第12話-鬼畜嬢と理不尽⑤

 ――ゴボウは和食に最適だ。豚汁やきんぴら、煮物などと相性が良く、俺も定期的にお世話になる。確かにもう少し太ければ歯ごたえがあって良いと思うこともあるが……。


 って、そうじゃないだろ! なんだこの茶番!?


 再び意味のわからなさに困惑していると、有巣は瞬間的に身体を直立させた。

 透きとおるほど色白な顔は、まだ朝だというのに夕日のようにあかを帯びている。


「だー!! くそっ、くっそー!」


 これほど露骨だと、もはや可愛らしいくらいの強情っぷり。有巣は自分から、ごめんねが言えないタイプだった。


「もういいよ。別に誰が悪いってわけじゃないだろ」


 苦笑いして問いかけると有巣は口をすぼめて目をらす。その顔は悔しそうというか照れているというか、特有の鬼畜嬢としての姿はなく、正直に幼くて可愛かった。こんな顔ができるなら、やはりツンデレ理想論はあって良いと思う。


「と、とにかくだ! 貴様まで誤解されて被害にうのはわたしの責任でもある。もともとあの雌鶏とわたしの話だったのだからな!」


 腕を組み、最低限の威厳は保っているようだが、顔は真っ赤だ。


「つまり貴様は巻き添えにあっただけで、そんなのって理不尽だろ。だから……うぅ……」

「だから?」


 再び言葉を詰まらすので今度は聞き返した。

 有巣は息を大きく吸いこみ、視線を俺のネクタイの位置で止めると細々と口を開く。


「…………すまなかった」

「え?」


 それは羽虫が一瞬耳をかすめた程度の音で、おもわず聞き逃しそうになる。


「あ、うん。というか、幼稚園児でもそこまで強情なやついないよな」

「幼稚園児とはなんだ! このくされ覗き武者! ちゃんと謝っただろ! 人が誠心誠意込めて謝っているというのに調子に乗るなクソが!!」


 おいおい言いすぎだろ、逆切れかよ。俺は心でそう言ったつもりが口に出てしまう。


「逆切れではない! もう知らんっ! とにかくこれでチャラだ。もう一切の文句も受け付けないからな! 以上!!」

「なんだよそれ……。――って、ちょっと待ってくれ!」


 相変わらずの身勝手な鬼畜嬢に戻り、そそくさと踊り場から離れていこうとする有巣の後ろ姿を呼び止めるとバックから茶封筒を取り出した。


「これ、返そうと思って……」


 振り返った有巣はそれを視野に捉えると、口を縛ってわずかに歯噛はがみする。


「……っ。まだ持っていたのか」


 踊り場からの下り階段には朝日は差さず、その悲しそうな風貌は一層黒い影を落としている。お互いの気まずさが具現化したようにしばしの沈黙。俺も二の句を継げないでいた。


 すると大きなため息と同時に有巣が沈みかえった空気を破る。


「捨ててくれと言ったはずだぞ」


 妙に落ち着いた口調にうれい顔。指に毛先を絡めながら有巣は静かに俺を見据える。


「ああ、それは聞いた。けど俺には捨てられない」


 申し訳なさをにじませつつ、真剣な口調で有巣と向き合う。階段の下から見上げてくる有巣はいつもより数段小さく見えた。


「あと悪いけど、中身読んだ」


 有巣は一瞬はっとした顔を向けるとすぐうつむく。


「ふん。幻滅げんめつしただろう」

「幻滅はしないけど……、かなり驚いた。でも、すごいって思った」

「は? それはすごい奇怪きかいだと解釈していいのだな?」

「そ、それは違う。言葉では表しにくいけど、すごい。あんなに自分の考えたストーリーを文章で表せるなんて立派だと思う」

「はっ。意味がわからない。苦し紛れにも程がある」


 有巣の声は一層冷たさを増したが、その声はかすかに波打つ。


 言い方はこれでいいかわからない。だが実際に有巣の小説は上手く書けていたと思う。それにもう後戻りもできないし、押していくしかないだろう。


「苦し紛れでも、お世辞でもない。小説書くなんて普通にすごいと思っただけだよ」


 人物が目に浮かぶほどわかりやすかったとか、世界観がよくわかったとか、どこまで功を奏してくれるかはわからないが俺は思いつく限りの賞賛を提示した。


 しかし、おとなしく聞いていた有巣が急に顔をあげて叫ぶ。


「もういい、やめろ! どんどんみじめになる!」

「あ、いや、そんなつもりで言ったんじゃ……」


 口がへの字にゆがみ、潤んで輝く有巣の瞳を見て、また呆気にとられてしまう。


「どうせ、わたしのことを馬鹿にしているのだろ!」


 有巣の目は本気だった。


「わたしだって自分の立ち位置やキャラクターぐらいわかってる。こんなわたしがBL小説書いてるなんて、さぞ爆笑必至のニュースだろうな!」


 有巣は握りこぶしを横に振りかざして、吐き捨てるように言い放つ。


「いいから捨てろ!」


 竜の咆哮ほうこうのような叫びが始業の鐘と同時に俺の脳天を貫いた。

 チャイムは校舎を丸ごと飲み込むように静寂をもたらす。


 有巣のふっくらと柔らかそうな唇は嚙みつく八重歯に震え、瞳は強く閉じられている。

 だが、俺は予想外に落ち着いていた。そんな有巣が幼く見えのだ。


 きっといつも颯爽さっそうとして強い彼女は人に弱みを見せたくないのだろう。それが誰であってもだ。そして見えてしまった弱い部分は切り離してしまえばいい。いわゆる強情、負けず嫌い。今はちゃんと残っているかわからないが、俺だってそういう部分はきっと持ち合わせていた。ただなんとなく、そう見えた。


 でもそれは違う。意地張ってても良いことなんかないぞ。こういう時は、一度、受け入れて褒めてやることが大切だ。俺がかつて親父にしてもらったように。


「自分のやりたいことに一所懸命になれるやつって、本当にすごいと思う」

「貴様、話聞いてるのか! いい加減に――」


 有巣は再び憤慨ふんがいしかけたが、俺は小説を掲げることでそれを妨げた。そして表紙の隅を指差す。


「小説賞に応募するんだろ。これ目指して頑張ってるの、すごい伝わってきたよ」


 それを確認した有巣は開きかけた唇をより強く噛みしめ、顔を歪める。


「俺や姫野に見られたくらいでやめることはないだろ。それに誰にも言わない。約束する」


 別にやめることなんかない。ここまでの努力を棒にふるうことはない。


「これは有巣の商売文句かもしれないけど……」


 俺はまるで威嚇する小型犬のような有巣を見下ろして、なるべく深い声で静かに言った。


「――そんなことでやりたいことを失う方が理不尽だ」

「…………ッ!」


 俺がわざとらしく真剣な態度をとると、有巣はじんわり拳を開いて、潤んだ目で睨み返してくる。もうここまで言ってしまったんだ。今更恐いことはない。


「確かに最初見た時は、意味が分からなかった。いつも険悪で、美人で、頭も良くて、おまけにお嬢様の有巣が実はこんなもの書いてるのかって」

「な、貴様、なにを言って……」


 有巣は目を見開いて硬直すると唇を震わせた。呆気にとられた顔は耳元まで紅潮こうちょうしているように見える。まずい、怒らせただろうか。


 でも、この言葉に偽があるわけではないし、これで関係が破綻はたんしてもすでに二人の仲は修復不可能な所まで到達しているだろう。


 しかし周りを取り巻く空気は先ほどとは変わって温かくなってきた。どうやら雲は無くなって日差しも階段全体に入り込み、どことなく有巣の怒気も薄まっているように感じたのだ。そう思うと逆に前向きになる。


「でも読んでみたら面白くてさ。それに一生懸命書いたのが伝わってきた。俺は一所懸命になれることがないから本当にすごいと思うよ。だから――ごめん。お節介過ぎたな」


 いつのまにか、かなり喋っていることに気付いて言葉を止めると、沈黙していた有巣はうつむいたまま再び階段を昇り、俺の正面で立つ。


 思わぬ接近に身構えた俺の手から原稿と封筒を回収すると、有巣は静かに腰を下ろした。

 少し驚いたが、それにならって隣に座る。朝の階段はひんやりと冷たい。


「あぁー! 覗きにそんなこと言われるとはな、くそっ!」

「覗きって、おい」


 有巣は膝を抱えると俺に背を向けて、相変わらずの嫌味を垂れ流す。

 でもこの状況では相変わらずの方が助かる。気まずさは半減だ。


「有巣って相当素直じゃないな」


 俺もちょっと言い返してみた。今なら少しくらい言ったって、


「はあ? あんまり調子に乗るんじゃないぞ、ゴミカス覗き落ち武者」


 許されるわけではないらしい。というか肩書き増えてる。そのうちおくりなみたいになってしまうのではないだろうか。


 黒くて大きな瞳から放たれる抑止力で、すっかり俺のA(アタック・)P(ポイント)も削り取られてしまった。


 しかし有巣はすぐため息をついて、新雪のように反射する膝に顔を埋めた。


「見られた……はぁぁ」


 やはり、だいぶショックだったらしい。絹糸シルクのような髪が華奢きゃしゃな足を経由して地面にかかり、膝頭には付けた額がもぞもぞと動く。


 自分からは話してはいけない空気を本能的に感じとり、相手の言葉を待っていると、有巣は思い立ったように顔をあげて、俺の眉間みけんを指差した。


「そういえば貴様、さっき面白かったと言ったよな? どこがどう面白かった?」


 それはあまりに唐突で焦った俺だったが、あのシーンがよかったとか、でもさすがに男同士のキスシーンは受け入れられないとか、そんなことを話し始めると有巣は食い入るように話を聞いては所々原稿を確認していた。


 すると有巣の表情や、目の色が暖色になっていき、「ここはどうだった?」とか聞きながら原稿を押し付けてくる。ぐい、ぐいぐい、ぐいぐいぐい……っておい、近いって。


 その度、隣り合った肩がぶつかり、どこからともなく洗剤のような香りが鼻をくすぐる。

 朝の階段はいつの間にか清々しい平穏が戻り、足元の滑り止めが銀に輝いていた。


 先程まで気付かなかったが、踊り場にあるステンドグラスに光が反射するようになると、この場所はこんなにも輝くのだ。告白スポットとして十分に納得できる。

 その中で俺は有巣としばらくBL小説を語り合った。混沌な状況カオスです。


 良いと言うと照れくさそうに喜び、微妙と言うと素直にへこむ。有巣はみんなが思ってる以上に単純な奴かもしれない。それほどに小説を書くことが好きなようだ。


 ここが特に良いというと陽だまりのような笑顔を見せる有巣はいつもの氷柱のような面影はなく、あどけない雰囲気を出してる。


 そんなことを考えている時だった。


「このシーンはどうだ?」とステファンとジョニーの見つめ合うシーンを見せてきた有巣の顔が予想以上に近いことに気づき、思わず息を止める。


 ふっくらとした唇に、吸い込まれそうなほどぱっちりとした瞳。その下で色気をかもす泣きボクロ。うるしがかかったような長髪はステンドグラスを経由した日光をいっぱいに浴びて、有巣の顔の動きに合わせて光の中をふわふわと踊っていた。


 そして女の子特有の白玉のように無垢むくな頬に甘い吐息。


 あまり近くで見るのは毒だなと反射的に判断したのか、俺は意図せず顔を背ける。日差しが入ってきたせいか、顔が少し火照るように熱くなった。


 有巣もなにかを感じ取ったようで顔を反らす。

 俺は微妙な空気感を断ち切るために言葉を紡いだ。


「た、楽しそうだな。やっぱり捨てなくてよかったんじゃないか?」


 珍しく返事は素直に肯くだけだった。


「じゃあなんで捨てろなんて言ったんだよ」

「うぅ……、わからん。むきになっただけだ」

「そんなことで大切なもの手放すなよな。おかげでこっちは半端ない罪悪感だったんだぞ」


 だが、むきになる気持ちがわからないわけでもなかった。そりゃあ俺だって中学生時代に執筆した『武者小路・インフィニティー・オーバースキル・改の書』を見られたら、その場から逃げる。あれはまだ引出の一番奥に入ってるはず。早いとこ処理しなければ。


 そんな米粒ほどの危機感を仰いでいると、有巣は今度はしっかりと俺の目を見て、「すまない」とこぼした。今度も声量はぎりぎり聞こえるくらい。


 今まで威圧的で気が付かなかったが、当然のことながら有巣は俺より身長も座高も低い。だから上目使いで見つめてくるわけだが……。いや、別にどうってことは……ない。


 俺は煩悩ぼんのうに支配される前に話に戻った。


「とにかくやめることない。好きなことできるって結構幸せなことなんだぞ」

「覗きのくせに……、わかったような口利きおって」

「いい加減に覗きはやめてほしいんだけど」

「わかった。今回は覗きではなかったと認めるよ、こっそり性癖くん」

「それ余計危うくなってないか?」


 返答が面倒になったのか、有巣はふん、と鼻を鳴らした。


「それにしてもなぜ貴様はこんなにお節介なんだ? 捨てて何事も無かったように振る舞えばよかっただろう」

「そうだな。でも……」


 確かにその通りだ。でもこの件に関しては見過ごせなかった。だって、


「本当にやりたいことができなくなるって、そんな辛いことないだろ?」


 有巣は俺の微妙に答えになっていない返事に不思議そうに首をかしげる。


「俺、中学校の時にサッカー部に入りたかったんだ。けど、家の事情でできなかった」


 俺は自分の蹴り余した足をじっと見つめる。


「その時かなりショックでさ、理解はしてたし、今もそんな辛い記憶ってわけじゃないけど、残念だったって想いは残ってる。それを思い出したら放っとけなかったんだ」


 なぜ、こんな話してるんだろうか。少し恥ずかしくなった俺はつくろった笑顔で「放っておけない優しい性格なんだよ」と安っぽい冗談を言ってみせた。


 すると彼女は俺の作られた笑みを引きはがすような真剣な眼差しを向ける。


「家の事情とは?」


 真っ直ぐで、あまりにも深く黒い有巣の瞳。俺は説明の義務をつきつけられたようで、頭をいた。

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