第6話-貧乏優男と鬼畜嬢③

 先ほどノンストップで上ってきた階段を今度は同じように全力で下る。


 あの異様さからして、きっと大切なものなのだろう。自分もその場にいたという後ろめたさを感じながら、また階段を飛び降りた。


 有巣を抜かしたのは一階の踊り場。なにかを訴えていたが、聞こえる前に通り過ぎた。


 トイレのある角を通り抜け、購買のガラスゲージ前を疾走し、部活動の部室棟への渡り廊下を曲がって中庭に出る。


 自分の動体視力が確かなら窓から飛ばされたのは五枚だったはず。


 すると、ひらひらと風に浮いていた用紙がちょうど芝生の真ん中に落ちてきた。

 夕陽を浴びてもなお新緑を際立たせる芝の上にはプリントが全部で五枚。よかった、遠くに飛ばされてなかったようだ。


 拾い集めて丁寧に重ねると、それが活字でびっしりと埋まっていることに気付く。そして唖然とした。まばたきをしてもう一度その文字列に目を落とす。

 

『お……おぅ、ステファン駄目だ。僕たちは結ばれない星のもとに……』

『そんなことはないぜジョニー。俺達の愛は運命なんかに断ち切れる程弱い糸なんかじゃない。まるでこの俺の上腕二頭筋のように張りに張っているんだ』

『ダ、ダメだよステファ……ん、んんんん――――』

 ステファンが入ってくる感触がした。口元が熱い。僕はされるがままに目を閉じた。

 そう。全てを受け入れるように。


「な、これ。え……」


 全てが受け入れられなかった。というか、これはいわゆる――


「BL小説だ」


 後ろから聞こえた一言に背筋が凍る。あらぶる呼吸とは裏腹に、その声は間違いなく冷気だった。

 振り返ると、もちろんそこには有巣がいた。平静をつくろっているがいっさい目を合わせず、スカートを握りしめる拳は小刻みに震えている。


 忘れていた。封筒の中身は大切な物である前に、見られたくない物だったのだ。


 大量に並んだ活字に青ペンで所々推敲リライトした箇所がある。間違いなく作者は俺の目の前で息を切らしている、この美人で頭の良い御令嬢である。


「こ、これは不可抗力ふかこうりょくってやつで……。見る気があったわけではな――」

「別にいい。拾ってくれてありがとう。だがそれはもういらないから適当に捨ててくれ」


 ありがとう? 俺は身構えていたぶん少しうろたえた。その言葉が鬼畜嬢には似ても似つかぬ言葉だったから。

 うつむいた有巣の顔には走って乱れた髪がおおかぶさり、表情をくろつち色の向こうに隠す。


 かける言葉が無かった。こんな時にどういう言葉を使えばいいかを是非とも学校の授業で教えてほしいと思う。


 そこに最高のタイミングで教室のプリントをまとめて持ってきた姫野が合流。姫野もそれを見てしまったらしく、憔悴しょうすいしたような顔をして、


「有巣さん……ご、ごめんなさい!! あと、これ拾ってる間に少し、見ちゃった……。で、でもねっ……」


 目にはすでに涙を潤ませていた。いつもの調子ならこれから何をされるか不安で仕方ないだろう。


 しかし有巣は今、鬼畜嬢ではないのだ。


「今は話しかけるな。いいからほっといてくれ。あとそれ、捨てといてくれ」


 もうこの状況を打破だはするすべは残されていなかった。

 有巣は震える手で風になびく髪を押さえると、顔を上げないまま帰っていった。


 謝罪の行き場を無くした姫野は、俺に対して必死に謝ってきたが、そんなことを俺にされても困るので、その無鉄砲な天然さをどうにかしてほしいと強めに言っておいた。


 俺は……やっぱり悪いのだろうか? 姫野から受け取った有巣の封筒は罪悪感とかよくわからないわだかまりが加わったようで少し重たい。


 それにしてもギャップが強烈すぎる。容姿端麗ようしたんれい博学秀才はくがくしゅうさい。文字通り完璧な存在である有巣の隠れた趣味はBL小説の執筆だったなんて。


 途中で出くわすと気まずいから時間置いて教室に戻ろう。大きなため息をついて芝生に寝そべる。寂しげな空はいつのまにかだいだいから夜の寒色へと変わっていた。

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