第4話 濃紅の不満

 (富嶽が何だっていうのよ!)

 犬神の匂いを辿って濃紅は毒づく。

 (あんなデカいだけのむさくるしい女、何の取り柄があるっていうのよ? 家宝の神剣を持つにはちょうどいい体格ガタイぐらいじゃない)


 しかし、その図体こそが片山富嶽の最大の武器である。

 力自慢の男をまとめて手玉に取る膂力を蓄えた頑健きわまりない体は、嘘か誠か神霊の加護により、あらゆる攻撃を遮る金剛身にまで昇華したという。

 加えて剣を抜けば余人を寄せつけぬ間合いを形成、縦横に打ち振るって岩石をも賽の目に刻むほど精妙な技巧を誇る。

 文句なしの実力者だ。悪遮羅流始まって以来の逸材だ。


 素直に認めることができない者が多いのは、富嶽自身の誤解を招きやすい慇懃無礼さという要因もあるにはあったが、やはり末家に生まれた者への蔑みと端麗とは言い難い容姿への偏見ゆえであろう。

 特に敵愾心において野々宮濃紅は突出していた。

 (富嶽、富嶽、どいつもこいつも富嶽!)


 濃紅にはまったく理解不可能な異次元の論理でも働いているのか、片山富嶽は一族から疎まれる一方で奇妙な人望もあった。

 枝木の伐採、堆肥を埋めるための穴掘り、重い資材を抱えての山越え、年頃の少女には頼みづらい汚れ仕事を富嶽は喜んで手伝うので、本家のある地域の住民たち、とりわけ子供や年寄りからは評判が良かった。

 しかも妙に男に甘い。前述したような力仕事を男衆にだけ押し付けるのは気の毒だ、皆さんも助勢しようではありませんか女性だけに……などと腰砕けになりそうな駄洒落をまじえて提案する始末であった。


 (姑息な奴! ああいうのを名誉男性っていうのね)

 我ら凡婦ぼんふにあらず、額に汗して男子に優る仕事を成すことこそ武芸を収める女子の誉れ──というのが富嶽の持論であったが、狭量な濃紅には小賢しいイメージアップ戦略としか思えない。

 (絶対鼻を明かしてやる!)

 何としてでも犬神は自分が仕留める。片山富嶽はあくまで唾をつけただけで後は指をくわえて見物していたとなれば、奴の評価も地に落ちる。


 獣道に点々とつづく血痕。唸り声がした。

 「来たわね死にぞこない!」

 マスチフ種に似た厳つい犬が牙をむいて飛びかかってくる。抜刀するや前足を切断、のめった犬に火炎呪符を飛ばす。

 三頭の一頭、武丸はひとたまりもなく灰と化して風にさらわれた。

 「まずは一匹!」


 獣の臭気が森に溢れている。犬神は近い。

 次にはグレイハウンド風の細い顔の犬が現れた。俊敏そうなわりに動きは難なく見切れたので、炎をまとった愛刀の錆にしてやった。

 三頭の二頭、智丸は悲痛な遠吠えを残して消滅した

 「二匹めったり!」


 この調子なら三首の中核らしき一頭もちょろいと踏んだ。ここまでの快進撃ができたのは実力以上に敵の弱体化が大きいのだが、予想外のリカバーを犬神が果たしていなければ濃紅一人での撃破も決して不可能ではなかったはずだ。

 獣道の脇に血に濡れた草を発見、藪の向こうに犬神がいる。

 「犬神と呼ばれたところで所詮はワン公ね。山なら隠れる場所が豊富だと思ったんでしょうけど、ここへ逃げ込むことも計算のうちよ」 


 犬神が身を潜める荒神山は、一般人がとばっちりを受けることを未然に防ぐため入山を禁止する通告を周辺の住民に出してある。

 万が一、何かの手違いで山に迷い込んだ人間がいたとしても、男なら見捨てると濃紅は決めている。妖怪の滋養にされたり人質に使われるようなだっさい男は不要いらんというわけだ。

 「さあさあ、観念してわたしに浄化されなさい! ギッヒヒヒヒ!」

 如実に品性が出た高笑いをあげながら藪をかき分ける。

 勝利を確信した直後、呼吸が止まった。


 (な……何よあれ⁉)

 犬神は逃げ出す前よりひとまわり大きくなっていた。すでに虫の息も同然どころか失ったはずの二つの首まで再生しているではないか。

 六つの怨讐に燃える目が濃紅を睨みつける。

 「けっ……けるべろすっ⁉」

 同時刻、麓の村の住民が遠くに豪雨の音を聞きいた。

 さすがに年頃の娘が失禁した音だと想像が及ぶはずもなく、晴れだというのに奇異なことだと、しきりに首をひねったという。

 

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