の視界にいったん入ると意のままに操られ、殺されてしまう。私たちはウーログ・ハルハーゲンの視線から自由になりたいのよ!!!

 だから時間もない!ウーログが眠っている隙に、その両眼をえぐり取って殺さないと!!!」




 その時だった――。

 ウーログがベッドの上でカッと目を見開いたのは。




「……我が両目を抉ると申すか、小娘よ」


 ウーログの眼は、通常白目の部分が真っ黒で、瞳の部分が白かった。

 シーヴの左の手首を掴む指は細長く筋張っており、枯れ木のようだ。ウーログの黒く長い爪がシーヴの白い肌に食い込み、赤い血が流れた。


「……き……きゃ……ぁぁぁ………………」


 シーヴは、あまりの恐怖のため声にならないかすれた声でうめいた。

 ウーログの真っ白な瞳から視線を外そうにも外せないままでいる。


「小娘よ、まずはお前が自らその両眼を抉って手本を見せるがいい……」


 シーヴの意に反して、右腕がグググと持ち上がる。

 操り人形ようにガクガクと首を不自然に仰け反らせ、右目上5センチぐらいの高さに短剣を握っていた。


「……いや、やめて……」


 シーヴが乾いた声を絞り出す。


「やめ……てぇぇぇぇぇ……!!!!!」




「――――――ッ!!!」




 シーヴが絶叫した瞬間、シーヴの右手から短剣を奪ったのはオレだった。


「貴様……我の邪魔をするか……」


 ウーログが上半身をベッドから起こし、忌々しそうに顔を歪めてオレの方を見た。


「……ふんっ、まぁよい。……望み通り、貴様の眼から抉ってくれようぞ」


 ウーログが目一杯黒い目を見開きオレの目を見た。


 しかし、オレの腕はシーヴの時のように動かない。オレには自由を奪われる感覚もない。


「……馬鹿な!!!我の能力が効かんだと!?!?!?何故だ!?!?!?……さては貴様、異世界の住人か――……ハッ……」




 ウーログ・ハルハーゲンが血反吐を吐いて、ベッドの上に崩れ落ちた。

 オレの様子に動揺したウーログの心臓を、シーヴがベッドサイドに置いてあった燭台で突き刺したのだ。




「……お……愚か者どもよ!この世界は我と共にあるというのに……!!!我を倒すということは、「世界」が消滅し、お前たちの存在自体も消滅するということだ……」


 突き刺された心臓を中心に、ウーログの身体から、まばゆい白い光が静かに広がっていく。

 シーヴを覆い、部屋を覆い、部屋を超えて建物を飲み込み、どこまでも広がっていく白い光。


 何も見えない、何も聞こえない、ただ白い無限の世界へ。


 それは、ウーログ・ハルハーゲンの世界の消滅だった。

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