第28話-有巣と姫野と友情と ①

「言ってやった! 言ってやったもんねっ!!」


 CAN部に戻り、バランスボールに跨った姫野は息を荒げていた。


「なあ、なにがなんだかさっぱりわからないんだけど……。それより大丈夫なのか」

「あ、うん……。ごめんね。あたしのせいで話こじらせちゃって。有巣さんもごめん」

「………………」


 有巣は戻るとすぐ部長席の椅子を窓側に向け、座ったまま振り向かない。


「俺達こそごめん。無理に連れて行ったせいで、姫野に辛い思いさせて」

「いやいや、気にしないでよ! それに島崎になにも言い返せなかった時に、優馬くんも有巣さんもあたしのこと守ってくれてありがとう」

「守ったというか、むしろ元凶みたいなものだし」

「それでもいいの。嬉しかったから」


 あどけなく笑う姫野は普段の朗らかな雰囲気とは対象的にはかない色をしていて、俺はそれ以上、言葉を出す気にはなれなかった。


「うん、じゃあ……、そう言ってもらえると気が晴れるよ。なあ有巣!」


 有巣からはあいかわらず反応がない。


「おい、なんとか言ったらどうなんだよ! おまえにだって責任あるんだからな」


 というか、ほぼこいつの責任なのに。

 そんな有巣を背もたれ越しに見つめた姫野はしょぼくれて呟く。


「やっぱりあたし副部長失格だよね。情けないしさ。有巣さんが怒るのも無理ないよ……」

「姫野……。おい、有巣! いい加減にし――」


 その時だった。椅子のローラーが地面を擦り、寂しさをはらませたふて顔が俺と姫野に向く。そして小さい声でぼそぼそと語り始めた。


「わたしは……、わたしはあの時、貴様はあの男に屈して謝ってしまうと思っていた。けどそうはしなかった。だから……見直した」

「えっ? どういうこと?」

「そして申し訳ないと思った。貴様はあの時、あの状況で、わたしたちへの愚弄ぐろうを跳ね返してみせた。なのにわたしは……、貴様のことをなに一つ考えていなかった、だから……」

「んっ!? なに、なに? どうしたの有巣さん!? しかも話が一方通行だよっ!?」

「いいから聞け」


 有巣は立ち上がって、目を逸らしながら髪先を指でいじる。

 この雰囲気は記憶に新しい。言葉がノドにつっかかっているようだ。


「だから、失格なのはわたしの方で……、だから……」

「だからなんだよ? 有巣、言いたいことはきちんと言っておくべきだぞ」

「うー、わかってる! 覗きは黙ってろ!」

「まだ覗きって継続してたの!? ちなみにゴボウは細すぎないからな」


 俺が釘を刺すと、有巣は顔を真っ赤にして、それを隠すように身体を直角に曲げた。繊細な黒髪がデスクに被さる。


 うん、頑張れ。あと一言だ。


「えっ!? なにっ!? どうしたの? 有巣さん、どうしちゃったの?」

「大丈夫。聞き逃すかもしれないから静かにして」


 姫野が困惑するのも無理はない。だって想像つかないもんね。鬼畜嬢が――


「姫野凛……。ごめんなさい」


 ――謝る姿って。

 そして今回も、


「蚊の鳴くような声……」

「う、うるさい! これ以上声量上げたら、血い吐くぞ!」

「なんの強迫だよ。それに普通に声出てるじゃんか」

「あー! 黙れ、黙れっ! 謝ったんだからいいだろ! 文句無いだろ!」

「その態度でよく謝る気になるよな」


 ジト目を向けると、有巣はスカートの裾をきゅっと掴む。


「だって、そうでないと理不尽ではないか。わたしが悪かったのは間違いない」


 そうだ。まだ出会って日の浅い俺でもわかる。

 道理が通っていなければ、決して自分をも許さない。有巣麗奈とはそういうやつだ。


「だってさ、姫野。とりあえず有巣にはこれが精一杯らしい」

「別に精一杯ではない! わたしだって本気出せばまだまだっ!」

「じゃあ……、土下座する?」

「えっ……。ど、どげ……ざ?」


 俺はふざけて言ったつもりだったが、有巣は口を半開いて、わずかに目頭を潤ませる。

 ちょっと気持ち良かったけれど、これだと俺がすごい悪者みたいなので冗談だと慌てて手を振る。有巣はほっとしたようで「当たり前だ」とか溢しながら、再び席についた。


 そんなやりとりをただ茫然ぼうぜんと眺めていた姫野が息を吹き返す。


「あ、有巣さんに謝られた……、今晩は豪雪だ! 氷河期がくるっ!」

「んなっ! なんだとこの雌鶏! 貴様までっ!」


 有巣の次の罵声が飛ぶ前に姫野は、くすっと口元を押さえて笑う。


「有巣さんって素直じゃないよね。ちびっ子みたいで可愛い!」

「んがっ! ちびっ子……だと?」

「ぷっ……!」


 おっと、おもわず噴き出してしまった。有巣がめっちゃ睨んでくる。

 わなわな震える有巣に危機感を抱いていると、姫野が唇をそっと膨らませて、たった数時間前に見せた天使のような微笑みで、


「でも……そんな有巣さんが大好き」


 と、言った。

 その言葉はまた耳元をかすめていくような、春風のような温かい音。


 声に振り返る有巣の頬が赤みを落とし、それを悟られまいとするかのように背を向ける。


「もちろん優馬くんもね。二人がいたから、今日は頑張れたって気がするし」

「あ……、うん。ありがとう」


 あまりにも純粋な眼差しを向ける姫野に俺も言葉を失った。

 どうやら、まだ俺の頭は姫野凛という少女に適応しきれていないらしい。


 目の前で天使のように微笑む姫野。天然で馬鹿を言って半泣きになる姫野。そして先ほど文芸部で見せた激昂げっこう。その全てが姫野なのだけれども、だけれども――なんだろう?


 別に普通のことじゃないか。どんな人間だって普通に泣き、笑い、怒る。

 たったそれだけの事なのに。俺はなぜか姫野に対して違和感を持っていた。


 それはまるで不安定に重なった積木のような、間違って触れてしまうと崩れ落ちてしまうような……。俺はただそんな気がしていた。

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