第42話-信念と正さとネバー・ギブ・アップ⑤

「さて、諸君。空気も心も温まったところで、これからの話をしようではないか。今日の目的はそれだろう?」


 俺達のやりとりを静かに見守っていた千鶴さんが部長席に座り直し、棒付きキャンディーを咥える。

 有巣はこくりと肯き、姫野と共にやっとソファーに腰を落ち着かした。


「凛。貴様はこのままでいいのか? はっきり言うがここ数日、結構な言われ様だぞ」


 学校でも掲示板でも姫野の話題は依然いぜん収まらない。このまま何事もなく以前通りの学校生活が送れるほど、姫野に関する周囲の対応は優しいとは言い難かった。それはきっと姫野自身もわかっていたはずで、だからこそ今日まで学校に来れなかったのだろう。


 姫野は涙の残るまぶたこすりながら微笑んだ。


「ありがとうね。でも、これはどうすることもできない問題なんだよ」

「だからと言って、そんな理不尽な」


 姫野は首を横に振る。


「やっぱり、どんなに頑張ってもむくわれないことってあるんだよ。あたしには二人がいるだけで十分過ぎるほど幸運なわけで――」


 姫野は優しく、自分自身を説き伏せるように言った。


「だから日陰でこっそりと三年間送れればそれ以上は求めないよ。思い描いてたものとはだいぶ違ってくるけど、あたしにとっては大きな成長だと思うんだ。それに、もしかしたら時が解決してくれるかもしれないし」


 姫野は悲しげに、でも割り切ったように顔をあげる。


「そんなことで……わたしは納得できない。だって、凛はなにも」

「いいの。それがこの世界なんだよ。どうにもならないことだってあるの」


 苦く笑った姫野が俺に向く。

 俺はその笑顔から目を逸らした。姫野の輝かしい青春を取り戻すなんてかっこつけたのにも関わらず、俺はそこから目を逸らしてしまった。

 だって……姫野は俺と同じだったんだ。


 姫野は諦めていた。達観たっかんしていた。体感し、経験して、その上で答えを導き出している。


 理不尽だからこそ世界は正常に動いている。そのことをしっかり理解していた。

 正しくても、努力しても、変えられない。報われないことがあることを知っていた。

 だから俺も納得してしまった。


 心臓にぽっかりと穴が空いている気がして、そこに嫌な冷たさがにじむ。

 本当はこんなこと間違いだってわかっている。けれど、そうやって世界は正しく回っていくんだ。だから姫野の言葉を素直に受け入れるしかないと思ってしまった。


 もしかしたら姫野の言う通り、時間が経てば、ほとぼりが冷めるかもしれない。週が明ければ、みんな何事もなかったかのようになっているかもしれない。そうなればそれでいい。姫野も納得して受け入れているんだ。



『――優馬。本当にそれでいいのか?』



 心臓がどくりと音を立てる。

 暗い暗い闇の底から、小さな小さな声がしている気がする。

 左胸から脳へ、少しずつ記憶が呼び起こされる。


 暗くて黒い、そこは闇をありのまま受け入れたような空間だった。

 双子を身ごもる母さんを支えながら、泣きじゃくる唯を優しくあやす。


 部屋の中央には何語かわからない呪文をひたすらに唱える立派な和装の坊主がいて、次々にやってくる真っ黒いスーツや着物を身にまとった大人達にお辞儀をする。


 坊主の正面に大きな写真があって、そこ写るのは親父だ。

 声はそこからしている気がした。


『なあ、優馬。おまえはそれで本当に良いと思っているのか?』


 良いわけないだろ。と俺は応える。


『ならばなぜ、あの子から目を逸らす』


 だって、どうにもならないじゃないか。俺は親父のおかげでそれがよくわかったんだ。世の中は理不尽だって、そう教えてくれたのは親父じゃないか。


『そうだが……、そこで屈してどうする。その先に明るい未来はあるのか?』


 無い。そんなの俺だってよくわかってる。でも、


『どうにもならないから、か? だが、そうじゃない。オレが聞きたいことは優馬がどうしたいと思うかだ。優馬はあの子のこれからがどうなれば良いと思う?』


 そんなの決まってるだろ。この状況をなんとかしてやりたい。正しいことをして、努力したやつが馬鹿を見るのは、もう……こりごりなんだ。


 親父の遺影が少し微笑んだ気がした。


『なら、そこで足を止めるんじゃない。とにかく考えろ、そして行動に移せ。そうすれば道は開ける』


 そんな簡単に言うなよ。親父だって……どうにもならなかったじゃないか。


『優馬、あの子を父さんと一緒にするな。あの子は生きている。生きていればいくらだってチャンスはあるさ』


 けど……。


『諦めるな。諦めなければ、だ』


 ただ阿呆みたいに笑っているだけの写真が俺の胸を強く荒げる。

 やっぱり呪いだ。こうなると俺はもう止まりたくないし、止まれない。

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