第55話-報復と許しとその先へ②

「本当にあれでよかったのか?」

「うん。よかったの! あたし的にはベストだよ」


 CAN部に戻る道すがら、俺は姫野に尋ねた。


「姫野も変だよな。あれで許せちゃうなんてさ」


 俺が呆れた顔を見せると、姫野は眉を吊り上げて唇を尖らせる。


「変とは理不尽です。本当に変なのは、そんなあたしの意志を尊重しない優馬くんなのです。――どう? 似てないっ?」

「有巣……で、いんだよな?」

「もちろん! 似てると思ったんだけどなー」

「いや、ちゃんと似てたよ」

「ほんとに!? やったねー! いえーぃ!!」


 ハイタッチをせまられて打ち返す。

 姫野は嬉しそうに微笑み、そんな姫野がおかしくて俺も笑っていた。


 しばらくケラケラと笑っていた姫野は、息を整えると遠い目を夕暮れの空に向ける。


「確かに許しちゃっていいのかなって思ったよ。それに、こうなった今でも世の中は理不尽だって思う。あたしはたまたま運が良くて、これからの未来に希望を持てるわけだけど、あたしと同じような辛い想いをしてる人だって、この瞬間にもどこかにはいるはずなの」


 姫野は自分の手を握りしめて見つめた。


「けどね、だからこそ、こんな世の中だからこそ、あたし達はこうやって乗り越えて、強くなれるんじゃないかな? 少なくともあたしはそう思ったんだ。そう思ったら、逆にあたしは恵まれてるんだって、許しちゃってもいいんじゃないかなって思ったんだよね」


 そう微笑んだ姫野にきっと偽りはない。

 そこにあるのは姫野の優しさと馬鹿が付くほど真っ直ぐな意思の強さだ。


「そっか……。尊敬するよ。俺はたぶん、そんな簡単に人を許すことはできない」


 姫野は、えへっと口元を緩めた。


「でもね、それもこれも、こうやって二人に出会えたからこそなんだよ。ありがとね。本当に二人に出会えてよかったー。そこがあたしの一番恵まれてたことかな!」

「ああ。俺も姫野と友達になれてよかったって思ってるよ」


 そういうと姫野は弾けるような、けど少し恥ずかしいような笑顔を見せる。

 ちょうど研究棟までの中間地点。噴水の音がすぐそこから聞こえた。


「せっかく、いろいろ振り切ったついでに、もうひとつ言っちゃおうかな!」


 ふうっ、と息を吸うと姫野は噴水の前まで小走りし、急に足を止めて振り返る。


「ん? どうした……?」


 俺も立ち止まった。

 姫野は胸元で両手を合わせると、目線を少し下げる。


 爽やかな風が芝を揺らし、姫野の髪は夕刻の日差しを取り込んで煌めく。

 噴水から噴き出した水は虹を霞め、全てがあわいパステルカラーのように映る。

 その視界の中心で頬を赤らめた姫野が、そっと唇をほどいた。


「今回は、本当に……ありがとね」

「なんだよ。そんな改まらなくたっていいのに」

「そっ、それでね! その……お礼というか、なんというか……」

「いや、別にお礼なんていらないって」

「とっ、とりあえず聞いて!」


 姫野は口をあわあわしながら、俺の目をまっすぐ見つめる。俺は黙って頷いた。


「その、あの……もしよかったら、お礼ってわけじゃないかもなんだけど……、あたしに、あたしに……」


 姫野は大きく息を吸うと、ごくんと一回のみ込んで、口を開いた。


「もしよかったら、あたしに優馬くんのお味噌汁を毎日作らせてください!!」


 姫野はそう言い切ると、ぼしゅっと爆発したように毛を逆立てて顔を真っ赤にした。


「それって……」


 目線の先の姫野はもぞもぞと指先を絡めながら、控えめに俺を見つめていた。

 俺は考える。それは嬉しい、嬉しいんだけど……。


「うーん……。それはいいや」

「えっ……」


 固まった姫野の顔からは貧血にでもなったかのように突然、赤みが消える。


「いやー。味噌汁は毎朝俺が作ってるから大丈夫だよ。それに俺が作ってやらないと妹たちも困るからさ。もしかしてうちの家庭のこと気にかけて、朝の手間をはぶこうとしてくれたのか? ありがとな。その気持ちだけでも受け取っておくよ」


 俺がちょっと悪いことしたかな、とさりげなく笑うと、姫野は固まったまま、口をあんぐり開ける。


「それ、本気で言ってるの? あたしが言ったことの意味……わかってる?」

「意味? お礼として、毎日味噌汁を作ってくれるって話だろ? 仮に学校に持ってくるとしても容器に困るし、これから夏だから腐っちゃうかもしれないって考えると――」

「もういい。やっぱりなんでもない」


 俺が首を傾げると姫野は大きく、深く、ため息をついた。


「一難去って、また一難か……。これは申し分ない青春の幕開けっぽいね」


 恨めしそうに俺をにらむ姫野。


「俺……なんか悪いこと言ったか?」

「ううん。なんでもない。ほらっ、突っ立ってないで早く帰ろ! じゃないと、あーちゃんの機嫌が悪くなる一方だよ!」

「えっ? なんだよ、気になるじゃんか。それに姫野が立ち止ったんだろ」

「あーあーあー、聞こえませーん」


 姫野は両手で耳を塞ぐと、そのまま走り出した。俺もそれを追うように後ろを駆ける。


 ……ったく、やっぱり姫野ってやつはよくわからん。

 カラスが馬鹿にするような声で鳴いている。春終わりの綺麗に晴れた夕方。激動の一日の幕引きだった。


 ――あと悪い事がひとつ。

 夕食の片付けをしている唯に、女友達から、毎日味噌汁を作らせてくれと言われたけど、悪いから断ったと言ったら、持っていた皿を落として割ってしまった。

 そして唯は、尖った視線で俺を睨むとこう言った。


「その域までいくと犯罪です。同じ女として同情します」


 妹に滅多めったにされないにらみをきかされてお兄ちゃんはちょっとショックだった。

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