第3話 武丸と智丸

 三首みつくびの犬は追い詰められていた。

 銃弾も通さぬ毛皮を痛々しく血に汚れさせたのは魔封じの札。高純度な霊力を帯びればただの紙片であろうと名刀顔負けの切れ味を発揮する。

 だが彼に、いや彼らに致命的な一刀を浴びせたのは、護符を駆使する少女よりも相方の道着服の女の振るう太刀だった。


 いかにも骨太な大女である。七尺に届きそうな背丈、広い肩幅、どことなしに上の空っぽい眠たげな眼付すら不気味。

 過去に何度か返り討ちにしてやった武芸自慢より手を焼きそうだと警戒したのさえ甘い見積もりで、抜刀と同時に押し寄せる怒涛の気迫に後ろを見せる選択をしたときには胴薙ぎに斬られ、剣先は霊核にまで達していた。

 最大の強敵──いや天敵だ。


 「下がりなさい富嶽ふがく!」

 とどめを譲るまいと割って入ったのが護符術の少女だ。

 多少は手を加えているようだが褐色のセーラー服をまとっているので高校生だろうか。ロングの黒髪を炎のごとく逆立てると大女を火柱で牽制した。


 「何をするのです濃紅こべにさん!」

 「あなたにばかり美味しい思いはさせられないわ」

 「美味しいも何も私はただ……」

 「末家の女にしては、いい仕事をしてくれたわ。奴の体力を削ってくれただけで十分だから後は悪遮羅流正当・湖国四山ここくよんざんの野々宮濃紅に任せて、華麗に犬神を滅魂させるところを黙って見ていなさい」

 「見ているだけでよければ、本家もよりによって私などにあなたのお供をするようお命じにならなかった筈では?」

 大女は口調こそ丁寧だが、かすかに毒がある。

 「お父さんも、お母さんも、兄さんも、本家のご当主も、みんなわたしを見くびっているのよ。だから、あんたなんかを補佐役に……!」

 

 コンビで来た割には女たちの仲はお世辞にも良好とは言い難い。術者の少女のほうが大女を一方的にライバル視しているというべきか。

 この女のおかげで命拾いしたのは皮肉に尽きる。

 言い争っている間に包囲する鬼火の隙間を見つけ出した。

 「濃紅さん犬神が!」

 「あっ……あんたのせいよ富嶽!」


 とんでもない奴らにぶち当たってしまった。

 命からがら険しい山奥へ逃げ込むも、地面を伝う女たちの足音を聞いたときは魔性の獣に転生してから初めての絶望を感じた。

 今度という今度こそ狩られる。殺される。

 (逃げろ兄弟、ここは俺が)

 (武丸たけまる!)

 三頭の妖犬の右の首が分離した。


 (よせ武丸!)

 (三匹揃って死ぬこたあない)

 並の犬ほどの大きさになった武丸は山道を辿ってきた方向へと逆走していく。やがて悲痛な絶叫が聞こえてきた。

 おまえの死を無駄にはしないと残る二頭は走る。

 逃げろ。逃げ切れ。ここは女をまいて体力の回復を待つのだ。


 (兄弟、次は俺だな)

 執拗な追跡に左の首が犠牲を申し出た。

 (よせ智丸ともまる、おれが討たれよう)

 (おまえを逃がさずしてどうする。三匹の結合は清丸きよまる、核となるおまえがいてこそだ。おまえを失っては俺も生きてはおれまいよ)

 (待て智丸!)

 (一足先に武丸のもとへ行く)

 分離した智丸も来た道を引き返し、赤眼の少女に討たれた。

 

 (智丸、武丸、俺の中で生きてくれ!)

 ひとつの胴体を共有し合った仲間を失うという高い授業料を払ったおかげで少女の手並みはおおよそ把握できた。万全の状態で戦えば負けないと言いたいところだが、いかんせん体力を消耗し過ぎた。

 せめて、せめて人でも食らって霊力を補充できれば。


 滅魂されて転生も望めぬ永遠の暗黒へ堕ちることも覚悟した直後、魔犬は人を見つけた。錯覚ではない。巨大な古木の根元に人がいたのだ。

 「ひっ……!」

 まだ若い男だ。熊ほどもある大犬を見て腰を抜かす。

 登山客とも思えぬ軽装で何をやっているのかなどの詮索は後回しだ。犬は天からの贈り物と考え男を餌にすると決めた。

 (許せ。背に腹は代えられぬのでな)

 清丸は若者を頭から丸のみにした。

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