第4話-貧乏優男とゲイ術顧問③

「――おい、誰だよ。この超絶イケメンの変態さんは」

「超絶変態さんは貴様ではないのか?」

「綺麗にプラス要因だけ抜かしてくれたな……」


 熱い抱擁を受けたまま、あいかわらず部長席に鎮座ちんざする有巣に怪訝けげんな目を向けると、そいつは何食わぬ顔でこちらを一瞥する。そして「東雲しののめ先生だ」と呟いた。


「先生? こんなやつが?」


 見上げて目線を合わせると、そいつは優しく肯く。


「情報を付け足すとするならば僕の行為は変態ではなくて、全てが芸術なんだよ! もちろん麗奈くんならわかってくれる――」

「この通り東雲先生は変人だが、画家としての才能は秀逸しゅういつで、教師としての腕も高い」

「ははは……。まったくフォローになっていないよ、麗奈くん!」


 有巣が一蹴いっしゅうすると、東雲は肩を落としてソファーにへたり込む。やっと男の胸板から解放された俺は、ひとまず深呼吸をして、気持ちを切り替えることにした。


 東雲しののめあきら。二十代にして星砂高校美術科担当と現役の売れっ子画家というキャリアを兼ね揃えている。しかも長身でイケメン。茶色でブロンドがかった髪も、鮮やかなギンガムチェックのベストも文句ないくらい似合う。甘い言葉遣いや、ちょっと常識外れな雰囲気も王子様タイプだと思えばすべてが納得できるくらいだ。


 生徒からの人気も高く、アッキーなんて呼ばれている。実は男好きだなんて説もあるが、本人はもっぱら芸術のためのスキンシップだと豪語ごうごしていた。芸術ってコワイ。


「アッキー先生は二年生の担任だし、美術の授業取ってない優馬くんが知らないのも仕方ないよね」


 遅れて来た姫野を加えて、四人でソファーに腰掛ける。なぜか東雲は俺の隣をがっちりキープしていた。


「それで……先生はCAN部になんの用ですか?」


 なるべく目を合わせないように尋ねると、東雲はぐいっと身を寄せて「君に会いに来たんだよ」と耳元で甘くささやいた。


 その姿に姫野はぷすっと笑い、俺は熱のこもる耳を咄嗟とっさに手で塞ぐ。ゲイ術ってコワイ。


 そんな俺を見かねた有巣がため息を吐くと、顔色を変えずに口を開いた。


「東雲先生はCAN部の顧問だ。だからここにいる。それだけだ」

「え……?」


 耳を疑った。鏡を見たら結構なアホ面をしているだろうと思いつつ、聞き返す。


「この人が……顧問……?」

「そうだ」

「身の危険を感じるんだけど」

「そんなことはないよ、武者小路くん! 僕は君が思っている以上に健全だ」

「そうだよ、優馬くん! アッキー先生はちょっと面白いだけだよ!」

「どちらも説得力がない!」

「「そんなっ!」」


 我が部の二大変人が揃って昭和後期に一世を風靡ふうびした少女漫画のようなリアクションをとる。ベル薔薇かよ。お蝶夫人かよ。だって涙は出ないのよ、男の子だもん。


「で、なんでこの人がCAN部の顧問なんだ?」


 問うと、有巣は少し視線を足元に落として唇を開く。しかし、


「――昔もらった恩を返しにきたんだよ」


 答えは真横から返ってきた。


「恩返し……?」


 優しく微笑む隣に聞き返すと、東雲は菩薩ぼさつのように静かに頷いた。


「そうだ。僕が一生かかっても返せないくらいの恩があるんだよ。有巣くんのお父さんと君の――」

「東雲先生。なにかご用事があって来られたのではないのですか? 先生も忙しい身なのですから、要件は手短かに」

「おっと……、そうだね。そうだったね……」


 有巣が話を遮る。睨みつけるような暗い視線は、何かをけん制しているようにも見えた。

 東雲はどこか切なそうに、しかし笑って首を振ると、また弾けるような表情と声音で語りだす。


「まずは君たちに挨拶しに来たんだ! 顧問なのに、まったく顔を出せていなかったからね。こんな僕だがよろしく頼むよ。できることがあったら、なんでも言ってくれ!」


 朗らかに、穏やかに、一人ひとりに目を配って微笑む。変わってはいるが、滲みでる人柄は優しくてよい先生だ。今度はしっかりと向き合って肯くことができた。


「それと……。手ぶらってのも申し訳ないからね。ひとつ依頼を持ってきた。引き受けてくれないかい?」


 おっと、どうやらこちらが本題らしい。どことなく図々しい一面もある顧問に皮肉で返してみることにした。


「ヌードモデルは勘弁ですよ?」

「それも加えると依頼は二つになる」

「だからやらないって! あんた人の話聞いてないだろ!」

「ではモデルの方は後日、優馬が引き受けるということでよろしいでしょうか?」

「おい、有巣。勝手に承諾するんじゃない」

「優馬くんのヌード……。やって、みるのも、いいんじゃない……かな?」

「なに言ってんだ姫野……」

「じゃあ姫野くんも一緒に描こうじゃないか!」

「えっ! あ、あたしもっ!? いいんですか!?」

「いいわけないだ――」

「もちろん麗奈くんも一緒に!」

「公開処刑か!」

「ま……まあ、わたしは、部長として……、依頼を最後まで見届ける義務もあるしな」

「おい。おまえまでホントになに言ってんの? 先生、頼むんでもう一つの依頼について話してください!」


 そんなやりとりを笑い泣き寸前で見守る東雲に問いかけることで話は前進する。残念なことにヌードモデルについては一時保留となった。常識的に中止にならないのが不思議でならない。


「うん。依頼についてなんだが、完結に言うと……お友だちになってほしい子がいるんだ」

「お友だちっ!? 断然だんぜん引き受けますっ!」


 その言葉がどれだけ魅力的に聞こえたのだろうか。姫野が身をのり出して親指を立てる。

 だが、一方で東雲の顔はわずかに引きつっていた。誰が見てもわかる、訳ありだ。


 そもそも、


「先生からわざわざ友達になってほしい、と言わなければならないほど問題が生じているのですか?」


 こういうことだろう。


 有巣の核をついた質問に東雲の笑顔ががれ、真剣な表情が浮き出る。姫野も気付いたようで、のり出した身体をソファーに戻した。


「さすが麗奈くん、鋭いね。その通りなんだよ。実際に僕の手には少し余ることなんだ」

「先生でも難しいことに俺たちがなんとかできると思わないんですけど……」

「それがそうでもないと思っている。なぜなら――」


 恐る恐る訊ねると東雲は姫野に優しく微笑みかけた。


「姫野くんの一件を解決した君たちならきっとできるだろうと思うからさ」

「……あたしの?」


 姫野はわずかにうつむくと小声を漏らす。そして恐々と東雲に問うた。


「その子は……。今、どういう状況なのですか」

「簡潔に言うと、誤解された上に孤独のふちに立っている」

「そうですか……」


 聞くと姫野は小さな手をきゅっと握りしめ、有巣を見た。

 横に並んで座る二人の視線が重なる。姫野の目は珍しく本気で、有巣はその瞳を数秒見据えると東雲に向き直り、かるくため息を溢した。


「わかりました。とにかく今度部室に来るように伝えてください」

「いいの、あーちゃん!?」

「とりあえずは、だ。本人と話してから決める」

「さすが! 頼れる部長!」

「調子にのるな」


 東雲はそんな二人に頭を下げつつ「彼女たちは心で通じ合っているんだね」なんて囁く。それについては黙って肯くことにした。


「というか、先生は見捨てないんですね。普通だったらわざわざそこまで関わらないような気がしますけど」

「おいおい、僕はそんな心ない教師じゃないさ。しかも身近に不幸があるだけで、絵はくもってしまうものだからね」

「絵の方はよくわからないですけど……。先生が良い人ってことはよくわかりました」

「わかってくれたなら僕も安心だ。それに――君も見過ごせない性格だろう」


 なぜか見透かしたように笑う東雲に「どうですかね……」なんてお茶を濁す。


 その後、東雲は「先入観をもってほしくないからね」と詳細は語らず、前報酬だと高級そうな洋菓子セットを置いて帰って行った。


 案の定、姫野がその包をさっそく開封してしまったがために、それを茶菓子にして三人で他愛のない会話をする。


「どんな子なんだろうね」という姫野に有巣は無関心に返事をして「だが、これを食べてしまった以上後戻りできないのは確かだ。これで断っては理不尽だからな」と口いっぱいにマドレードを頬張る姫野に責め立てるような顔を向けるが、自分もマカロンを口に含めると、にへっとだらしなく口角を崩す。


 しかし、どうであろうと、誰かを助けたり、力になることは間違いではないと思う。それで仮に結果が伴わなくても責められることもない。


 だから俺たちはそれほど躊躇せず、いわば気楽に、その案件を甘い香りと共に呑み込んだ。

 それがあまりにも苦い青春のとがになるとは知る由もなかったから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る