第23話-ユ涙姫と副部長①

 週がひとつ開けた月曜の放課後。俺と有巣は部室で各々の時間を過ごしていた。

 社長席で小説を推敲リライトしている有巣を横目に、俺は新しく搬入した机の組み立てと設置作業をしている。つまりは雑用だ。


「おーい、机ここでいいか?」

「……………………」

「無視かよ」


 有巣は活字から目を離すと、きょとんとした顔でこちらを見る。作業中だからと長い髪を一本にまとめた有巣はどこか幼げで素直に可愛い。外見詐欺とはこれのことだ。


「ああ……。もう少し左が良いのではないか?」


 小説を書いている間は本当に集中していて、俺の話も大半は聞き流しなのだろう。

 好きな事だからなのか。いや、有巣の頭の良さを考えれば人並み外れた集中力の所持者に違いない。それが最大値に乗った世界に凡人が入り込む余地はないってことだ。


「こんなもんか?」

「うむ、そこが良い」


 主の一声により、部室の間取りは完成。

 一通りの作業を終えた俺はティーポットに紅茶パックを入れて、お湯をそそぐ。

 器は二つ。黒が有巣で青が俺のだ。ちなみに今はしまってあるが姫野は橙色オレンジ


 アールグレイの香りが漂い、出来上がったカップを有巣に手渡す。「ありがとう」と聞こえ、「どういたしまして」という平凡な会話が室内をまったりと包んだ。


 意外なことに有巣は、ありがとうは普通に言えるらしい。

 依然として実態の掴めない美少女をマグカップ越しに眺めながらソファーに腰掛ける。


「そういえば昼休みはいつもどこか行ってるけど、やっぱりここにいるのか?」

「ああ、そうだ。ここなら暖かいお茶もあるし、うるさくない」

「完全に自室じゃないか……」

「だからそうだと言っただろ」


 俺の羨望と妬みが込められた視線を鼻で弾き、有巣は再び活字に目を落とす。

 確かに群れるのを好まない有巣にとって、ここは最高の物件だ。


 だからといって学校に自宅って……。でも、今その恩恵を受けているわけだし……。

 なだかんだ、この状況を受け入れかけていると、部室のドアが乱暴に開け放たれる。


「はぁーい! 遅くなって、ごっめんねぇー! 掃除がやたら長くてさー、なんかもうすごいゴミなの。え? どれくらいかって? それはね――」


 ばたばたと靴を脱いで、さっそくバランスボールを陣取る姫野を横目で見ながら、有巣は「うるさくないは訂正しよう」とため息をついた。残念ながら、この部屋の閑静は姫野の出現によって失われてしまったのである。


 有巣は、まあ良いと呟くと、ペンを置いて結っていた髪をほどく。


「よし、揃ったな。ではCAN部の記念すべき一回目の活動だ!」

「なんか、それっぽいな」

「えへへー、なにするのかなー、楽しみだなぁ! 草ボーリ――」

「草ボーリングはやらん」

「はぅー……」


 即答されて、言葉の出ない姫野。


「そうは言ってもやることなんかないだろ。別に依頼があるわけじゃないし」


 俺が姫野のマグカップにも紅茶を注いでいると、有巣は髪を払い人差し指を突き立てた。


「そんなことはない。それに姉様にも無駄に時間を使うなと言われたろ」


 姉様とは生徒会長である神宮司千鶴のこと。月曜日には俺もお世話になったり胸に沈められたりとかで、結局は有巣と仲良くしてほしいという任務を突き付けられた。


 ちなみに今週の昼会放送の千鶴さんはしっかり全身映り、青少年少女の主張コーナーに登場した漫才部にまさかの乱入。勝手にコントを繰り広げて笑いを独占していた。


 俺がそんな大物である千鶴さんと過ごした生徒会室を思い出しているのをよそに、有巣は一週間前のままになっているホワイトボードに『役職』と付け足す。


「今日の活動は決まっているが、その前に部長と副部長を決めなければならない。部活として活動するには必要らしくてな。部長は創設したわたしで良いとして、副部長が必要だ」


 そして姫野を指差す。


「副部長は貴様に任せたい」

「……は? え……、あたし?」


 突然言い渡された姫野は間の抜けた顔をして、その場に固まった。肩にかけたままだったスクールバックを横に置くと、心許ない目で俺を見る。


「あ、あたしなんかしっかりしてないし、基本だめ人間だし……無理でしょ? あたしなんかより優馬くんの方が――」


 チッと、有巣の舌打ちがそれ以上の自虐じぎゃくさえぎった。


「貴様が駄雌鶏だめんどりなのは百も承知だ。それでもわたしは貴様に任ると言っている。貴様がやるのかやらないのか聞いているのだ」


 駄雌鶏だめんどりってなんだよと思いつつも、有巣の静かな怒気に怖気おじけづいて、再び不安な顔を向ける姫野に俺は頷く。


「俺はバイトとか家の用で出られなくなるかもしれないから、姫野がやってくれるとありがたい」


 おぼつかない視線を逸らした姫野は臆病風に吹かれたような顔でうつむいた。


 姫野には悪いが副部長の件は姫野が部室に来る前に決まっていたのだ。有巣に副部長が必要だと言われた俺が姫野にも言った理由で断ったため、半ば強制的に決まったのである。


 しかし、たかが副部長でなにをそんなに不安がっているのだろう。確かに有巣の雑用係だと考えると御免ごめんこうむりたいが、この部活からして所詮は名ばかり役職。


「そっか……。あたしが副部長か。このあたしが…………」


 軽く握った拳を見つめて黙りこくった姫野は、数秒後なにかを決意したように顔を上げると力強く頷き、


「わかった! あたし、姫野凛。責任持ってCAN部副部長を務めさせていただきます!」


 堂々と敬礼をした。

 それでいい、と有巣もおおむね満足なご様子。


「じゃあ、よろしくな副部長」


 俺がなりたてほやほやの副部長にならって敬礼し返すと、姫野は頬を上げ、整った栗色の前髪を撫でる。


「えへへー。不束者ふつつかものですが、どうかよろしくお願いいたしまするぅ」

「不束者と自覚しているなら、改善することだな」

「っ、はぅー……」


 胸の前で悲しげに指を合わせる姫野。有巣よ、他に言い様はないのか。


「素直になれない有巣なりの励ましの言葉だよ。つまりは頑張れって言ってんだ」

「なっ、別にそういうわけで言ったのではない!」


 横から異議いぎを唱える有巣をなだめながら、肯定的な笑顔で姫野にマグカップを渡す。向き合った童顔の少女は嬉しそうにバランスボールの上で体を揺らした。


「やっぱり人から頼られるって嬉しいなぁ……。あたし、こういう大切な役割貰ったのって久しぶりだし」

「別に頼っているわけではないがな。貴様が副部長に決まったのも消去法みたいなも」

「だから余計なこと言うなっての!」

「余計なことではない! わたしは本当のことを言ったまでで――」


 相変わらずの有巣と、それを牽制する俺。

 それを視界にとらえながら、ふーふーと息を吹きかけて紅茶を適温にしていた姫野は、優しい目で俺達の喧噪けんそうを見つめると、とても澄んだ瞳でこう言った。


 そう。思わず俺と有巣が声を失ってしまうほどに澄んだ笑顔で、


「あたし、理由はなんであろうと本当に嬉しいよ。CAN部のためなら、二人のためなら、なんだってできる気がする。だから、一緒に楽しもうね」


 と言った。たったそれだけのことなのに……、それはとても不思議な感覚だった。


 壁掛け時計の秒針音が一切の雑音を失った空間に浸透し、夕時と呼ぶには早すぎる淡い光が差し込む部室は春風でも吹いたような柔らかさに包まれる。

 その中で一切の汚れなく、純粋な笑みを向けている姫野を唖然として見つめてしまった。


 有巣も同じだったようで、いつもどこかに子供っぽさや天然っぷりをにじませているユ涙姫とは全く別のなにかをその姿に感じとったらしい。

 天使の微笑みとでも言えるような一面を見せた姫野に俺達の意識は完全に持っていかれてしまったようだった。


 固まった空気に戸惑ったのか、姫野は慌てて言葉を付け足す。


「と、とにかくっ! あたしなんだって頑張っちゃうから、一緒にCAN部を盛り上げましょー! おー! なんつって……」


 今度はノリとテンションだけで生きてます調ないつも通りの姫野だった。

 さっきの一瞬だけ、あの時だけ、確実になにかが変わっていたように思える。


 反応の無い俺達を不安げに見つめる姫野は、


「そ、そうだな。楽しくしような」

「ふん。当然だ」


 という半歩遅れた賛同を得ると、また嬉しそうに目を細めて深く頷く。

 本当にさっきのはなんだったのだろう。と、ぼんやりした気分のまま話は前進。


 その後は姫野の提案で互いの連絡先を交換。アールグレイがゆったりと香る、温かい午後の一ページだった。

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