第30話-有巣と姫野と友情と ③

「――うっぷ……。気持ち悪いよぉ」

「当たり前だ! どれだけ回れば気が済むのだ、この阿呆鳥あほうどり!」

「そもそもなんで回る必要があったんだよ」

「なんか、……っぷ。嬉しさを身体全体で表現してしまい……うぅぇ」


 いったい何周したのだろう。俺達はソファーにぐったりと倒れ込んでいた。

 一人だけ向かい側に腰掛けた有巣は天を仰いで、頭をくらくらさせている。


「しかし、たまにはこういうのも悪くない。少し楽しかった」


 わずかに口元をひくつかす有巣に俺と姫野は驚愕の眼差しを送る。


「姫野、お前が回し過ぎたせいで有巣が壊れたぞ」

「ご、ごめんなさい」

「おい貴様ら……。わたしは正常だ」


 有巣は乱れた髪を片手で後ろに振りやると目を細めて俺と姫野を睨む。


「ふふっ、有巣さんって本当に面白いなぁ!」

「……ッ。やっぱり貴様の友達はやめるとするか」

「ち、ちょっと待ってよぉ! ごめんなさいだから友達でいてよぉ……」


 立ち上がって必死に有巣の肩を揺さぶる姫野は、またも涙を溜めていて、


「わかった、わかった。それに、わたしは、一度言ったことは、簡単に変えない」


 回されて揺さぶられた挙句、せっかく払った髪を再び乱された有巣はそれを適当にあしらった。

 姫野は有巣の隣にきちん座り直して「ありがとう」と手を取る。だらしないくらい顔を緩ませて、これでもかというくらい満面の笑み。


 姫野はなんでこんな表情豊かになれるのだろう。こっちまで笑顔になってしまう。

 有巣も見慣れない、しかし、似合い過ぎる笑顔を浮かべていた。


「そうだ有巣さん! 今度プリクラ撮りに行こっ!」

「は? なぜだ?」

「なんと、女子校生は友達同士でプリクラを取るものなのです!」

「初耳だが……。しかし、女子ということは武者小路は含まれないのか? それは優越感があるな!」


 有巣は勝ち誇ったように顎を引いてにやつく。性格悪っ。


「おい、仲間外れはいけないんだぞ」

「じゃあ皆で撮りに行こうよ! 皆で遊びいって、ご飯食べて、プリクラ撮るの! 青春だなー、楽しみだなー! 楽しみ過ぎて今日眠れるかなぁ……」


 俺と有巣をきらきらした目で往復させる姫野は尻尾を振る子犬のようだ。やっと描けるようになった青春像に夢膨らませている少女は有巣の手を両手で包み直し、語り始める。


「あたしね、二人と友達になれて本当に嬉しいんだ。それにただの友達じゃなくて部活メイトなんだよ! ってことは青春という列車に共に乗り込む……いわば青春のスタンドバイミーフレンド! 略してBSSフレンド!」

「意味がわからんぞ……。武者小路優馬、解説してくれ」

「いや、俺もよくわからん。しかもBSSって、どう略すればそうなるんだよ」

「それは、ブルー・スプリング・スタンドバイミー・フレンド。だよっ!」

「そのまんまかよ」


 呆れてこめかみを押さえる俺と、くだらなすぎて口が半開いている有巣を気にもかけず、姫野はにっこりと笑窪を作る。


「ほらね、三人でいればこんなに楽しいよっ! それに二人といればあたしは……、あたしは……」


 そこまで言うと姫野からすっと表情が消え失せた。


「ん? どうした?」


 姫野は大事そうに包んでいた有巣の掌に視線を落とすと、うれいのにじむ低い声で呟く。


「そうだ。もう一つだけ、昔のあたしのことで言えることがあった」

「……なんだ?」


 有巣も急に真剣な表情を浮かべ、俺もただならぬ雰囲気を感じて少し身構えた。

 静まり返った空間で姫野が小さく唇を開く。


「中学時代のあたし、自分でも忘れたいくらい嫌いでさ」


 つい数秒前の姫野とは一転。氷のように冷たい口調。

 なにかに怒っているような、されど悲痛をにじませているような。どこまでも深く沈み込んだ場所のことを言っているように姫野は続けて、こう言った。


「それで今のあたしも、あたしは大嫌いだ」


 俯いた姫野は震えるように強く拳を握りしめる。

 すると当然。その中にある手は締め付けられるわけで、有巣は小さく悲鳴をあげた。


「……? あっ! ごめん有巣さん! 大丈夫?」


 姫野は慌てて手を離し、立ち上がる。


「わ、わたしは大したことない。それよりも『大丈夫?』なのは貴様の方だ……」


 有巣が声に恐れを含んで問おうとすると、姫野は足元に落としていた視線を上げ、引きつった笑顔で一歩退く。


「あ、あっははー! なんか今日は色んなことがあったから気が動転してるのかなぁ!! 疲れちゃったし、もう帰るねっ!」

「んなっ! おい雌鶏! まだ話は終わってないだろ!」


 眉を寄せる有巣を無視し、話の筋が見えずに困惑する俺に軽く会釈をすると、姫野はスクールバッグを持って出口へ急ぐ。


 そして扉に手をかけたところで肩ごしに振り返り一言囁いた。

 なぜそう言ったのか。それがどんな意味を持つのか。姫野はどのような想いで口にしたのか。そして……俺たちにどうしてほしいのか。


 なにもわからぬままに部室をねるように出ていく姫野を俺はただ茫然ぼうぜんと眺めていた。

 でもきっと、それはなにかの願いだったと思う。


「――あたしがどんな人間でも、二人は友達でいてね」

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