第3話-鬼畜嬢とユ涙姫②

 事の経緯を辿ると昼休み。現場は変わらずこの教室。


「なあなあ見ろよ、優馬ゆうま! あれが始まったぞ、あれが!」


 いつものように自作の弁当を開くと、クラスメイトの新田にったじんが言う。


 身長は俺と大差ないが、髪を限りなく金色に近い茶に染め、細身でベージュのカーディガンは、まさに浮ついた男子高校生の恰好なりだ。くわえている購買のピザパンが良く似合う。


 その新田が行儀ぎょうぎ悪く椅子にもたれかかって、クラスの注目が集まる窓際をうながしてくる。

 そこには誰もが認める学年でも上位を争う美少女が二人。ここ一週間では見慣れた恒例行事が始まろうとしていた。


「――ねぇっ! ありさんっ!」

「断る」

「うっ……。ま、まあ、とりあえず一緒にお弁当食べ」

「断る」


 有巣と呼ばれた美少女は席に座ったまま表情を変えず、先ほどまで授業で使っていたテキストをまとめている。


「ふぇぇー、そんなこと言わないでよー!」

「断る」

「…………ぐすん」


 ものの一分間で三度も断られた少女はすでに目を涙で潤ませていた。


「姫っち可哀想に……。でもすぐ泣いちゃう所が可愛ゆーい!」


 新田の不純な発言を俺はジト目で受け流す。


 あっさりと断り続けられている美少女は隣のクラスの姫野凛ひめのりん

 名前とは裏腹にふわふわとした性格で、喋り方も物腰も超絶ゆるい。全体的に橙色オレンジに包まれた幼稚園児のような彩色の彼女は垂れ目で童顔。てろんとなったニーソックスはもはやルーズのようで、外見は雲のような脱力感を放っている。ちなみにバストは、高一にしてはかなりふくよかな方だろう。


 新田の特殊スコープによるとF以上は間違いないと数日前に熱弁された。うん、俺がフリーザ様だったら嬉々としてこいつのスカウターを首ごとはねるだろうな。


 さて、そんな姫野の特徴は外見からの期待を裏切らないド天然とすぐ泣くこと。実際に今も半べそだ。性格も見た目もゆるゆる。ついでに涙腺までゆるいときたもので、ついた渾名はユ涙姫ゆるいひめだった。


「――じゃ、じゃあ、話だけでも!」

「断る」

「紹介は昨日と同じなんだけどねっ!」

「断る!」


 諦めないユ涙姫の熱意と対照的に、有巣の拒否する声に冷徹な力が籠ってきたような気がする。


「なんでよー! 一緒にやろ」

「断る!」

「うううっ……、そんなあ……」


 有巣はいっさい姫野に目を合わせようとしない。むしろ苛立たしげに足先でカツカツと地団太を鳴らし始めた。


 はたから見てもわかる劣悪れつあくな雰囲気。常人ならこれ以上のコミュニケーションを諦めるが、ド天然の姫野はそんなことは気にもかけずに話を進めていく。


「楽しいんだよ、草ボーリング!」

「断る!!」

「芝生の上でね、ボールをスーって転がして」

「断る!!」


 先程から有巣の白くてきりりとした眉間みけんがみるみるせばまっているが、姫野は草ボーリングとやらの魅力を伝えるのに一生懸命で気が付いていないようだ。


「それでね! えーっと……そうそう! ピンに当てて……」


 ガタリ、と椅子が床を擦る音と同時に、姫野の言葉が止まった。今日もストライクを出してしまったらしい。


 気怠けだるさあらわに立ち上がった有巣は、右耳元にわいたおさげを後ろに払うと、姫野を真っ直ぐにらみつけた。その端整たんせいな顔立ちのせいか、普通の人間にすごまれる数倍は恐い。


 教室は氷河期のごとく緊迫した沈黙を告げ、姫野も石化呪文でもかけられたように無言で立ち尽くした。そう、まさにザ・ワールド。


 そして目の前で連日くらっている姫野はもちろん、その瞬間誰もが察知したに違いない。

 ――有巣が毒を吐く。


 感じ取ったのも束の間、有巣は人差し指を姫野の眉間ぎりぎりに突き立てて、


「うるさい! 断ると言っているだろうが!」


 第一声を放った。威圧的な声と、相手を焼き焦がすような視線は強烈で、姫野も小さく悲鳴をあげる。


「こう毎日断っているのに、貴様はなぜ何度も来るのだ。昨日断られたのを覚えていないのか。貴様の脳みそは鶏レベルではないのか? 三歩あるいたら忘れるのか、この家畜かちく!」 


 面と向かって家畜って、おい。


 破壊力抜群のジャブをもらった姫野は、まるで手持ちのモンスター全員戦闘不能になった時くらい真っ白だ。

 一度冥界へ連れていかれた姫野の意識は数秒で戻ってきて、涙を一筋流した。


 だが、しかし、諦めない。毎度のことだが、こいつもたいがいである。

 姫野は唇をすぼめて涙を堪えると、無理矢理絞りだした笑顔でもう一度話し始め、それを見た有巣は口元を一瞬ひくつかせると、荒ぶる呼吸を抑えて小さく息を吸った。


「グスッ。ぅ、うう…………きゅ、草ボーリングってのはねッ!」

「この……しつこい! 失せろ、鶏女にわとりおんなっ! 皮剥いでオーブン焼きにするぞ!」


 カーンと、どこからか試合終了の鐘が鳴ったような気がした。姫野は再び真っ白になり、オーブンでは実現できないような燃え尽き方をしている。


 二ラウンド目ノックアウトというとこだろうか。しかし開始一分でリングに沈んた月曜日に比べたら頑張った方だろう。


「ぅわーん!」と涙を流しながら姫野は自分のクラスに逃げ帰った。

「ふん」と始末の悪い顔をして有巣はまた席につく。


 有巣麗奈ありすれな。端整な顔立ちと上から糸で吊るされたような姿勢の良さは一点物の人形のようで、姫野に比べて胸こそ無いが、その美貌びぼうは本当に同じ高校生かと疑わせるほどだ。


 そんな絶対的な人気者素質を持っているのだが、有巣は今日も一人荷物をまとめて談笑に花咲く教室から出て行こうとしていた。


 理由は簡単で、その見た目からは想像もできないいばらのような性格にある。

 無愛想ぶあいそうで高圧的。口から出る言葉の暴力は過剰かじょうなまでに辛辣。そのせいで誰も寄りつかなくなり、つまりは友人がいない。もちろん浮き足立つような話もまるでない。


 入学当初はリア充希望軍がその美貌に釣られて何人も攻略を試みたが、散々罵倒され、見るも無惨な爆散状態だった。そしてなにより有巣がこの学園の理事長令嬢だということが周知になってからは、有巣の怒りを買うと退学になるという噂まで飛び交う始末。


 ついた渾名は鬼畜嬢きちくじょう


 同じクラスの俺自身、実際に話したりすることはない。たまに目は合うがすぐに逸らされてしまう。昼休みはいつもいなくなるし、いても誰とも会話しない。むしろ普段から不機嫌そうな顔をしているから声もかけづらいし、喋りかけるやつはみんな敬語になっている。入学から一月足らずで誰も寄せ付けない氷の女王のイメージが定着していた。


「さっすが鬼畜嬢! 何度見ても飽きないね。ちなみにぼくは何度見ても姫っち派だけど、優馬はどっち派だい?」


 新田がキノコ派かタケノコ派かみたいな質問を投げかけてくる。ちなみに俺はキノコ派で傘と柄を分断して食べるのが好きだ。だってお得な感じがする……だろ?


 それはいいとして、にやける新田に箸を突きつけて答える。


「おまえの姫っち派発言はもう十分聞き飽きたし、俺はどっち派でもない」

「またまたー、優馬は固いぞ! 実際のとこは?」


 目を爛々と瞬かせる新田に、わざと大きめの溜め息をついてみせた。


「まあ、見た目だけで言えば、有巣……かな?」

「むむっ、何故ですかな?」

「なんでと言われてもなあ。黒髪で和風っぽい所かな。浴衣着せたりするとやばそう」


 艶やかな浴衣を着せて、絹糸のような髪を団子のように結び、余った毛先がそっとうなじにかかる姿を想像する。やっぱり純正黒髪女子は和服に限ると思う。ジャパニーズビューティーってやつで。いや、別に変な意味じゃなくて。


 意外と調子良く答えてしまった俺を嘲けるかのように、新田は意地悪に笑った。


「優馬も鬼畜美女に罵倒されたい願望があると」

「だから見た目だけって言ってるだろうが!!」


 お決まりのコントみたいな冗談にわりと本気になってツッコんでいると、撤退したはずのユ涙姫がアルミ戸を力強く開けて教室に戻ってくる。


 そう。戻ってきたのは別にいいのだけれど。そこ、危ないぞ。


「あーりーすーさーん! やっぱり草ボ――――きゃっ! 痛っ、ご、ごめんなさい!」


 勢いよく入ってきた姫野はちょうど教室から出て行こうとした女子生徒とぶつかって体制を崩した。相手は思わず尻もちをつく。


 新田は咥えていたパンを落として唖然とそれを見る。無論、俺も。


「わっ、わっ、ごめん、ごめんね! どこか怪我は…………ないで、す、か?」


 姫野の顔からはさあっと血の気が引いて、差し出した手の指先は固まる。

 それに呼応するかのように教室の視線が再び一点に集まった。


 生憎ぶつかって倒したのは、ちょうど教室から出て行こうと戸を掴みかけていた鬼畜嬢様一名。テヘペロじゃ済みそうにない。


「ぁ……え、その、ご、ごめん、な、さい?」


 ブチッ、という布地ぬのじが切れたような音が聞こえたかと思った最中さなか、有巣は立ち上がった。背後から黒いオーラが噴出して、全身がわなわなと震えている。そして、


「ぃ、いい加減黙れめんどりがぁぁぁぁ!!」


 俺の脳内浴衣美女は一瞬で崩壊。

 ぶちキレた有巣は教室を早足で出て行き、取り残された姫野も魂が抜け出たように呆然と立ち尽した後、やっぱり泣きながら出て行った。


 無情にも、この繰り返しが一週間続いて週末にいたる。


 美少女が美少女をののしる光景があまりにも斬新だったせいか、週中あたりからは二人の寸劇を見ようと、どこからともなく野次馬が集まってきて、ちまたでは有巣派か姫野派かという究極無益な話題も熱い今日この頃。


 姫野はすぐに泣いてしまうところやふわふわとした幼い面持ちから守ってあげたいと名乗りをあげる男子が急増。一方の有巣は性格こそ難点ではあるが美貌のためか人気は高く、実はツンデレだという理想説が横行している。


 そういえば昨日、姫野派でありながら有巣に踏まれてみたいという奴もいたな、俺の目の前に。新田よ、結局お前はどっちがいいんだ。


 ――もう一度かすかな隙間から室内を見渡す。やはりその二人が、目の前で昼間の続きを進行中だ。姫野もいい加減しつこいな。


 それにしても、これではいつまでも教室に荷物が取りにいけない。つまりは帰れない。

 腕時計に目を落とし、ツイてないとため息をこぼしたその時、急に辺りが暗くなった。


 ふいにどこからかの気配を察し、視線を教室に戻す。すると目の前に……瞳。

 わずかに開いた戸から斜陽しゃようが入り込んでいたはずのそこには、まるで肉食獣が獲物を睨むような黒くて鋭い眼。そして赤いリボンの付いた漆黒のカーテンがあった。


 しゃがんでいる俺の目と同じ高さに位置した瞳に吸い込まれるように固まると、目の前にあった瞳は消え、スカートと紺ソックスの間の健全な肌色が目の前に現れた。

 それに思わず気を取られた瞬間。激しい音を立ててスライド戸が開く。


 なびくスカートにかかるつやがみ。夕陽を背に威風堂々いふうどうどうの姿。

 見上げたそこには鬼畜嬢がさげすんだ笑顔で君臨くんりんしていた。

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