第29話-有巣と姫野と友情と ②

「――それでだ! 貴様、いったい島崎とはどういった関係なんだ?」


 頬が元の美白に戻った有巣が再びこちらを向くと、当然の疑問が発される。


「え……、あ、うん。なんというかなー」

「聞く限りでは同じ中学の出身のようだが、なぜ面と向かっただけであんなにおびえるのだ」


 それは俺も同感だった。背中に隠れていた姫野はまさに異常な怯え方をしていたと思う。


「それは、うん。ちょっと……」

「あと空気姫とはなんだ? 重大な弱みでも握られているのか? 過去になにがあった」

「ち、ちょっと、待って! 質問が止まらないっ!」


 ぐいぐいと迫ってくる有巣に姫野はあたふたと戸惑っていたが、一息ついて落ち着くと言葉を選ぶように発する。


 そこに普段のような曖昧さは無く、健気な笑顔でこう言った。


「まず結論から言うと……、言いたくないからコメントを差し控えさせていただきます!」

「なんだとっ!?」


 有巣は目を見開いて絶句ぜっくした。


「貴様、あれだけやっておきながら説明が無いとはどういうことだ! 理不尽だ!」

「ぅう……、ごめんね。でも今はそうしか……、ちゃんと言える時が来たら言うから……」


 姫野は目を潤ませて胸元で小さく手を組む。


「まあ人に言いたくない事くらいあるだろ。それに今回は俺達が悪かったんだしさ」

「だからと言っても――」


 俺が姫野をかばうと、有巣は納得がいかないといったように訴える。気持ちはわかるが、


「有巣だって、できればBL小説のこと隠しておきたかったんじゃないのか?」

「うっ、それは…………。ふんっ、勝手にしろ!」


 そう吐き捨てると髪先を指に絡めて頬を膨らませた。


「雌鶏ばかりに優しくしやがって……」

「え?」

「なんでもない! この甘やかしゴミカス覗き落ち武者」

「なに怒ってんだよ……。しかも肩書きが増えてるんですけど!」


 そんなやりとりをする俺達を見て、姫野は安心したようにほころんだが、


「おい、雌鶏。なにを能天気に笑っているのだ? 貴様は自分が今おかれている現状を理解していないのか!?」

「あ、はい。ごめんなさい……」


 姫野の気の緩みを有巣は見逃さない。


「本当になにも言えることは無いのか?」


 有巣が鋭くがんくれて、姫野が慌てて目を逸らす。

 すると有巣は姫野が逸らした目線の先に周り込み、再び目を合わせる。

 また姫野が目を逸らして――というのが何度か続いた後に姫野は重たそうに口を開いた。たぶん、こういうのを尋問というのだろう。


「言えることは……、島崎とは同じ中学校だったってことくらいで……」

「他には?」

「あとは……。弱みを握られてるってのは、それに近いものがあって」

「その弱みとはなんだ?」

「それは……、それは言えないし、言いたくない。ごめんねっ!」


 姫野は問い詰めているこっちが苦々しくなるほど露骨に笑みを作った。その悲痛な笑顔に、それまで強気だった有巣も言葉を詰まらせる。


「一人や二人くらい会いたくない人っているでしょ? あいつはそれなんだよ。あたしの地元からこの学校って結構距離あるから、同中はいないと思ったんだけど失敗したなあ」


 姫野のため息が静かに溶けた。


「でも、やっぱり文芸部に行きたくなかったのは、島崎がいたからなんだろ」


 俺の確認に姫野は控えめにうなずく。


「そうだよな。嫌がってるのわかってたのにごめん」


 有巣も気まずそうに、すまなかったと溢す。

 それはあまりにも慣れないことだったらしく、姫野もあたふたしている――と思ったら、なにか閃いたように一瞬固まり、パアッとした笑顔で窓際、つまりは有巣の隣まで行く。


 そして胸に手を当てると、さながら劇中のヒロインのように演じだした。

 この光景、見覚えがある。最近デジャブが多い気がするなあ。気のせいだといいなあ。


「そうなのです。お二人の言う通り、あたしは傷付いてしまったのです。そりゃもう心が張り裂けそうなくらいに!」


 どうやら気のせいではないらしい。ほとんど有巣の台詞そのままだ。

 当の有巣も呆れたような遠い目で寸劇を眺めている。それを先日に自分がしていたことをわかっているのかは別として。


「でも慈悲深いあたしは二人を許します! その変わり……」


 その変わり……?


「草ボーリングと、これから――」

「断る!」


 トラップカード発動。有巣は拒否権を行使した。


「はやっ! 切り換えが早いよ、有巣さん! それに全部言い切ってないっ!」


 有巣に一蹴された姫野は潤んだ目をこちらに向ける。俺に抗議されても……。


「とりあえず最後まで聞いてやろうよ」

「うんうん! 有巣さんのそういうとこ良くないと思うっ!」


 珍しく立場的にも強気の姫野に指差された有巣は、ふてくされたように唇を小さく尖らせる。静かになった有巣を好機とみなして、姫野はそそくさと話を戻した。


「それでね! これはお願いみたいなものなんだけれど――」


 姫野は胸の前でもじもじと手を組む。

 そして、一度床に落とした視線を戻すと脚を内股に構えてゆっくり唇を解いた。


「――有巣さん、優馬くん。あたしと友達になってほしいんだ!」


 すがるようにしめった瞳が、ただ真っ直ぐに俺と有巣を見据えている。


「「友達になる!?」」


 それは、ただ、それだけのことだった。

 姫野はきつく瞼を閉じると身をかがめ、まるで玩具おもちゃをねだる子どものように続ける。


「ぶっちゃけ草ボーリングはどうでもいいの! あたし、二人とお友達になりたい!!」


 有巣も細いが姫野もなかなか華奢きゃしゃな方である。幼児のような見てくれで必死にそれをう姿は一寸いっすんの汚れもなく、ただ鮮明に俺の脳を駆け巡った。


 友達になりたい。その一言に今までこんな重みを感じたことがあっただろうか。

 というか、そもそも、


「俺はすっかり、そのつもりでいたんだけど」

「そ、そうだよねっ! あたしみたいな変な子と友達になりたくなんかない…………へ?」


 姫野は口をぽかん、と開けると呆けた面で首をかしげている。


「もう……お友達……なの?」


 こいつ、本気で言っているのか。


「じゃあ逆に聞くけど、友達じゃないのに、今までよくそんな図々しくいられたな」

「やっぱり積極的にいかないと。と思って……」

「それにさっき島崎に大切な友達だって言ってただろ」

「あれは勢いで…………」


 お互いに首をかしげた後、わずかに笑みが込み上げた。


「友達ってそういうもんじゃないのか? なあ有巣?」


 友情の証明になんの儀式が必要だというのだろう。手を合わせ嬉しそうに頬を緩ます姫野に語りかけつつ、有巣に同意を求める。もちろん有巣だって――


「友達、友達……、ともだ……ち? いや、でも……」


 そうだ。こいつはまともに友達いないんだった。

 有巣は口に手を添えて呪文のようにぶつぶつと唱えている。


「有巣……? どうしたんだ?」


 聞くと、なぜか顔を夕日色に染めた有巣は右腕で肩をそっと抱き、上目線で問うてくる。


「なあ、武者小路優馬。わたしと貴様も、その……、友達か?」


 桃色の唇はかすかに震えているように見えて、俺は気付かないうちに顔を逸らしていた。


「まあ……、有巣がそれでいいなら……な?」


 俺がぶっきら棒に答えると有巣の耳もとはすぐ横に括られている赤いリボンと変わらないほど真っ赤になって、


「じ、じゃあ……。ん!」


 右手を差し出してきた。


「え? なんだよ?」

「見てわからんのか、握手だ! 握手!」

「わからなくはないけど。……なぜ握手?」

「友達になる人間とは握手すると決まっている。幼稚園でそう教わらなかったのか、鈍・甘やかしゴミカス覗き落ち武者!」

「いや決まってないし、それに肩書きが、改・~みたいな感じになってるんですけど!」

「つべこべ言うな、女々ったらしい。いいから早くしろ!」

「ったく……、ほらよ」


 俺は言われるがままに有巣の手を取る。

 柔らかくて、小さい掌。有巣はその手にぎゅっと力を入れると静かに目を合わせて、


「武者小路優馬。貴様がわたしのお友達認定一号だ」


 と優しく微笑んだ。いつか見たような無垢で宝石のような瞳には俺が映り、さっきよりも少し落ち着いた頬はほんのり赤らんでいる。


 つい数秒前まで罵倒文句を尽くしていた女には思えないほど清楚せいそな容姿はお世辞でもなんでもなく、率直に他の女子と比べものにならないと俺は思った。


 そういえばフォークダンスとかは無しとして、妹以外の女子の手をこんなに純粋に握ったのはいつ以来だろう。


 ――とくん。と自分の左胸が音立てるのを聞いた。


 普段の姿からは考えられないほど優しく俺の手を取る有巣の目が、唇が、頬が、甘く綻んでいる。なぜか返す言葉も出てこなくて、有巣も言葉を放つわけではなくて、ひたすらに長い数秒間に俺がどぎまぎとしていると、


「ずる~いぃぃっ!!」


 姫野が猛突進で俺と有巣の間に割って入った。


「あたしがお友達になろうって話してたのに、なんか二人だけいい感じになっちゃって……。仲間外れはだめなんだよっ!!」


 子どもみたいな文句を垂れると、姫野はいつまでも握手を続けている俺達の手を組み直し、三人で輪を作る。さながら幼稚園児みたいだ。


「これでっ、三人ともっ、おッ友達っ!! いっえ~ぃ!」


 にへー、と笑う姫野。


「仕方ない。じゃあ、雌鶏は友達二号だ」

「なにそれっ!? あたしも一番がいいもん……。ねっ! 優馬くん!」


 姫野に下から覗きこまれ、俺は我に返った。


「えっ? あ、あぁ。そもそも、その序列はいらないだろ」

「必要だ。わたしにとっては大切なことなのだ」


 有巣はつんと顔を逸らす。

 それを追うように姫野は有巣の額ぎりぎりに顔を近づけるとにっこり笑った。


「でも、あたしともお友達になってくれるんだよね?」

「ま、まあな……」


 その言葉を聞いて姫野は身体をぶるぶると震わしたと思ったら「やったぁー!!」と飛び跳ねて、俺の手を引き、有巣に向かって回り出した。


「ち、ちょっ、ぶつかってくるな雌鶏! 貴様は何を考えている――」

「いいから、いいから! ほらっ、有巣さんも優馬くんもレッツ・くるくる!」

「いや、意味わかんないんだけど……。――って痛っ!」

「ぼさっとするな、ぼんやり武者! とりあえず貴様も回れ! 早くしないと雌鶏がぶつかってくるだろ!」

「マジかよ……」

「楽しいねっ、嬉しいねっ! お友達イエーィ!!」


 部室の中心で俺達はしばらく回りあった。いや、文字通り姫野に振り回されていた。

 時計回りにぐるぐる。しばらくすると、次は有巣が姫野を追うように逆回転でぐるぐるぐる。お互いに手を引き合って、ぶつかって、足がもつれてきて、ぐるぐるぐるぐる――。


 最初からハイテンションな姫野に比べて、いつのまにか有巣も楽しそうだ。姫野にぶつかりながら、和気藹々わきあいあいとしている姿はこれまでの二人の関係からはとても想像できない。


 その有巣が俺を視界に捉えると、くしゃっと笑う。俺も自分自身の口角も上がっているのを感じざるを得なかった。


 ただ手を取り合って回っているだけなのに。いつ以来だろう、こんなに楽しいのは。

 心臓が無意識に高鳴るのは、この回転動作が激し過ぎるからだろうか。


「まだまだいくぜー!」と叫びながらぶつかってくる姫野の声で俺の鼓動はまた一段と早くなっていった。

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