第4話-貧乏優男と鬼畜嬢①

 ここは裁判所だろうか。俺は教室の中心である新田の席に座っている。

 どこからか吹奏楽部が奏でる魔王シューベルトの旋律が響き、教室を適温に保っていた夕刻の春風は今や冷気に感じはじめた。


 それもそのはず。目の前には鬼畜嬢が俺を侮蔑ぶべつする目でにらみ下ろしてくるのだ。


 戸が開いてからはほんの数秒。有巣にブレザーのえりをひっぱられ、ここまで連行させられたのだった。


「武者小路優馬」

「は、はい……」

「貴様にのぞき見という性癖があったとはな、残念だ」

「はい。…………はあ?」


 唐突な有巣に対して、思わず冤罪えんざいを認めてしまった。どうやら覗きの罪を着せられているらしい。

 しかし、断じて、まったく、そんなつもりは無い。


「ち、違う! これはたまたま」

「ほう、たまたまか。捕まったやからはみんなそう言うらしいが、実証じっしょうしてくれるとは」


 有巣の視線は性犯罪者でも見るようなそれだった。


「無理もないか。女子高生が二人、誰もいない放課後の教室でたわむれていれば気になるよな」

「妙な言い回しをするのはやめろ。それじゃあ俺が変態さんみたいじゃないか」

「違うのか?」

「なぜ違わないと思わない」


 有巣は小首をかしげると、寒気がするような笑顔でにっこりと言い放つ。


「随分はぁはぁ・・・・していたものな。性欲がそのまま顔を出していたのかと思ったぞ」

「えっ? 優馬くんはぁはぁ・・・・してたの!?」

「おい、そんなわけないだろ! というか性欲の顔ってどんなだよ」


 姫野が胸の前で手をもじつかせながら視線をらす。やめろ、そんな顔するな。


「ち、違う! 誤解だ!! それにはぁはぁ・・・・させられるようなことしてなかっただろ」

「ならば覗き見ていないで堂々と入ってくれば良かったではないか」

「うっ……。それはそうだけど、二人が喧嘩してて入りにくい空気だったためで」

「言い訳なら簡潔にしてくれ」


 有巣のさげすんだ瞳に弁解べんかいを諦めかけたが、変態覗き野郎の汚名はここで晴らしておきたいので必死に説得。俺は階段を全力で上がってきたから息が上がっていたことと、手伝いを終えて荷物を取りに来たことを懸命けんめいに説明した。


「――まあいいだろう。わかった」


 そう言うと有巣は実際どうでもよかった、とでもいうように窓際の席に戻り、一息つく。

 もっと尋問じんもんされると思っていたが予想以上に簡単な結末。俺の焦りと熱弁を返せ。


 しかし、疑いが晴れたならそれに越したことはない。


「ああ、そうだ武者小路。覗きの性癖は黙っておいてやるから、そこの雌鶏を一緒に連れて帰ってくれ。鬱陶うっとうしくてかなわんし、こいつに止められてわたしも帰れんのだ」

「だからそんな性癖はない!」


 有巣はあごで姫野を指すと俺の言葉を無視して帰り支度を始める。全然疑いは晴れていなかった。数秒前の安心感も返せ。


 だが相手はあの鬼畜嬢だ。穏便おんびんに済ませよう。俺はこれ以上の弁解は諦めて、言われた通り姫野に帰るぞと声をかける。だが、そいつはすすけた背中を向けたまま動かない。


「おい姫野? どうしたんだ?」


 姫野は振りかえるとしおれた花のようにうつむく。


「来週までなんだあ……。新設部活動の申請」

新設部活動シンセツブカツドウ? 月曜から有巣を誘ってる草ボーリング部ってやつか」

「うん。仮に設立できたとしても同好会からなんだけどね」


 姫野は力なく頷くと、申請用紙とやらを俺に手渡し、一点を指差す。


「同好会新設にあたっては会員を三名以上および、顧問一名の承諾を受け明記し、期間内に生徒会室にて手続きをすること……」


 俺たちの通う私立星砂学園高校は一年次の部活動加入が必須だ。また私立の豊富な財源と相まって、バラエティーは百花繚乱ひゃっかりょうらん。五十を超える部活と同好会が乱立し、それを十二分にまかなえるだけの設備が揃う。


 この環境で新入生の大半は既存の中から自分の気に入ったものや、友人に誘われたものなどに所属し、青春を謳歌おうかする。中には姫野のように新しい部活を作るという気合の入った奴もいるようだ。


 ――ただ、特例者を除いてだけれども。


 つまり、来週末までに部員を三人集めれば良いのだ。しかし大多数の生徒はどこかに所属してしまっているので、新規メンバーを獲得するのは簡単なことではない。


「なるほどな。それで月曜から有巣に声をかけていたのか」

「結局、今週はだめだったんだけどね……」

「来週もだ」


 姫野が寂しげに微笑むのに対して、有巣が静かに釘を打つ。シュールな絵面だった。

 だが、ここで一つ疑問が生まれる。


「有巣、えーっと……有巣さん? 有巣さんはどこの部活にも入っていないのですか?」


 呼びかけただけなのに不快感のこもった視線で返されて、思わず敬語になってしまった。

 若干の沈黙が流れたが、有巣は肩にかかった髪を払うと自信たっぷりに答える。


「所属しているぞ。帰宅部にな」

「…………。それはギャグですか?」

「あえて聞くな、阿呆あほう


 意外と冗談が言えるやつだった。そして有巣が俺をきつい目で睨む。


「今のところはどこにも所属していない。だが、この時間、こんな所で油を売っているということは貴様もどこにも所属していないだろう? 覗き武者」

「おい、覗き武者ってなんだ。人の苗字を悪用しちゃいけませんって教わらなかったのか」


 つっこむ俺をさらに鬱陶しそうに見る有巣にぐぬぬと息を詰まらせる。ただ、有巣の推理は的を得ていた。だから俺は余計に反感を与えないように細々と答える。


「俺は……、特例なもんで」


 その言葉に有巣の片眉はピクリと上がる。

 気に障っただろうか。有巣は窓の向こう、オレンジの空を見つめて浅くため息をついた。


「特例……か。この平等がうたわれる世の中で、なんとも理不尽な言葉だな。わたしは理不尽なことが大嫌いなんだ」


 どこか寂しそうにそう言うと、有巣の黒くて力のある瞳は再度、俺とぶつかり、


「よって貴様も大嫌いだ!」


 突然の嫌悪発言。ちっとも寂しそうじゃなかった。

 この微妙な人間関係が重視されるご時世で、そうあっさりとオマエ嫌いとか。それに有巣とはファーストコンタクト同然。鬼畜嬢、恐るべしと言ったところだろう。


 当然のことながら、ほぼ初対面の相手に拒絶宣言された際の対処法を習得していなかった俺は適当に苦く笑ってみせ、話を姫野に戻す。


「そもそもなんで草ボーリングってのがしたいんだ」


 あれだけ人にすすめているのだから、大そうな理由があるのだろう。あの寸劇すんげきを見ていれば草ボーリングに興味を持ったやつは多いはず。俺自身もウィキベディアで検索したが、草の上でボールを転がすこと以外はよくわからなかった。そのままだな。


 だが姫野の返事は完全に予想の右斜め下を蛇行だこうする。


「うーん……。別に草ボーリングには固執こしつしてないというか、そこまでやりたいわけではないというか、そんなに思い入れはないんだあ」

「えっ? あんなに勧誘してたのに?」


 姫野は胸の前で彷徨さまよわせていた両手を合わせると、えへっと無邪気むじゃきに舌を出す。


 唖然あぜんだ。思わず口が半開きになる。この女はそこまでやりたいとも思わない事をあんなにも強気に毎日罵倒ばとうされながら、涙ながらに雄弁ゆうべんしていたのである。


 もちろん、その事実に一番驚いたのは、


「なっ……!? り、理不尽だ!!」


 頓狂とんきょうな声をあげた有巣だった。


 そりゃあこの一週間、耳にタコができるほど言われていたことが、まったく重みをもっていなかったのだ。今回ばかりは有巣が脳天をち抜かれたようだっだ。同情の余地あり。


 しかし、有巣はすぐ戦闘態勢に入ったように眉間みけんに力を入れる。


「この雌鶏……貴様ぁ」


 やばい。鬼畜嬢が沸騰する。

 白くてか弱い手に握られたシャーペンは折れそうなくらいしなっていて、すでに怒気は可視できる段階まで湧き上がっていた。


 対する姫野はすでに目尻にしずくを浮かばせてひざをかくかくと震わせている。


「あ、有巣。一度落ち着こう。姫野にも何か理由があるかもしれないし……な?」


 姫野がすがるような視線を送ってくるものだから、つい助け舟を出してしまった。

 そのタイミングで「あ、あのね……」と姫野が声を絞り出すが、


「おい雌鶏。ふざけたこと言い出したら、身ぐるみいで相撲部に放り入れるからな」


 有巣がダメ押しの一発。姫野は口をへの字にして後ずさりしたが、なんとか切り出す。


「あのね……、その……あたしね、高校に入って少し変わったっていうか……、前より自分に自信が持てるようになったっていうか……、とにかく新しいことにチャレンジしてみようって思えるようになったの」


 俺は理由になっていない姫野の言い分に首をかしげる。

 一方の有巣は一度息を落ち着けて、いたって冷静に姫野を見据みすえていた。


「だからね、新しいこと始めようと思って。それでとりあえず部活作ろうって、もう既にあるものじゃなくて、新しくスタートさせたいなと思ったの!」


 動機と帰結きけつにまったく一貫性がないが、最後は元気よくはっきり言いきった。姫野はやっぱり天然っていうよりお馬鹿ちゃんだと思う。


「つまり貴様はとにかく新しい部活動を自らの手で新設したかったわけだな」


 有巣の簡潔なまとめに姫野はこくこくと肯く。


千歩譲ゆずってそれは良いと仮定しよう。あくまで仮定だ。だが、なぜ草ボーリングなんだ?」


 少なからずでも有巣に良いと言われたのが嬉しかったのだろう。姫野は目を輝かせると、上機嫌で返しはじめる。今までは断られてののしられるばかりだったからな。


「そこであたしは思いついたのです! 昔おじいちゃんが町内会でやってた草ボーリングなら運動音痴なあたしにもできるって! 誰でも仲良く簡単にできるって大切だと思うんだよね!」


 姫野は自信満々に大きくVサイン。


「ん……ああ。理由ってそれだけ?」

「うんっ! そうだよっ!」


 有巣のこめかみが音を鳴らしたようだったが姫野はまだ気付いていないようだ。言いたいことを言いきって健気に微笑んでいる。


 俺はそんな鬼畜嬢をうしに危機的なものを感じながら話を進める。


「ち、ちなみになんで有巣をあんなにしつこく勧誘したんだ? 部活が決まってないだけで有巣じゃなきゃだめってことないだろ?」

「えっ、あ。そ、それはねぇ……、もちろん部活に入ってないってのもあるんだけど……」


 姫野は横目で有巣を確認すると、悪戯をごまかす子どものように指を胸元で絡ませる。


「続けろ」


 低い声を放った有巣は姫野から視線を外さない。


「いやぁー……。有巣さんのお父さんってこの学校の社長さん? ……なんだよね?」


 嫌な予感がしてくる。


「だから、もし二人しか集まらなくても御令嬢ごれいじょうパワーでどうにかならないか……なんて!」


 姫野が目を泳がせながらわざとらしく可愛いえくぼを作る。というか、


「浅薄すぎるだろ!!」


 思わず俺がつっこんだ。そして恐る恐る有巣を一瞥いちべつ


「理由はそれだけか?」


 意外にも俺とは対照的に冷静な有巣。これは嵐の前の静けさだろうか。


「そっ、それだけじゃない、よ? ほ、ほら、それに有巣さんって素敵だから、有巣さんが入ってくれれば人気もでるかな? ……って」


 それはむしろ逆効果だと思うけどな。言っている姫野自身も疑問系である。言いきれないところが余計に痛々しい。


「とっ、とにかくそういうことです! だから有巣さん、やっぱり一緒に草ボーリン――はぅっ!? 痛ぁーぃ!!」


 ぱしゅっ、と空気を割く音と同時に、わずか二ミリ程しかないシャーペンの芯がすっとんで姫野の額にささる。有巣が親指に怒気を込めてはじいたものらしい。そして次の瞬間、


「ふっっっざっけんな――――!!」


 セリヌンティウスも身の危険を感じるくらい有巣は激怒した。

 姫野凛、相撲部行き決定です。

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