第8話 赤岩山へ

 夜が明けた。山間からのぞく光に清丸は目を細める。

 魔性の存在にとっても日の出は清々しい。

 「行くぞ濃紅」

 「どこへ行くのですか清丸様」

 褐色のセーラー服の少女が虚ろな目で問う。


 犬神との人獣混交により誕生した野々宮濃紅″である。

 成長を促進する魔力を浴びせ続けたことで、日昇時間の前には外見年齢は初代と同じぐらいにまで発育した。野々宮濃紅の記憶もそのまま引き継がれているので娘というよりは複製に近く、より清丸好みにカスタマイズされている。


 「この山を離れる。安全な住処を探すのだ」

 「麓の町では駄目ですか」

 「おまえたちに妖怪であると喝破されたのだぞ」

 三頭の犬神は濃紅と片山富嶽の訪問を受けるまで、荒神山を借景にした街の古物商の店主に二十年も成りすましていたのである。

 「静馬を除けば最後に捕食した人間がその店主だった」


 親戚づきあいもほとんどない独り身の老人だったので、犬神に取って代わられているなど誰も気づかなかった。そこへ彼の実兄が亡くなったことから遺産分配の件で訪ねてきた兄の娘が悪遮羅流の門下生であったのだ。

 店主は姪とは赤ん坊の頃に数度会ったきりで印象もきわめて薄い。断片的な記憶情報のみに頼った対応が完全に裏目と出て、即物の怪と喝破された。


 「正体が露見するときは実に他愛なく露見してしまうものだ」

 「それはゲンが悪いですわね」

 二度の転生を経て濃紅″は別人みたいな従順おとなしさである。

 魔犬が暴れる彼女を穢してやりたいと思わない限り、濃紅は感情を抑制された生ける人形だ。生身のセクサロイドとさえ呼んでもいい。


 「美濃に住む友達の妖狐を訪ねるつもりであったが、この山の周囲にはまだ魔物狩りの術者が罠を張っておるようだ」

 催眠術をかけて帰した二代目濃紅から犬神は倒したという虚偽の報告を受けるまで山は監視され続ける。里へ下りるのは危ない。


 「山越えだ。赤岩山へ行く」

 「間に二つも山を挟んだ山をですか?」

 「おまえに不満をこぼす権利はない」

 清丸の指先から線虫のごとき霊糸が迸る。

 濃紅をぐるぐる巻きにして水平に空中に浮かべ、撞木のように顔面から大木に繰り返し激突させてやった。


 「ひとーつ、ふたーつ、みっつ」

 「清丸様、お慈悲を! お慈悲を!」

 「黙ってついてこい」

 「黙ってついて参ります」

 鸚鵡返しがベターな反応と悟った下僕を率いて清丸は発った。



 それから三日三晩歩き続けた。

 琵琶湖沿いの山脈を北上して赤岩山へ到着、美濃まで行けば旧知の妖狐や犬神仲間もいるが、自分が逃げ込むことで彼らに迷惑がかかることは避けたい。

 何より赤岩山の頂には魔物の巣窟を示す暗雲がかかっていた。

 清丸好みの妖気だ。手招きされているみたいに感じる。


 「清丸さま」

 一メートルの間隔でついてくる濃紅″が声をかける。

 「許可なく話すな」

 「お風呂に入りたいです」

 野々宮濃紅″は見る影もなく汚れ果てていた。

 三日に渡る強行軍の結果、セーラー服は埃にまみれ、自慢の黒髪もぼさぼさ、浮浪者と誤認されそうなレベルで外見が劣化している。


 「我慢しろ」

 青田静馬が着用していた安物のスーツもボロ同然であった。

 「美貌の維持は女の子の義務なんです」

 「おのれを縛る義務など捨てろ」

 「きれいな女の子がいるだけで、まわりがどんなに華やいで、どれだけ励まされるか清丸さまはご存知ないのですわ」

 「小娘が勝手に着飾ってピーチク騒いでおるだけなのを感謝しろとでも⁉ 俺は頼んだ覚えはないわ! 貴様のような女は外面より内面を磨け!」


 往復ビンタをかます最中、後ろから流れてきた霧が首筋を撫でた。

 振り向くと真っ白な壁が行く手を塞いでいる。妖気を感知するアンテナ役の体毛も逆立ち、自然発生した霧でないことを報せた。

 「濃紅″、霧へ突っ込め」

 「魔物の仕業だってバレバレなのよ!」

 「そういう突っ込みではない」

 枯れ枝を錫杖に変化させて打ち据えた。

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