第5話-貧乏優男と鬼畜嬢②
その後しばらく罵られ、身ぐるみを
「つまり姫野は心機一転、新しい部活を作ろうと思った。草ボーリングにしようと思った理由は簡単そうだから以外は特にない。そういうことだな」
固い床で正座させられている姫野が涙をふきふき肯く。
「そして有巣を勧誘した理由は、まだ部活に入っていないからと、御令嬢パワーを行使したいからだと」
「理不尽だ! 本当にふざけた話だ!」
もの言いたげな姫野が口開く前に話を遮った有巣はもう呆れ声だった。背もたれに身を任せて呟く。
「雌鶏もふざけているが、この学校の制度こそふざけている。なぜ部活なんぞが義務になっているのだ!」
いろいろなものにチャレンジして何かを得てほしいというのが当校のありがたい理念だそうだが、有巣の言う通り、俺たちにとってそんなことは本当にどうでもよいことだった。
帰宅部を希望する連中は、しぶしぶ適当な部活を探して一年間我慢するというスタンスだが、なんだかんだ落ち着いて三年間継続する者も多い。これが狙いなのだろう。
「俺もそう思うよ。わざわざ全員強制にすることないのにな」
有巣は意外だな、と俺を見る。
別にやりたくないからというわけじゃない。特例措置を設けてもらっている俺には義務ではないのだから、そもそも関係の無い話だ。
だが、視界にはふいに自分の足元が映る。なぜかとても悔しい気持ちになった。自分だけが、その味わったことのないなにかを得られないことが。
俺は余計なことを考える前に目線を有巣に戻す。
「むしろそれこそ御令嬢パワーでどうにかならないのか?」
「どうにかなるなら、とっくに手はうっている」
「そりゃそうだよな……」
「ちょ、ちょっと二人とも! そんなこと言わずに部活やれば絶対楽しいよ! 学校と言えば青春! 青春と言えば部活! 部活といえば汗と涙のバラ色スペクタクルッ!!」
唯一の部活動肯定者である姫野は、慌ててメリットを提示しながら
「そこが理不尽だ」
すると有巣は真っ白な天井を見上げて呟いた。まだ明るめの夕日に照らされた有巣の横顔は透きとおるように切ない面影を映し出した。
「部活動イコール青春だと? それでは部活動に入っていない者に青春は来ないのか?」
「そっ、そんなことはないけど……」
「では、それは
俺には有巣が言わんとすることが、なんとなく理解できた。
大多数の人間が経験する高校生活は、姫野いわく、いわゆる期限付きのバラ色スペクタクルと言っても過言ではないくらい、むしろそのように定義付けられている。
その中でも特に輝きを放つのが他でもない
万華鏡のようにからからと移り変わる景色の中で少年少女は輝きを放ち、二度と戻らない模様を映し出しては思い出の彼方へと……そう。青春の一ページを書きあげていく。
なぜだろう。さきほどから抱いていた胸苦しさを無視できず、俺は窓の向こうの
自分の胸が
「できることなら貴様の
有巣ならやりかねないと思ったのは俺だけじゃないだろう。姫野も青ざめていた。
「とにかくだ。わたしはこの学校にある部活動にこれっぽっちも入りたいとは思わん。それに新しい部活も作ろうとも思わん。わたしでは人が集まる気配もないしな!」
人望についての自覚はあるらしい。
「わたしの秀でた才能の前では誰もが
自覚どころではなかった。単独で
「しかし規則は規則だ。その部活動更新手続きまでには、わたし自身どこかの部活に入らなくてはならん。そればっかりはどうにもならんからな」
そう言って有巣は細く息を吐いた。
彼女の言う通り、今入っていない生徒もその更新期間が終わるまでにはどこか所属しなければならない。それもやはり俺みたいな特例者を除いて。
有巣は不機嫌さを
「興味の無いことにわざわざ時間を費やさなくてはいけないとは
その言い分はしっかり道理が通っていたので返答のしようがない。おかげさまで若干の沈黙が生まれ、その空気に耐えきれなくなったのか姫野が話題を変える。
「じ、じゃあ、有巣さんはなにか趣味とかないの? 興味のあることとか!」
初対面の人との会話にうってつけなのは相手に好きなことを語らせることだと聞いたことがある。それは自分が話さずとも相手がその事柄について熱心に話してくれるからだ。話の流れ的にもナイスチョイス――
「貴様には話したくない」
でもなかった。相手が相手だからな。思わず苦笑い。
「ねぇねぇ、じゃあ有巣さんが放課後に毎日図書館で書いてる、その封筒の中身ってなに?」
姫野が有巣のバックを指差した。確かにその隣には少し厚めの茶封筒が置いてある。
「貴様には関係ないことだ。ん? というか貴様、なぜわたしが図書館でこれをやってるのを知っている?」
「えっ、あっ、うん。えーと、それは……、たまたま……。そうそう、たまたまだよっ!」
「お前、さっき毎日って言ってたぞ」
俺がとどめを刺す。つまりは、
「ストーカーか。よし、武者小路。現行犯逮捕だ! 相撲部に
「イエッサー!」
「ふぇぇ! ごめんなさい、ごめんなさいってばぁーー!!」
姫野は目に涙を
「部活のお誘いしようと思っていつも連いてったんだけど、有巣さんそれやってる時すごい集中してて、遠くで見てることしかできなかったんだよぉ……。恐いし」
姫野はぐすっと涙を
「だから、何をそんなに必死に書いてるんだろうと思ってさぁ……」
気持ちはわかるが、知ったところでどうというわけではない。勉強していたのだろう。
考えれば当然のことで、有巣はズバ抜けて頭が良い。どの授業でも正確に答えを導けるし、教師が誰も答えられなくて困った時の助け舟としての位置付けが出来上がっていた。
人間より勉強がお友達。そんなイメージが有巣には定着している。
「有巣さんが、そんな一所懸命になるものって気になるなー。やっぱり趣味的なもの?」
姫野は大きい目をぱちくりさせて封筒を見る。それを有巣は
「まあ……趣味というか、なんというか……」
「気になる! 見ぃーせてっ!」
有巣が髪先を指に絡めて言葉を濁していると、無邪気な姫野はそれに手を伸ばす。
――パシンッ。
その瞬間、有巣の鋭い一重瞼が大きく見開き、姫野の手をかなりの強さではたいた。
まさか取りに来るとは思わなかったのだろう。完全に不意を突かれた表情で有巣は叫ぶ。
「ひゅっ、ふざけんな!! 触るな!!」
「いっだぁーぃ!」
有巣は
姫野は叩かれて赤くなった手をふーふーしていたが、そんなに隠されれば逆に知りたくなるのが人の
「見せてー、見せてよー」
姫野は緩やかな口調とは比べものにならないくらい
「お、おぃ雌鶏! この手を放せ! さもなくば……」
「放さないよー! 少しくらい見せてくれたっていいじゃーん」
有巣にこんなことして許されるはずないのに。やっぱりこいつ馬鹿だ。なにも考えずに
「と、とにかく放せ!」
一方の有巣も妙だった。いつもの怒鳴り声と鋭い眼差しに比べて、声も弱々しく、腹に一発くらったように顔をしかめている。
焦っているのだろうか。普段から
見たことがなかった。さらに有巣の顔は苦痛に歪む。
「いやっ! やだっ! 放っせ!」
やはりいつもの有巣とは雰囲気が違う。これは本気で見られたくないやつだ。さすがに気付けよ姫野。見慣れた光景から一変。二人の強弱関係は完全に入れ替わっていた。
「ったく……。おい、やめろ姫野。もう放せって! 嫌がってんだろ」
俺は姫野の肩を掴んで、ぐいっと封筒から引きはがした。あっけないほど簡単に。
そう。姫野は予想以上にすんなりと手を離してしまったのだ。
すると当然、力のベクトルは有巣に一直線。有巣の体は二、三歩後方に下がり、尻から地面に落ちた。反動のせいで封筒の中からは紙束がばさばさっとこぼれ出て、そのうち数枚は空中をひらひらと舞いながら窓の外に吸い込まれる。
スローモーションのように白いプリントを五月の
不運にも有巣の席の窓は開け放たれていたのだ。
「おいおいおい、マジかよ!」
「ぇ、嘘……? ッ! そんな!」
有巣は痛みも感じさせないほど素早く
飛ばされた紙を拾いに行ったのだろう。その必死さは見たことのない鬼畜嬢の姿だった。
教室側の窓は中庭に面している。落ちても敷地外に飛んで行くことはなさそうだが、風に
呆気にとられていると、ふと頭をよぎる光景がある。
「まただ……。なんでだよ……」
これは余談だが、記憶のフラッシュバックというものは時と場所を選ばない。いつだって突然に頭の中をよぎっては無意識に体を動かそうとする。そういうのを俺は呪いって言うのだと思う。
『――優馬、どんな時でも困っている人がいたら助けてやれる男になれ』
なにかに突き動かされるように、俺も教室を飛び出した。
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