第19話 新当主誕生

 賄い猫の繁は気が気でなかった。

 清丸が松竹梅の後を追って押し入れに消えて十数分。少々長い。

 「やっぱり止めるべきだった……」

 エプロンの縁を噛んで後悔する。

 三バカに苦戦しているだけならいい。繁がもっとも恐れているのは、近寄ることさえ憚られる暗黒の世界で、清丸たちが帰り道を見失うことだ。

 自分こそ美猫と信じて疑わないショウリン、元気者のチクリン、大飯ぐらいのバイリン、困った連中だが黒猫亭の山門をくぐった仲間である。


 「及ばずながら僕が救出に……!」

 臆病風を振り切って押し入れを覗き込む。

 床にぽっかり開いた穴は、天地逆転したプラネタリウムみたいである。心まで奪っていかれそうなほどの暗黒に繁は震えた。

 「カラス様、ご忠言に背くことをお許しください」

 何度も穴の縁で足踏みして、ようやく暗黒の底へダイブする決心が固まった直後、コールタールが盛り上がるようにして、ぬっと三頭の巨犬が姿を現した。

 「清丸さま!」

 三つの口にはそれぞれ松竹梅の猫たちがくわえられていた。


 「俺が主となることを認めてくれるな?」

 改めて繁が煎れた玉露をすすって清丸は尋ねる。

 正座を強いられた猫トリオの頭には絆創膏のペケ印。不服の唸り声をあげて、なおも頑迷に首を縦に振ろうとはしなかったが、実力の差は明らか。

 「嫌なら黒猫亭を出ていってもいいんだぞ⁉」

 当主代理の繁にも怖い顔で睨まれては、もはや抗う術はなし。


 「おそれいりました」

 三匹はついに折れた。畳の上にべたーっと平伏した。

 「清丸さまが黒猫亭の新しき主です」

 「わたしたちを導いてください」

 「ご無礼の数々、ご容赦を」


 「あー、よせよせ」

 あぐらをかいた清丸は笑って手を振る。

 相手が素直になれば柔和な一面を見せるのを惜しまなかった。

 「許しなど乞うな。あの磔刑になっている女に比べれば、おまえたちの無礼など無礼に数えるにも値せぬわ」

 濃紅″は間抜けに壁に固定されたままだ。


 「下僕、貴様も挨拶せよ」

 「お任せください清丸さま!」

 人差し指を動かすと犬歯で作った杭が抜けて、黒髪の少女は畳の上に降り立つ。手足には穿たれた痕跡も流血の一滴も残っていない。

 「この寺に巣食う化け猫どもを一掃してご覧にいれますわ!」

 自由を得て元気十倍、久々に火炎呪符が使える喜びに利き腕が震える。


 「──とまあ、このとおり妖怪への偏見に満ちた女だ」

 呪符を奪って濃紅″の顔尾をはたいた。頬にピッと赤い筋が浮く。

 「ぎゃあああ⁉ 乙女の顔に傷をォォォ⁉」

 「あーうるさいっ」

 かすり傷で騒ぐ女を庭先に蹴り出しておいた。


 「いいか松竹梅、もう押し入れには入るな」

 清丸は神妙に眉根を寄せて、ささやき声を出す。

 「おまえたちが食われかかったという首だけの鬼だが、俺の見立てでは地獄ですら持て余されるほどの魔物だ。逃げられたのは奇跡だぞ」

 魔物のプランクトンともいうべき暗黒空間に漂う微粒子から、清丸はとてつもない怪物の存在を感知できた。


 「黒猫亭にいる猫はこれですべてか猫村」

 「繁にございます。比較的よく黒猫亭に顔を出すのは、ヤネウラ、エンガワという子です。他にも赤岩山には詠い猫のヒトリゴト、占い猫のオモイスゴシがいます」

 いずれも一癖ありそうな名前である。

 「会うのが楽しみだて」

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