第27話-文芸部と抱えていた爆弾③

 開口第一投目。


「おい貴様。腐っているのは貴様の脳ミソなのではないか」

「…………。あ?」


 鋭く、流水のようにさらっと出てきた言葉に空気は凍てつき、島崎の口元がひきつる。


「もしかして僕に言っているのかい?」

「貴様以外に誰がいるんだ。この無駄眼鏡」


 間髪入れずに伊達眼鏡に的確な罵声を浴びせる有巣。


「この眼鏡は伊達だが、君に無駄と言われることには納得がいかないな」

「伊達と言うのは貴様が使っていいような言葉ではない。貴様のような腐れ脳ミソ野郎には不釣り合いだ。政宗まさむねと仙台に謝れ。ついでに牛タンにでも土下座しろ!」


 意味のわからない批判の仕方だが、有巣の透きとおるような鋭い声は矢を射るように島崎に突き刺さる。眉根はぐっと近寄って、島崎の額には青筋が立った。


 まずいな。このままだと収集しゅうしゅうがつかなくなる。

 なにがまずいかって、相手も穏便おんびんに済ませてくれそうにないってことだ。島崎の細い目は限界まで見開かれ、先ほどの優しい顔はすっかりと消え失せている。


「なんだおまえ。一年のくせに生意気言いやがって」

「一年のくせに生意気? はっ、笑わせるな。基本的な人間としての出来できは貴様よりもわたしの方が数段も上だ。聞いてれば人の部活を弱小呼ばわりしてみたり、腐女子がなんだと馬鹿にしてみたり」


 島崎に反撃の隙を与えない有巣。だが、島崎も引き下がるような男ではなかった。


「おいおい、御令嬢。パパに人の話は最後まで聞くようにって教わらなかったのか。それに君たちの部活もどうせ下らないことだけのお遊び部活なんだろ。弱小でなにが悪い。なにがCAN部だ。笑わせるな」


 ごもっともだが、その言葉にはさすがに俺も苛立ちが芽生える。しかし、


「こんな馬の骨が部長をやっているんだ。どうせ文芸部も大したことはない。部員が減るのも納得だ」


 有巣がこんな事を言ってしまった以上お互い様だ。不安がこもったしかめ面でこちらを見つめる眼鏡くんの心境もわからなくない。


 仕方なく、俺は二人の間に入る。


「えー……。あの、二人とも一旦落ち着きませんか?」

「君は黙っていてくれないか」「貴様は下がってろ」

「あ……、はい」


 きつい。まだ入室して十分も経っていないのに関係は修復不可能な壊滅状態。お互いの部活を本気で罵り合うまでになっていた。なぜこうなる。

 そして眼鏡くん、君も助けてくれ。


 俺がこの場をどう収めようかとあぐねていると、一心に島崎を睨み付けていた有巣が振り向き、血走った瞳が俺を捉える。


「おい、副部長。貴様からもこの腐れ脳ミソになんか言ってやれ」


 正確には姫野を捉えていたようだ。


 いつもならこんな場面でもへらっとして、なんとか空気を取り持ちそうな姫野は、俺の背中を痛いほど握りしめ、その指を小刻みに震わしている。


 やっぱりおかしい。こんなに怯えることが普通ありえるだろうか。助けを求めるようにすがりつく姫野を守ってやれるのは、俺しかいなかった。


「有巣も島崎先輩も、さすがに耳にあまります。もういい加減に――」

「武者小路。貴様に言っているのではない。わたしはCAN部の悪口まで言われて、副部長としてなにか物申す気はないのかと言っているのだ」


 有巣はあくまで副部長の立場として反論させたいらしい。

 今日から活動を始めたばかりなのに加え、半ば強制的に副部長にさせられた姫野に対して、それはあまりにも鬼畜な初仕事。姫野は完全に戦場に巻き込まれてしまったのだった。


「おいおい、有巣嬢。罪の無いユ涙姫ちゃんを矢面に出すなんて、最低じゃないか?」


 姫野にはあくまで紳士的な態度を取る島崎。いちいち反感を覚える言い回しだが、くしくも間違ってはいない。

 その挑発をもろに受けてしまった有巣は苦虫を潰したような形相ぎょうそうで姫野を睨みつける。


 そして目の前まで歩み寄ると、「貴様も盾でもやってるつもりか」と俺を突き放し、背中から姫野をひっぱり出してこう言った。


「なんか言ってやれ、CAN部副部長、姫野凛!」


 有巣に押し出された姫野は島崎と真正面で向き合う。

 そして、


「え、今なんて……?」


 お互いに言葉を失った。

 必死に顔を背ける姫野と、その姫野に釘付けになって、驚愕きょうがくの表情を浮かべる島崎。


 先に言葉を発したのは島崎だった。


「姫野……凛? まさか、おまえ森第一中学の姫野か? でも本当に……」


 姫野は魂が抜け落ちたかのようにがっくりと肩を落として、俺と有巣を振り返る。

 涙で潤み、青冷めた目がこちらに向いた瞬間、姫野ははっとして固まった。


「お、おい、大丈夫か?」


 今にも倒れそうな姫野に近づこうとした俺に対して、右手をつき出し、大丈夫と肯く。

 そして右足を踏ん張り、島崎に向き直った。


「そ、そうですよ! だから何ですか? あたしはCAN部。ふ、副部長の姫野凛です!」


 声が振動している。拳は強く握られて、内側に構えられた脚もおぼつかなく震えていた。


「嘘だろ。お前が? あの姫野がユ涙姫!? 冗談だろ!?」


 島崎はさらに驚いて姫野をまじまじと見つめていたが、口元を緩め再び高笑いを始める。


「それでか、それで隠れてたのか! 気づかれないために? こりゃあ傑作けっさくだ!」


 うつむいた姫野の小さい身体は、後ろから見ても堪えているのがわかるくらい、島崎が発する一言一言に過敏に反応して縮んでいく。


「おい、あいつらは知り合いか?」

「そんなこと聞いてないけど……。そうみたいだな」


 姫野に対しては紳士的だった島崎の変貌へんぼうと、二人の間に流れ始めた他人同士とは思えない空気に疑問が生まれる。


 会話からして二人は知り合いのようだが、見た限りではあまり良い関係とは思えなかった。島崎が完全に姫野を見下しているというか、馬鹿にしているというか。


「あのがねー。人って変わるもんだな。おまえの昔の姿を誰かに教えてやりたいよ」

「…………」


 姫野はびくびくと肩をふるわせ、足元を見たまま言い返せない様子。


「空気姫? 昔の姿? なんだそれは?」

「俺だって知らないよ。けど」


 震える姫野の背中に俺は我慢することができなかった。


「おい、あんたいい加減にしろよ。よくわからないけど嫌がってんだろ」

「優馬くん……」


 肩越しに振り返る姫野は口元を強ばらせ、目尻には淡い滴が溜まっていた。


「貴様。黙って聞いていれば、いちいち嫌味ったらしい。その腐った脳ミソは生ゴミ製か?」

「有巣さん……」


 踏み出した俺の一歩に有巣も合わせる。姫野をこんな状況にしたのは他でもない有巣自身だが、そこは関係無いらしい。


 姫野は震えるパーカーの袖口で瞳を拭うと、かすれた声で、ごめんと呟いた。


「ふん。貴様も情けなさ過ぎるがそれは後だ。今はこいつが憎たらしくて我慢ならん」


 姫野をかばうように並ぶ俺達を見て、島崎は不愉快そうに拍手をしてみせる。


「なんだ姫野。おまえのこと守ってくれるお友達ができたのか。よかったなあ!」


 俺達を丸ごと見下す島崎の手からは、ぱちぱちとしらけた音が鳴る。


「別に友達ではないがな」

「そ、そんなっ……」

「有巣、それは今言わなくていいだろ」


 姫野の悲痛な顔を横に有巣はためらいなく言い返した。この状況でも鬼畜嬢ぶりは全くぶれない。


「だが貴様のような相手の弱みに漬け込むような奴よりかは好きだ。なにもしていない人間に対して理不尽にさげすもうとする輩は特にな。理不尽な奴は絶対に許さない」


 ここもぶれない。


 それはそうと、有巣の言う通り、俺も姫野が弱みを握られているような気はしていた。会話の内容や二人の様子から見ると、どうやら島崎は姫野の昔の姿というやつを知っていて、その事は姫野にとって十分弱点だということ。


「弱みに漬けこむ……か。まああながち間違ってはいないよ。ただ知っているというだけだけどね。この様子だと秘密にしているんだろうなあ。ユ涙姫なんて可愛い渾名付けられてちやほやされてるんだ。知られていれば噂になっているはず」


 ふむふむ、と納得した素振りを見せ、わざと大きい足音を立てて近づいた島崎は、俺達の前で身を屈めて「別にばらしてやってもいいんだぞ」とささやいた。


 その言葉に姫野は顔を上げ、すがるような目で島崎を睨みつける。

 一方の島崎は海でも得た魚のように機嫌良くにやつくと、人差し指を立てた。


「そうだ! おまえが有巣嬢の分も謝れば許してやってもいいぞ。あと先輩は敬えってよく言い聞かせとけ」

「んなっ、なんだと!」


 有巣は目を見開いて激昂し、すぐに姫野に向く。

 当然だ。もしここで提案をんで謝ったら、全て有巣が悪かったと示してしまうことになる。姫野は唇を噛みしめたまま黙りこくってしまった。


「卑怯だ。あんた最低だな」


 この二人の間になにがあるかは知らない。だが、今この場でなんの罪もない姫野にそんなことやらせるような奴はまともな人間じゃない。不快感を顕わにして睨むと島崎は改めて向き合い、鋭く嫌味な目で俺を見据えてきた。


「最低? 最低なのは君たちなんじゃないか?」

「どういうことだよ」

「姫野は、本当はここに来たくなかった。違うかい?」

「な、なんでそのことを……」


 俺は言い返すことができなかった。

 その通りだ。姫野は最初から文芸部に来ることを拒んでいた。理由を話さなかったのは、なにか姫野の弱みと関係しているのだろうか。もしそうなら最低なのは本当に俺達だったのかもしれない。


「図星のようだね。それを君たちが無理矢理連れてきたってとこだろう。そしてその結果がこれだ。おい姫野、友達はちゃんと選ばないと昔みたいになってしまうよ」


 固まる姫野に島崎はさらに付け足す。


「可哀想になあ。こいつら最低だよなあ。一緒にいるのやめた方がいいんじゃないか? あとその意味わからない、価値なさそうな部活もやめたらどうだい? 姫野が望むなら別に文芸部に入れてやってもいいけど、どうする?」

「貴様、いい加減にしろ――」


 有巣から砕けそうなほど強い歯ぎしりが聞こえる。とうとう噴火点に達し髪を逆立てながら踏み出した――その時。


「それは……、それは違う!!」


 耳が裂けそうなくらい高く鋭い声が真横から飛び、有巣も驚いてその方を向く。まぶたをぐっと合わせた姫野だった。


「あんたなんかに、あんたなんかに……、有巣さんや優馬くんを悪く言う資格なんかない!」


 震える唇で大きく息を吸い、姫野は再び叫んだ。


「この二人はあたしにとっての大切な友達なんだ! あんたや、あの時の人間とは違う! 最低なのは、あんた達だよ!」


 言い放つと姫野は島崎に向って、一歩ずつ歩み出す。


「ひ、姫野……? どうしたんだ?」

「どうもしないよ。あたしは大丈夫」


 驚くしかなかった。いつもふわふわと雲のように軽い姫野からは想像もつかないような、本当に姫野かと疑わせるような怒声どせいと、憤りに満ちた表情があらわになる。


 鋭いのに鈍器のようなゆがんだ眼光。震える拳を押さえるように吐き出されたあらい息。

 それら全てが明るい髪と幼い面影を打ち消すように、一歩進むごとに、重く、強く、姫野をまとっていく。


「あたしのことはなんて言われようと構わない。でもこの人達を、そしてあたし達の部活を、馬鹿にすることだけは許さない。この、この……腐れ脳ミソ野郎!」


 唖然とする島崎の正面で姫野はうなるように吐き出した。

 無論、島崎も驚いたようだ。そりゃあもう目を見張って。飼い犬にでも嚙みつかれたような顔をして。


 口元をひくつかすと、冷酷な目を向けて姫野に言い寄る。


「謝るなら早い方がいい。また昔みたいになる――」

「もう前のあたしじゃない。あたしは変わったんだ」


 潤む目を血走らせた姫野は低い声で強く言い返した。そして先程から驚きからだろうか、口を半開かせながら固まっている有巣の手を引いて島崎に背を向ける。


「有巣さん、優馬くん、行こう。こんな腐れ脳ミソ野郎を相手にしてる時間が勿体もったいないよ」

「え、いや……でも……」

「いいからもう行こう」


 わざとらしく落ち着いた声で姫野は顔を上げないまま文芸部の扉に手をかける。


「おい。前みたいに後悔させてやるぞ」


 島崎の言葉に姫野は一度止まって呟くと、力強く扉を開けた。教室の戸は全てを打ち消すように雑な音を響かせる。


「あたしは、昔とは違う」


 ユ涙姫は振り返らず文芸部を後にした。

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