第11話 黒猫亭悲話

 「とんだ醜態をお見せしました」

 六畳の客間で清丸は煎茶を勧められた。

 「なに、主を殺した女と瓜二つの者が現れては平静でいられまい」

 背後の壁には濃紅″が、標本のチョウかトンボのごとく縫い留められている。四肢を穿つ楔は、犬神の犬歯を変化させたものだ。


 清丸は玉露で喉を潤す。香りもぬるさも絶妙だった。

 「茶を煎れるのが上手いなおまえは」

 「ありがとうございます」

 「境内に猫が何匹かおったが、あれらも猫叉か」

 「半妖です。人語は解するものの、これといった魔力が使えるでもなく、猫叉と呼ぶには未熟な子ばかりです」

 「尻尾も二股に分かれてはいなかったな」


 「かくいう僕も猫叉に生まれ変わって二十年足らずで、階位は低いほうなので、あまり偉そうなことは言えませんけどね」

 繁は照れ臭そうに顔をぬぐった。

 「僕が先代のカラス様に拾っていただいたように、無責任に捨てられた猫たちを保護し、人に害されぬ程度の妖猫となるための手ほどきをしております」

 カラスという名に衝立の猫も見事な黒猫だったことを思い出す。


 「時に猫村」

 「繁です」

 「ここは黒猫亭という寺号だが、おまえは黒猫ではない」

 「墨を塗ったような黒に生まれとうございました」

 「亡くなった主のカラス様とやらが由来か」

 「よくお気づきで……それはもう偉大な猫叉にございました」

 「カラスがどのような猫であったか聞きたい」

 「話せば長くなりますが」

 「構わん。聞いてやる」

 「それでは……」

 口回りを舐めてから繁は語り始めた。


 ──このお寺はもともとは変華院という日蓮宗のお寺にございました。僕の主人であった黒猫のカラス様はそこの飼い猫で、日兆さんという若い僧侶に可愛がられておりました。日兆さんは背の高い、力持ちなお坊さんでしたが、真綿のように優しい心根で、動物にも人と同じ命あるものとして、等量の愛情を注ぐ方でした。日兆さんにとってカラス様より大切な人間といえば、婚約者の珠代さんぐらいのものでした。

 「出家の身で婚約者などいたのか」


 ──僧侶の仕事もこなしつつ教職にも就いておりましたからね。とにかく誰にでも好かれる性質たちで、なかなか美男子でもありましたから、村いちばんの花と謳われた珠代さんとはお似合いでしたよ。

 「結ばれて万事めでたしとは行かなかったようだな」


 ──はい、その頃日本は帝国時代のロシアとの戦が長引いておりまして、若く健康な男子である日兆さんも兵隊に取られたのでございます。珠代さんの手を握って日兆さんは言いました。僕は必ず生きて帰る、生きて変華院の山門をくぐり、珠代さんを妻に迎えると固い約束を交わしたのでございます。

 「しかし戦死したのか」


 ──それだけならまだしも、語るも辛い不運が珠代さんを襲いました。奉天の大会戦で大量の戦死者が出て、日兆さんは行方不明、来る日も来る日も本堂の仏様の前で日兆さんの無事をお祈りする珠代さんでしたが、ある夕方、山門に顔を包帯で覆った軍服姿の男が立っていたのです。

 「待つ男ならばよかったな」


 ──ひどい話で……日兆さんと叫んで、珠代さんがその胸に飛び込んでみれば、背格好が近いだけで包帯の下の顔は似ても似つかぬ別人、さらに背後で二人の男が卑しい笑いを浮かべておりました。村の素行不良な男どもが、あれほどの美人をいつまでも手付かずで放っておくのは勿体ないと、日兆さんの帰還を心待ちにする彼女の油断につけこんだのでございます。そこから先はもう……一人きりだった珠代さんに、これが人間の所業かというほどの恥辱の限りを……。

 「だから人間が我らを畜生呼ばわりするなど片腹痛いのだ」

 清丸は蔑みを込めて、荒っぽく息を吐いた。

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