第11話-CAN部と彩眼竜 ⑦
「――カハッ……!」
「んなっ!」
「やめろ、冬華くん!」
本当に一瞬すぎて見逃しそうになったが、その刹那、伊達の右拳が確かに姫野のみぞおちを捉えていた。しかもグーで。
思いきり殴られた姫野は衝撃で倒れこむと、息を失って呻く。すぐさま東雲が支えに入ったが、あまりの強さに悲鳴もでないようだ。
「き、貴様っ! 凛になにをする!」
「なにをするって? 殴ってやったんだよ。気に食わねえからな」
「気に食わないから……? 貴様、ほざくのも大概にしろよ」
「ほお、大概にしなかったらどうなるのか見せてもらおうじゃねえか」
有巣が伊達の胸倉を両手でつかみ、それを嘲るかのように伊達は挑発的に笑ってみせた。
「言わせておけば!」
「ちょっ、やめろって有巣! それに伊達先輩もいいかげんにしてください! なに怒ってんのか知りませんけど、殴っていい理由にはなりませんよ」
「なに怒ってんのか知りませんけど? 笑わせんな。なに怒ってんのか知ろうともしねえくせに」
有巣を引き離した俺に伊達が一歩詰め寄る。焼き焦がすような紅色の瞳に後退る俺の姿が映った。
「殴っていい理由にはならねえだと……。善人ぶってんじゃねえよクソガキ――」
「いいかげんにしないか!」
伊達が吠えると同時に姫野を支えていた東雲が怒鳴る。
そして東雲は一呼吸置くと、説くように落ち着いた口調で語りかけた。
「冬華くん。君の気持ちがわからないわけではない。しかし、こんな事を繰り返しているようでは、君はなにも変われない。そして君に変わる気がないなら、その才能も変革を求めていないということだ。そのような君の手助けなんて僕はする気はない」
「なっ……。てめえまで……、あたしが全部悪いって言うのかよ!」
その言葉にどれだけの重みがあったかは知らないが、普段からは想像できない東雲の視線を浴びた伊達は少し狼狽えてから口を引き結ぶ。そして荒々しくソファーを蹴り飛ばして扉に手をかけると、力任せに開いた。
「なんなんだよ! どいつもこいつも! やってられるかよ!」
「待つんだ! 冬華くん!」
ガタリとソファーが転げる音と同時に、東雲が伊達を呼び止めた。
「暴力的なところは否めないが、君自身を否定する気はまったくない。それだけはわかってほしい。そしてここに連れてきたことも僕は意味のあることだと思っている。とにかくだ。彼らと共に一つでも依頼を解決してみなさい。そうすれば君の望みも叶えよう。いや、きっと自然に叶うだろう――」
バタン、と荒々しく扉が閉まり、部室には最後まで聞き取られることのなかった東雲の言葉と、びりびりと壁を走る反響音だけが静かに染み入る。
その一部始終を俺と有巣はどうすることもできず棒立ちで見守り、東雲はそんな俺たちに振り返り、すまないねと今日何度目かの苦笑いをこぼした。
「――うぐぅぅぅ、あーちゃん、優馬くん……」
「姫野! 大丈夫か?」
「なんとか……痛いけど……大丈夫……」
「あの狂犬め、このままでは絶対に許さん」
やっと呼吸が戻ってきた姫野を見て、有巣は息をまく。
しかし、そんな有巣の腕を止めるかのように姫野は握ると、強く首を振った。
「あーちゃん、それはいいの……。それより、追ってあげて」
「まかせろ! 捕まえて保健所にぶち込んでやる」
「ち、違うの、そうじゃないの……助けてあげてほしいの……」
「は? 助ける」
殴られた衝撃で混乱してるのだろうか。有巣が困惑した顔で固まり、俺が理解できずに聞き返すと、姫野はいたって真剣に頷いた。
「あたしを殴った時の冬華パイセンの目……。あれは本当に辛い目だった。寂しい目だった。たぶんあたしが冬華パイセンを傷つけたんだ。だから追いかけて謝ってほしいの。あたしも後でちゃんと伝えるから」
「そんな……。殴られたのは姫野の方なんだぞ」
「違う。きっとあたしのこの痛みなんかより、冬華パイセンの方がもっと傷付いたの。なんとなくだけど、わかったの。本当に孤独な人の、ちょっと前のあたしみたいな目……」
姫野の目は確信を得たように俺と有巣に訴えていた。何度か感じたことのある姫野の本気の瞳だ。俺が有巣を見ると、有巣は小さくため息をつく。
「わかった。だが、納得はしていないぞ」
「ありがとう。あーちゃん」
有巣は不服そうに返事をすると、姫野の言葉を聞くや否や、こちらを向いた。
「というわけだ。優馬、あの狂犬を追え!」
「えっ! 俺?」
「どう考えたって、貴様が適任だろ」
「そりゃあ、そうかもしれないけど……」
「お願い、優馬くん」
まだ引けていない痛みからくるものだろうか。姫野の苦しそうな表情が俺に訴えている。さすがに涙目には降参せざるを得なかった。
「わかった、わかったよ、行くって! その変わり俺がもし戦闘不能になったら誰が助けてくれんだ」
「死なないように
「理不尽だ……」
硬直する俺に東雲が甘い口調で微笑む。
「大丈夫だよ優馬くん。もし君になにかあったら僕が包み込むように保健室に」
「絶対生きて戻ります」
「それは死亡フラグかな?」
「やめてくれ。てかあんた教師なんだから、あんたが止めろよ!」
「うーん……。ここで僕が介入するのも、なにか違う気がしてね。そういう教育方針じゃないんだ」
こんな時でも相変わらずな東雲につっこむと、東雲は少し考えるフリをしたような仕草をして、まるで用意してあったような答えで微笑んだ。
そして、わざとらしく思い出したように人差し指をピンと立てる。
「あっ! おそらく冬華くんは、美術準備室にいる。頼んだよ」
「話変えやがったな、この無責任教師め!」
ともあれ俺の出兵は決定した。どこかの調査兵のような気分でドアノブに手をかける。相手は巨人ではないが奇行種であることには間違いない。心臓を捧げ――たくはなかった。
一つ深呼吸を置いて、廊下に立つ。なんとなく走らなければいけない。そんな場の空気に駆られて、アキレス健を伸ばすと、有巣がどこか腑に落ちない表情で廊下に出てきた。
「頼んだぞ、優馬」
「ああ、とりあえず姫野のことは伝えておく。それ以上は俺もどうすればいいかわからないからな」
「うむ。凛のことを伝えられればそれで十分だ。あと最後におそらく、凛の発言と関係があるのかもしれんが――」
有巣はそういうと少し背伸びをして俺に耳打ちをする。
「えっ! 本当か?」
「おそらくだ。だが、間違いないだろう。私の視力は両目合わせて四は超えているからな」
「そりゃあ、その目力なわけだ」
「目力と視力は関係ない。くだらんこと言っとらんで早く行ってこい!」
背中を小突かれて走り出すと同時に、有巣の言葉を頭で復唱し困惑する。
しかし、それが事実であれば、これまでの話に辻褄があうのだ。
誤解されたうえで孤独な想いをしていると語った、東雲の表情。
争う原因はいつも瞳のことだという、新田からの情報。
そして本当に辛い目をしていたと訴えた姫野の確証。
すべてがそこに起因するのであれば、本当なら伊達も救われなければならないはずの人物なのだ。
部室のある研究棟を出て、本校舎の美術室を目指す。
熱く湿った風が首をかすめ、脇道に実るヘビイチゴがなにかを見透かすように鮮やかな紅色で揺れた。
その色はきっと真実を見通せない自分たちに向けられた敵意と、悲しみの色なのかもしれない。
「――伊達冬華の目にコンタクトは入っていなかったぞ」
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