第20話-CAN部と千鶴の一声③

「――ふッ」

「うわっ! ちょっと!」


 生暖かい息が耳をかすめて、電気が駆けたように全身が緊張する。


「あっはっは! 可愛いな! 顔が赤いぞ」

「からかわないでくださいよ!」


 意気揚々とした会長は口元に手を置いて目線を合わせてきた。


「もしかしてお姉さんに抱かれて、欲情しちゃったか?」

「貞操の危機を感じただけです」


 無邪気に「同意義じゃあないか」とけらけら笑いながら、その人はソファーにどっぷりと腰を下ろした。


「ところで俺になんの用があるんですか?」

「ん……、ああ、とりあえず座れ」


 そう促されて向き合ったソファーの正面に座ろうとしたが、手招きされて隣に座る。

 座高も俺より頭一つ分高い。


「おい、武者の字!」


 座るやいなや会長は向き直る俺の顔を突然両手でぱんっと押さえて至近距離でまじまじと見つめてきた。この人といると本気で心臓に悪い。


「な、なんですか?」

「スキンシップだ」


 冗談じみた返事でも会長の顔はどこか真剣で、その瞳には自分のまぬけ面が映っていた。


 というかこの人は本当に美々びびしい。遠目から見るとオーラやボディスタイルやらで、どちらかといえばセクシーな印象だが、暖色の肌にきれ長な三白眼。通った鼻筋や潤った真朱しんしゅ色の唇をまじまじと見つめていると、そのまま吸い込まれそうになる。


 思わず見惚れているとその唇が開いて甘い香りが俺の口元に届いた。


「うーん。確かに似ている……」


 会長は両手を顔から離して立ち上がると、突然の類似宣言に困惑する俺を見下ろす。


「気にしないでくれ。こちらの話だ」

「二人しかいないのに、こっちとかそっちとかあるんですか? なんか気になります」

「ん……? ワタシのパンツの色がか? ちなみに黒だ。ガーターベルトではないがな」


 予想以上の情報収穫だ。会長は上下を揃えない主義らしい。


「いや、やっぱりなんでもないです。むしろ会長の思考回路がどういう配線をしているかが気になります」 


 呆れて眉間に手を添える俺をよそに、会長は窓にかかるブラインドの間から外を眺める。


「それでだ。唐突な質問だが、武者の字からレナはどう見える? どういうやつに見える」

「本当に唐突ですね。うーん……。すごく可愛いとは思います」

「……、とは?」

「可愛いんですけど性格が……。とげに毒持った薔薇ばらのような。良くも悪くも高嶺たかねの花です」

「そうだよな、やはりそう思うか。あとあいつに友人はいるか?」

「あまりいるようには見えませんね」

「だろうな……。わかった、ありがとう」


 会長は外から目を戻し、肩をすくめると席に着く。


「ああ見えて、優しい子なのだがな。なにぶん不器用だから駄目だ。しかもそうと言うと、『その駄目の基準が理不尽なので全国の不器用な人々にびてください』と怒られる。究極的には『不器用の基準すら理不尽ではありませんか』ときたもんだ」


 その言いぐさは容易に想像できるので、思わず笑ってしまった。


「あまり優しいイメージは無いですけど……。まだ初めて喋ってから一週間も経ってないのにかなり振り回されてる感ありますし」


 俺が苦笑いすると会長は静かに首を横に振った。


「どうしたらいいかわからないだけなんだよ、あいつは――って、ちょっと待て。おまえたち、まだ喋ってから一週間しか経ってないのか?」

「あ、はい。そうですね。ちょっと先週にトラブル的なことがありまして」

「いや、それは知っている。それより入学してからひと月も経つのに、今までろくに会話もしてこなかったのかってことだ」

「ええ、まあ。有巣は誰とも関わり合いを持たないんで」


 俺が頬をくと、会長はより大きなため息をついて「あのバカ」と呟く。


「そういえば会長は随分と有巣にしたわれていますね。あの有巣が誰かにあんなになつくなんて意外でした」


 俺がさすがは神宮寺千鶴だなと尊敬の眼差しを送ると、会長は胸元を撫でながら「まあ昔ちょっとあってな」と、ほくそ笑んだ。


「ちなみにレナがBL小説を書いているのも、それを武者の字が見てしまったことも知っている」

「うっ……」

「大丈夫だ。BLをすすめたのはワタシだからな」

「へぇー……。って、あんたのせいか! ちっとも大丈夫じゃないです。有巣もよくそれで書こうと思ったな!」

「はっはっは! それがな、どうせレナにはBL小説は書けんだろう。と言ったら、すぐ書き始めた」

「負けず嫌いか……。結構単純ですね」

「結構どころじゃないぞ、あいつは」


 有巣の扱いで会長の右に出る人間はきっといないだろう。


「BLを有巣に薦めたってことは会長は腐女子なんですか?」

「いいや、そういうわけではなくて、ワタシはただ単純にうっふんであっはんなものが好きなんだ。だから百合専もいける! あとは――」

「あー、すみません。そこまで聞いてないです」

「人の話をさえぎるもんじゃない。それにあいつはもともと小説書くのが上手いし、レナみたいな子がBL小説書くとか面白いだろ?」

「そのせいで大変だったんですけど……」

「気にするな。あと、本人の前で腐女子・・・って言葉を使うのはやめておけ。キレるからな」

「え? なぜですか?」


 聞くと、会長は目を吊り上げて低い声で言う。


「男性同士の恋愛を好むだけで腐敗物ふはいぶつ扱いするだなんて理不尽だ! 悪いことなど何一つしていない。むしろ腐っているのは多様な考え方を受け入れられずにさげすもうとするやからの脳ミソだ! だそうだ。レナらしい言い分だと思わないか?」

「確かに有巣らしい。そう言われるとそんな気がしますね」

「ちゃんと道理が通ってるところがあいつの良いところだからな」

「とにかく腐女子は禁句だと……」

「そういうことだ」


 心にメモを取り、未然のトラブルを防いだのに安堵あんどしていると、今度は目の前の人が不機嫌な顔をしていた。次はなんだというのだろう。


「なあ、武者の字。ワタシのこと会長って呼ぶのやめろ。距離を感じる」

「は? なんですか距離って。さっきなんかゼロ距離に引き寄せられましたけど」

「物理的な話ではない。いいか、ワタシのことは千鶴姉さんと呼べ! もしくは千鶴さんでも可っ!」

「また唐突な。じゃあ、とりあえず……千鶴さんで」

「うむ、良い。甘美かんびな響きだ! エロスを感じるぞ!」

「いや。ちょっと待ってください……。どこら辺にエロス!?」

「そうだな……。年上をあえて名前で呼ぶことで関係をみつにし、あわよくばベッドに押し倒せればという背徳感はいとくかんのにじむ呼び方――」

「おい! 名前で呼ばせたのはアンタだろ。普通に神宮寺会長に言い戻しますからね」


 そう反論すると、千鶴さんは幼児のように頬を膨らます。だが、それも規格外に可愛らしい。こんな顔されては素直に「千鶴さん」ともう一度読んであげざるを得なかった。


「ふふふ、素直だな。もちろんワタシからも名前で呼ばせてもらうぞ。確か名前は――」

「ああ、そうだ。すみません、名乗り忘れてました。武者小路――」


だったか?」「優馬と言います」


 二人の声が同時に空中離散する。


 すると千鶴さんは「あっ!」と声を溢して、間違ったことを軽く謝罪してくれた。

 たまに間違われるが、それは死んだ親父の名前です。気にすることもないのだけど。


「じゃあよろしくなユーマ少年!」


 若干頬が引きつっているように感じたが、にっこりと微笑む千鶴さんは本当に姉気質を存分に放出している。


「ああ、あとユーマに頼みたいことがある。そのために残ってもらったんだ」

「なんですか?」

「こんなこと言われても、と思うかもしれないが……」


 手を組んでその上に顎を添えた千鶴さんは、先ほど有巣に見せた鋭い目つきと同じ表情をする。小豆色の眼差しは俺を焼き焦がすかのように見つめ、その面影には今までのセクシーさとはかけ離れた重厚感が周りの空気をもなまりのようにしてしまう。


 これが星砂高校の専制君主せんせいくんしゅ。正面に立って改めて気づかされるポテンシャルだった。


 そして千鶴さんは飴をがりっと噛むと、口を開く。


「身構えるほど難しいことじゃないさ。レナと色々話したり、一緒に活動をしてほしいだけだ。できれば積極的にな」

「……は、はい。え、それをわざわざ?」


 予想外に簡単だった依頼に不思議がると、千鶴さんは慈愛じあいに満ちた表情で言葉を継ぐ。


「さっきも言ったが、レナは誤解されやすい。本人がいけないのだが並の人間じゃあ、あの態度と毒舌の前に一歩引いてしまって、なかなか真正面から向き合ってくれないだろ」


 俺はぎこちなく頷く。確かにみんな有巣とは敬語で話すし、当り障りのない程度にしか付き合おうとしない。


「だから優馬にはあの子をちゃんと真正面から見てやってほしいんだ。言い返してくれたっていい。時には叱ってやってくれてもいい。だからレナを普通の女の子として見てやってくれ。頼む」


 突然頭を下げてきた生徒会長に驚き、俺は了解の意味を込めて頭を上げてくれと頼んだ。


「そんなことは普通にします。でも俺が有巣に言い返すとか叱るってのはあまり想像できないんですけど」

「ふふ、大丈夫だ。あいつは口達者なわりに、言うことやることいい加減だからな。ツッコミ大バーゲンみたいなもんだ」

「バーゲンって言うには、あまりに庶民的ではない気が……」

「それが面白いんだろ。あとこれを機に、少しレナが変わってくれると嬉しいと思っているんだ。いつも無愛想だが、あいつは笑うと超絶可愛いんだぞ」


 ふと今朝を思い出す。確かに有巣は笑うと、その器量の良さが余すとこなく発揮される。

 妖精のような幻影を目に浮かべていると、わざとらしく一息つく音が聞こえて、二人の空間にめができた。


 なにか重要な話が始まるのかもしれない。そんな空気をアクション一つで作り出す有能な会長を黙って見ると真っ直ぐな目線とぶつかり、千鶴さんはさとすように口を開く。


「それに……、あいつを変える事ができるのはユーマだけだ」


 君は運命に導かれし伝説の勇者だ。とでも言われたような感覚を与えられ、背中には重たい十字架がのし掛かった気がした。なにこの大作RPGの序盤みたいな雰囲気。


「そんな、俺じゃなくても有巣には千鶴さんもいるし、部活には姫野もいるので」

「そうじゃない。ユーマでなければいけないんだ。そのうちわかる時がくる。それに――」

「それに……?」

「抱きしめ心地が良いやつに悪い奴はいない!」


 へー。その基準値はどこから算出されるのでしょうか。


「特にユーマは抱き心地が良い。ってことはおまえは最高な逸材だ! はっはっは!」

「その表現はだいぶ卑猥ひわいなのでやめてくれませんか!」


 いつの間にか空気は弛緩しかんして、会長もみんなが知っている少年のような瞳に戻っていた。

 姫野とは違う意味でこの人も全く掴み所がない。


「まあ、そんなとこだ! 長居させてしまって悪かったな。もう戻っていいぞ」


 会長は立ち上がると、今度こそ俺を部屋の扉まで誘導してくれる。


「だが、なんといってもユーマ自身が楽しむことが大切だ。良い部活にしような!」


 他人事ではないかのように頭をわしわしと撫でてくれた会長は本当に姉のようで、妹しかいない俺にとってはなんだか心揺さぶられるような感覚だった。


 もう姫野も帰った後の部室に戻ると、ばつの悪そうな有巣に、ふんと鼻を鳴らされたが、千鶴さんとのやりとりの明示は求められなかった。有巣をここまで抑えられるあの人って一体何者なのだろう。


 有巣はふてくされた顔で「来週の放課後から活動を始める」というと今日は目的達成のために解散。


 CAN部の記念すべき一日目はこれまでの学校生活とは違う、どこか落ち着かない感情を宿したまま、夜の藍色あいいろと共に更けていった。

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