第17話-貧乏優男と創造的で活動的な可能の始まり④
「では手っ取り早く申請書を記入して提出しよう」
有巣は一通り話し終えたようで、社長デスクから書類を取り出し、向かいのソファーに腰を下ろすと、そのうち二枚をこちら側に差し出してきた。
書家並みの達筆で『武者小路優馬』と書かれた入部届からは有巣の育ちの良さがわかる。姫野のも同じだったようだ。
つまりは俺達の入部はすでに確定だったらしい。準備ってこのことかよ。まずは仮入部からお願いしたいのだけど。
「――誓約。以下の規則を守り、わたしは『CAN』部(もしくは同好会)に所属いたします。……CAN部?」
小声で入部届を読んでいた姫野が首を傾げ、俺もそれにならって自分の部活動記入欄に目を落とす。するとそこには『CAN』と書かれていた。なんだこれ?
俺達がクエスチョンマークを浮かべていることに気付いたのか、有巣は自慢気な表情を全面に押し出した。
「ふっ、気が付いたか。部活名はわたしが決めておいたぞ」
「これ、どういうこと? CANって〈できる〉とか〈可能〉って意味だよね?」
そう。CANは可能を示す助動詞。例えば、I can marry my sisters……。あ、それは法律的にも道徳的にも不可能だった。しかも複数系って……おい、俺。
「無論そうだ。だがこれには他の意味がある!」
「なんだよ、他の意味って?」
俺が再度、疑問を投げかけると、有巣はドヤ顔で教えてくれた。
「ふふ、創作活動を英語に直訳してみろ! クリエイティブ・アクティビティだ!」
言って有巣は立ち上がるとホワイトボードに大きい字で『Creative Activity』と書いた。
なるほどね。これは、
「頭文字取っちゃいました的な……」
「冴えてるな、覗き!」
「だから覗きじゃねぇよ」
「有巣さん、ちなみにNはなぁに?」
「小説のノベルだ」
納得した。俺がうんうんと頷くと有巣が大きく日本語表記の部活名を書く。
『創造的活動及び行動〈主に小説〉部』
これが俺達の部活名らしい。同好会のまま一年が過ぎるのだろうけど。
「でもこれで申請通るのか? 他にも同じような活動してる部もあるわけだし」
言うと有巣は人差し指を突き立て、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに頷いた。
「うむ、そこでだ。表向きの活動内容は名前の通りにしようと思う」
「どういうこと?」
「生徒支援型の部活にする。基本的には相談室のようなもので、依頼主のできるようになりたいことや、やりたいことを応援、助力する部活だ。できないことをできるようにする。それでCAN部」
「ほー! それ、かっこいー! 人のために頑張る部活ってことだね!」
「
目を輝かせる姫野の隣で小さく息がこぼれた。胸が絞られるような息苦しさを感じる。
他人のためってのは好きじゃない。他人のためになることをして、自分はなんの得があるというのだろう。例えば……他人のために死んだりしたら。
「おい、どうした? なにか不服なことでもあるのか?」
ボードにもたれかかった有巣の瞳が俺をとらえた。
「いや、なんというかな。あんまり人のためになにかするのは好きじゃなくて」
「意外だな。貴様は結構そういうのが好きだと思っていたのだが」
「そうだよー! だって優馬くんは
「うん……、まあな。しかも優男って勝手に変な
「でへへー、そうでしたー! でも間違ってなかったじゃん? あたしはそう思う。きっと皆もそう思ってるから呼んでるんだよ!」
俺はなぜか
「うーん。まあ、いいけどさあ……」
俺は考える。確かに困っている人は放ってはおけないし、優男と呼ばれる始末だ。しかし、それは本心じゃない気がする。なにか別のものに突き動かされているような。自分でもよくわからない。でもたぶん遺伝だ。
「意外と言えば有巣もだよ。そういうタイプには見えないけど」
「心外だな。わたしにだって貢献心くらいある。しかし、どうせ依頼なんて来ないだろう。というか誰が他人なんぞのために……」
「貢献心の欠片も感じない!」
「うるさい。とにかく
なにやら、ぶつくさ言う有巣を横目に俺はもう一度CANの文字に目を戻す。
「創造的で活動、行動…………」
その言葉の序列には見覚えがある。気がする。
どれだけ絞っても出てこなさそうなほど記憶の底辺にあるなにかを思い出そうとすると、有巣が真っ直ぐな瞳でじっと見つめてきた。
「なにか心当たりでもあるのか?」
「……いいや、でもどこかで聞いたことがあったような、ないような気がしてさ」
腑に落ちないまま「どうでもいいんだけど」と頭を掻くと、有巣はその瞳を部屋の隅に向けて静かに呟いた。声も小さくて、よく聞き取りにくいが、どこか寂しそうな声色なのは気のせいだろうか。
「この言葉はわたしのとても大事な言葉なのだ。大切な、大切な人からもらった言葉……」
有巣のせせらぎのような髪に夕陽が当たる。その髪をなぞるように、そっと陰が俺の足元まで届いていた。
俺も有巣にならって、ぼんやりと同じ方に目を向けていると、ぱん、と床が鳴る。
「うん! やっぱり、かっこいいー!」
姫野がバランスボールを弾きながら入部届の提出部分を切り離していた。
「CAN部! なんか深いなぁー」
「そうか、貴様もこの言葉の良さがわかるのか雌鳥! 見直したぞ!」
いやいや、なんかって言ってる時点で、そんなに深さを感じてはいないだろ。
しかし、初めて二人の意気投合した場面を見る。少し認められた姫野は顔を赤らめると、いえいえと栗色の頭を撫でていた。
「いっぱい考えて動いて、人助けして、楽しい思い出作ろうねっ!」
「は? 別に動くとは言ってないんだが。それに人助けも――」
「え、動かないの? 若いうちに動かないと身体腐っちゃうよ?」
「はあ? わたしは腐らん! だが……まあ無駄にでかい脂肪の塊をぶら下げてる分、貴様は早く腐るかもな」
有巣は姫野の豊満に膨らんだ胸部を指差すと、憎しみを込めたような目で吐き捨てた。
その視線から自分の胸が対象だと気付いた姫野は腕を交差させて覆い隠すようにする。
「……っ、うぅ……。酷いよぉ」
この二人の会話がこんなにも暖かいのは初めて――とか思っていたけれど、結局いつも通りになっている。というか俺がいるのに乳の話すんな。確かにでかいけど。
「………………」
姫野の潤んだ瞳が俺の視線とぶつかる。
「優馬くん。今あたしのおっぱい見たでしょ?」
「は? み、見てない」
「絶対見た」
「絶対見てない」
「もうお嫁にいけない」
「なんでだ!」
俺は不信感をちくちくと浴びせてくる姫野を直視できなくなって、有巣に責任転嫁する。
「有巣が変なこと言うから!」
「人のせいにするんじゃない。実際に見てただろ覗き……いや、今は堂々と見ていたから覗きではないか。すまない」
「堂々となんて見てねえよ!」
「堂々となんて……? じゃあやっぱりチラチラ見てたんじゃん! うわーん。優馬くんのどスケベ! ばかばか」
「だから何でそうなる!」
実にカオスだった。もしかしてこの三人の中での俺はこういう役回りなのだろうか。
「雌鶏も喚くな。乳くらいでうだうだ言いやがって。どうせ嫁に行けなくたって無精子で卵を排出できるから心配ないだろ」
本気で鶏扱いなんですね。というかその美貌で無精子とか言うのやめてくれよ。
「だからあたしは雌鶏じゃないッ! だから、精……男の子に協力してもらわないと妊娠できないもんッ!」
姫野は顔をぼっと沸かすと、言い間違えそうになったのを気にして横目で俺を見てくる。恥ずかしいのはわかるけど、その童顔で妊娠とか言うな。あとその目で俺を見るな。
妹達がこうはならないようにしようと心に刻んだ俺だった。
そんなこと考えているよそで、いよいよ涙が滴になった姫野から核弾頭が落とされる。
「有巣さんのイジワル! 有巣さんはおっぱい無いから、あたしに嫉妬してるんだ!」
詰んだ。姫野も気づいたのか手で口を覆う。でも残念ながら大気中に放った声は消すことができない。しかも小さいとかじゃなくて、無いって言ったしな。
「なっ……、ち、乳くらい、が、なん、なんだというんだ…………」
一瞬で姫野と同じくらい顔を真っ赤にした有巣は眼下に反り立った壁を両手で覆いながら、わなわなと震える。二人揃って同じポーズだ。
「そ、それに実は中にサラシを巻いているだけであって……取ったらすごいん――」
有巣はふ、と我に返る。いったいなにを言っているのだろうという顔をして。耳元までゆでダコのように染めあげると、冷たく、どす黒い目線で姫野を
「この雌鶏……。唐揚げにしてやるっ!」
いっきに殺意を噴出した有巣に恐れをなした姫野は、バランスを崩して床に転げ落ちる。
近寄る有巣が悪魔にでも見えたのだろうか。姫野は生まれたてのヤギのように足をがくがくさせながら後ずさり、一歩、そしてもう一歩。
今のは自業自得だから知らん。俺が関わらないように背を向けた瞬間、
「い、今、優馬くんが、有巣さんの、お、おっぱい見てたよ……」
「……え? なんて?」
俺が寒気と共に振り返ると、さっきまで姫野の前にいた有巣がじりじりとこちらに近付いて来ているではないか。どうする俺。誰かライフカードをくれ。
「ガン見武者。今わたしの胸を見たのか?」
ちょっと落ち着け。てか姫野、目ぇ逸らすな。口笛吹いて誤魔化すな。音出てないし。
「いや、見てないし。まずガン見武者じゃないし。それに見るほどの――あ、いや、なんでもない……です」
「そうか。貴様の意志はよーく伝わった。覚悟、できてるよな?」
「ご、ごめんなさい……」
謝って許してくれないのは重々承知の上ではあったけど。
というか俺悪くないのにっ!
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