第9話 迷い家の猫

 (ニャオ……)

 霧の向こうから鳴き声が聞こえた。

 「猫だな」

 「猫ですわ」

 誘っているようだ。応じて吉と出るか凶と出るか。


 「濃紅″、敵意ある妖怪がいたらおまえが戦え」

 「わたしが戦うのはか弱い女性を守るときだけです」

 「貴様の信条など聞いておらん!」

 犬顔を出して女性偏愛主義者の脳天を齧る。


 「痛い痛い! 弱い妖怪でいいなら戦います」

 「強い妖怪がいてもおまえが戦え」

 「ご無体ですわ。女の子に大きな期待をかけないでください」

 「そんな台詞が吐けるのは男に甲斐性を求めない女だけだ」

 「女を矢面に立たせて恥ずかしくないんですか」

 「退魔師にうってつけの役目であろう!」


 清丸の周囲が歪む。憤怒のあまり体から放熱したのだ。

 こいつは一体、何を考えて剣術や護符術を学んできたのか。ただ自分の箔付けとチヤホヤされるためだけだったのか。

 「敵の力量を測る噛ませ犬にする以外、おまえの利用価値などあるか!」

 濃紅″の尻を蹴飛ばし、強制的に霧の世界へ入門させる。


 「あんっ! 痛い!」

 何かにぶつかったらしい。ゴンッと重い音がした。

 「どうだ中は?」

 「扉に頭をぶつけてしまいました」

 「扉があるのか」

 「ああ、タンコブができてるわ……」

 「どんな扉だ?」

 少女の負傷など意に介さず報告を命じる。

 「お寺があります……清丸様も来てください」

 「寺だと?」


 肉視による検分の必要を感じ、清丸も霧の中へ足を踏み入れる。

 瞬間、ぱっと霧が晴れ、立派な山門が現れた。

 濃紅が厚みを感じる扉の前で頭をさすっている。

 「黒猫亭くろねこてい……?」

 山門にかかった扁額はそう読めた。寺院にしては変わった名だ。

 扉には閂も下りておらず、片手で他愛なく開いた。


 「なるほど猫がおるな」

 本堂へと誘う飛び石の上に数匹の猫がたむろしていた。清丸と濃紅″を見るや八方へと逃げ散った。

 「迂闊に入って大丈夫でしょうか清丸様」

 「おまえを囮にするから大丈夫だ」

 どこからも害意は感じないが用心しつつ周囲を観察する。

 門から入って正面に瓦屋根の本堂、右手に釣鐘のない鐘楼と百日紅の木、左手には僧坊らしき天戸が閉まった木造の母屋。

 廃寺ではない。土が剥き出しの境内には雑草の一本も生えておらず、建物も古いが清潔で、何者かに手入れされた痕跡をうかがわせる。


 「いわゆるまよの類であろうか」

 「気のせいかもしれませんけど見覚えのあるお寺ですわ」

 「ともかく今夜はここで泊めてもらおう」

 僧坊の中へ入ると、土間が広がっていた。

 上り框には黒猫を描いた衝立が置かれ、向こうは障子でふさがっている。


 「誰ぞおらぬか」

 奥へ声をかける。犬の嗅覚で住人の存在を確信した。

 「はいはい……ただいま」

 ちょっと間延びしたあどけない声が返ってきた。

 (猫村──?)

 障子を開けて現れたのは一匹の猫である。後ろ足で直立歩行、背中と顔を明るい茶縞模様で覆われ、白いお腹には丸に黒の字が染め抜かれたエプロン。

 (何者だこの猫は……)

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