第13話-鬼畜嬢と理不尽⑥

 武者小路家に父親はいない。正確に言うと俺が小学四年の冬に交通事故で死んだ。


 早くして大黒柱を失った武者小路家の家計は火の車。ザ・貧乏。母親は昼間働き、夜も週の半分は稼ぎに出ている。ちなみに頼れる親戚もいない。


 長男の自分を含めて兄妹は四人。今もそうだが中学の時には妹達も小さかったし、母親がいない家の中を誰が切り盛りするかって……。もちろん、俺だった。


 別に隠したいような事ではないので、だいたいの我が家の現状を言ってみせる。


「だから俺も中学の時から部活しないで家の手伝いして、今はバイトしてるんだ」


 最後の誕生日に親父からもらったW杯ワールドカップデザインのサッカーボールを毎日のように転がしていた俺は、てっきり中学生になったらサッカー部で汗を流すものだと思っていた。


 縦横無尽じゅうおうむじんにピッチを駆け回っては、値千金あたいせんきんのゴールを決める。シュートを決めたら仲間とハイタッチでも交わすだろうか。みんなでパフォーマンスでも演じるのだろうか。


 だが現実はそう予想通りにいくものじゃない。俺に任されたポジションは武者小路家の大事なゴールキーパーだった。だから友人と遊びに行った記憶や、放課後の教室で何気ない将来の話や恋話をした記憶もあまりない。


 その頃を振り返ると胸が鉛のように重たくなる。重たくなるのに、どこかでぽっかりと穴が空いているような矛盾した感覚に陥る。たぶん今もそうなんだ。


 有巣が説いた部活動未加入者に青春は来ないのかという議論はあながち間違ってないと思うけど、それ以前に青春って具体的になにを指すのだろう。


 俺は一呼吸置いて、先週末のことを思い返す。


 有巣は特例というのは理不尽だと言い放った。まったく同意見だ。特例と聞くと良い響きだけど、別に特例になりたかったわけじゃない。そうならざるを得なかったから。


 でも、それを「理不尽だ」で一蹴されたことは不服だった。だからあえて意地悪な言い方を選んでしまう。


「高校生になって、やっとバイトできるようになったんだ。家のために働かなきゃいけないから学校には特例措置を取ってもらった。有巣の嫌いな特例だよ、理不尽で悪かったな」


 ちょっとした皮肉のつもりだったが、有巣はいつのまにか俯いたまま無反応だった。

 言い過ぎただろうか。わずかに罪悪感もあり、俺は新田を意識したような軽い口調で有巣の顔色を窺う。


「今の嫌味っぽかったな、ごめんごめん! でも全然気にしてないから、大丈夫だから」


 俺がそう言って有巣を見ると、白くて細い指が原稿用紙に食い込み、膝を抱えていた腕は足をへし折るかのようにさらに締め付けを増している。


 そして、はっきりとした口調で「ごめんなさい」と聞こえた。

 それはさっきまでの「すまない」とは格段に重みの差がある「ごめんなさい」だ。


「だから気にしないでいい――」

「本当に……本当に……ごめんなさい」

「え、いや、だから有巣がそんな謝らなくていいから……」


 有巣はよくわからないやつだ。いきなり怒ると思えばへこむし、人のことを罵倒していたと思えば急に素直にもなる。今は完全に沈んでいるけど、やっぱり俺のせいだろうか。


 この空気感には耐えられないので、話を元に戻す。


「そ、そういえば有巣はなんで小説を書きたいと思ったんだ?」


 有巣はゆっくり顔を持ち上げると小さく口を動かす。


「物語の世界は期待を裏切らない。正義が悪を倒してくれるだろ? だから良いんだ」

「うん。確かに」

「現実は悪が勝つことが多い。そんなのは理不尽だ。だからわたしは基本的にマンガやアニメ、もちろん小説も好きだ。それに自分が書いた物なら好きに世界をつくれるしな」

「有巣なら良い創造神になれると思うよ」

「余計なお世話だ」

「ごめんごめん。あとマンガとか読むんだな。意外」

「読むぞ。特に少年誌は毎週買ってる。少年漫画は最高だ! 必ず正義が勝つ!」


 わずかに元気を取り戻した有巣は、拳を突き上げると晴れやかに微笑んだ。

 その姿はさながら少年のようで、普段の有巣を見慣れているせいか、笑ってしまう。


「なにかおかしいか?」

「いいや、そんなことない。それに立ち読みしかできない俺にとって羨ましい限りだ」


 俺が一人ごちると有巣は一度こちらに向けた顔をすぐに反らして頬を赤らめる。


「よ、よかったら……、読み終わったのやろうか?」

「えっ! いいのか!?」

「べ、別に、それくらい……構わん。わたしは、心の、広い、人間だからな」

「感服です」


 そういうと有巣は小さな手の平で頬を押さえて得意げに「ま、まあな」と笑った。


「というか、小説書くのが好きなら開き直って文芸部とかに入ればいいじゃないか」

「それは考えた。だが無理だな。上級生がいたり、自分が自由にできないのは嫌いだ」


 こいつ、やっぱり集団行動向いてないな。俺が顔を引きつらせると、有巣はむきになって続ける。


「部活というのはその集団特有の規則があって、活動日も半ば強制のように決まっている。それに団体単位での活動目標もあるだろう。わたしはしがらみに縛られずに自由に書きたいし、自由に毎日を過ごしていたいのだ」


 有巣はつんとしてそっぽを向き、人差し指で毛先をもてあそぶと、


「それに……、わたしは人が得意ではない」


 と気まずそうに言った。


「決定的発言だな」

「うるさい。自覚はしているんだ」

「でも部活に関しては言いたいことわかるよ。俺も部活に入りたいと思ったけど、どこも毎日活動しているし、なにか目標があればバイトで行けない俺は迷惑だ。縛られずに自由にできるところがあればいいのに」


 すると有巣が先ほどの上目使いで俺を真っ直ぐ見据える。


「武者小路は本当は部活をやりたいのか?」

「まあなー。やってみたいよ」

「……そうか。理不尽だな」


 その言葉の意味を今度は肯定的にとらえられた。


「「はぁー」」


 ため息が調和する。俺たちの自由気ままな青春は簡単に手に入るものではないらしい。


「そう考えると姫野みたいに新しい部活作って、自分の好きに過ごすのも良いことかもな」


 ふと脳内快晴娘の顔が浮かぶ。だが、結局はそれも不可能のようだ。手続き期間はもう直前だった。


 すると横にいた有巣はがばっと頭を持ち上げるとなにかひらめいたような顔で立ち上がる。


「……そうか。そうかそうか。そうかそうかそうか! それでいいじゃないか!」

 真横には健全な女子高生の白い太もも。上を見上げると見てはいけないものまで視界に入ってしまうような気がして、慌てて目を反らす。


「なんだよ今度は……」


 有巣はスキップでもするように階段を下り、最後の一段を軽く飛ぶ。ふわふわとなびく髪は光に舞い、さながら亜麻色の髪の乙女だ。


 そして振り向いてピストルを構えるように真っ直ぐ俺を指差した、飛び切りの笑顔で。


「武者小路優馬! 今日の放課後、姫野凛を連れて研究棟一階、第一研究室まで来い!」

「は? え?」


 バン! と撃つ仕草をすると有巣は返事も聞かず教室へ戻っていった。


「いや、まだ行くとは返事してないんだけど……。まあ今日はバイトないからいいけどさ」


 そんなに多く会話したわけではないが、この独特の雰囲気には慣れつつある俺だった。

 笑顔で放たれた銃弾はどこか清々しく胸に当たった気がする。

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