第38話-信念と正さとネバー・ギブ・アップ①

 姫野の青春を取り戻すと息巻いたものの、簡単にはいかなかった。

 噂は瞬く間に広まり、姫野はすっかり非難の的。噂が噂を呼び、情報は張り巡らされ、姫野が浪人して入学した事実も周知のところになっていた。


 島崎のもとへも行ったが、シラを切られて無駄足だった。

 当然だ。掲示板に書かれただけで証拠はない。憮然ぶぜんとした態度を崩さない島崎に激怒し、つっかかっていく有巣を止めるだけで俺はかなりまいってしまった。


 しかし、一番の問題は姫野があの日から学校に来なくなってしまったことだ。風邪を理由に休み続け、姿を見せないまま週末を迎えた。

 メッセージは送っているし、電話だってしている。だが姫野からの応答は全くなかった。


「だぁぁー!! どうすればいいのだ。これでは小説も手につかん!」


 放課後、部室。有巣は叫びながらソファーに倒れ込む。


「悪いけど今日はバイトだから帰るぞ?」

「ぐぅぅー……裏切り武者め。さながら謀反むほんと言ったところか」

「おい、それは使い方間違ってるだろ。それに俺だってなんとかしたいさ。けど姫野があれじゃあ……」


 二人して黙りこむ。

 そう。いくら奮闘しようと最終的には姫野の問題だ。俺たちでは解決できない。


「とにかく俺はもう行くから」

「ああ、止めはしない」


 俺は顔をソファーに埋めたままの有巣を放置して部室を出た。研究棟のエントランスは心の内と反対に眩い光が満ち溢れる。これを造ったデザイナーには心底惚れぼれする。そんなふうに気をまぎらわせていると前から、同様に神々しさを放つ人がやってきた。


「おおっ! ユーマ少年じゃないか! 今日はもう帰るのか?」


 千鶴さんだ。いつも通りのたっぷりな開襟バストに、便所サンダル装備の異色なコラボレーション。今日も大サービスの千鶴さんだったが、俺の心がおどるわけではなかった。


「はい。今日はバイトがあるんで」


 気力の無い返事と軽い会釈えしゃくをして通り過ぎる――と肩を掴まれて、ぐいっと後ろから抱きしめられた。


 千鶴さんにとって、この手のスキンシップはもはや日常なのだろうか。

 いくら気分が沈んでいるとしても、さすがに俺は反応せざるを得なかった。


「ち、ちょっと! あいかわらずですけど、なんですか!?」

「ん? 可愛い後輩を文字通り可愛がりたかったのだよ」

「別に抱きしめる必要はない――痛っ!」

「お姉さんに口答えするんじゃない」


 千鶴さんは胸と腕でがっちり俺をホールドする。そしてなぜか足を絡めて、耳元で色っぽく息を吐く。耳が溶けそうなほど熱くなって、こうなると完全にお手上げだ。


「わかりました。俺が悪かったです」

「うむ。よろしい」


 千鶴さんはあでやかにささやくと力をゆるめる。しかし解放してくれるわけではない。


「ところでユーマ。なにをそんなに悩んでいる?」

「えっ!?」

「顔に書いてあるぞ。お姉さんにはお見通しだ」


 俺は笑ってため息をついた。やっぱりこの人はすごい。読心術どくしんじゅつが使えるようだ。


 それから俺は抱きしめられたまま、時間の許す限り今日までの出来事を話した。姫野のこと、島崎のこと、有巣と俺がどうしたいのか。所々で頷いてくれる千鶴さんはやっぱり姉のようで安心できる。躊躇ちゅうちょなく心も預けてしまえそうだ。


 千鶴さんは俺の話を最後まで聞くと「よし、わかった」と言い、腕をほどく。


「レナも同じような顔をしていたのだが、かたくなに口を割らん。あいつは意固地いこじだから自分達でどうにか解決しようとする節があるんだ。やはりユーマに聞きに来て正解だった」

「え? じゃあ、もしかして……」

「そのためにここに来た」


 感服かんぷくだ。全ては千鶴さんの思惑通り。絶対この人には敵わないと思う。


「でもレナが誰かと悩みを共有しているということがワタシは何より嬉しいよ」


 そういうと千鶴さんは大きくガッツポーズを作り、高らかに笑った。


「さて、ではこの千鶴姉さんがひと肌でも、ふた肌でも、いや、全身脱ごうじゃないか!」


 この人といると全てが小さく見えてしまうのは俺だけだろうか。

 千鶴さんは「任せろっ!」と手をひらひら振ると研究棟の奥へと、光の中へと消えていく。次は有巣に会いに行くのだろう。俺は頭を下げてそれを見送った。


 有巣からメッセージが来たのはそれからものの数分のこと。


『明日、午前十時。部室に集合。以上』


 にわかにでも小説家のくせに、なんて飾り気の無い文面だよ。

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