第2話-鬼畜嬢とユ涙姫①

『ステファン。ダメだ。僕たちは結ばれない星のもとに……』

『そんなことはないぜジョニー。俺たちの愛は運命なんかに断ち切られるほど弱い糸なんかじゃない。まるでこの俺の上腕じょうわん二頭筋にとうきんのように張りに張っているんだ……』

『ダ、ダメだよステファ……ん、んんんん――――』

「おい、嘘だろ……」

 ステファンとジョニーの一線を超えた接吻キスを目撃した時。俺の空っぽな青春の器に、冷気と春風がこれから起こる全てを流し込んできた。



 金曜日。担任教師から引き受けた雑用を終えて、高等部校舎に戻ったのは午後四時半だった。

 早く帰りたいがために三階分をいっきに駆け上がってきたのだ。まだ五月も頭だってのにブレザーを脱ぎ捨てたいくらい体は火照ほてっていた。


 閑散とした廊下を一人、息を切らしながら歩く。いくら体力があり余っているからといっても限界はある。教室から荷物を回収したら、ゆっくり下ろう。


 そう心に決め、最端にある部屋のアルミ戸に手をかけたその時。


『――いい加減にしろ、このめんどりがっ! 鶏舎けいしゃでおとなしく無精卵でも放出していろ!』


 突如とつじょ、室内から聞こえた女の声に反射して、右手は取っ手を掴んだまま硬直した。


 冗談には聞こえない声色を響かせる空間は、穏やかな放課後の校舎から切り離されたような緊張感に包まれている。いったい中で何が起きているのだろう。


 扉の前で動けないでいる間にも流暢りゅうちょうに暴言は続く。


『毎日、毎日、凝りもせずっ! 化粧品のセールスだってこんなにしつこくない!』


 凛とした口調に清涼感のある透き通った声。


『貴様、暇なのか? わたしに付きまとう以外にすることないのか? 昼食が片付いて洗濯して、掃除して、昼ドラ見る以外にやることない午後三時の専業主婦くらい暇なのか?』


 美声とは対象的に相手を屈服させるまで止まらない罵詈雑言ばりぞうごん。とはいえ、生きとし生ける全ての嫁たちがおいとましているわけではないと思うし、今の時刻は午後四時半だ。


 それにしても、まさか。

 不確定要素は多々あるが、この状況には心当たりがあった。


 俺は予想を確証とするために戸の前でしゃがみ、少し開いていた隙間から中を偵察ていさつする。


 窓際に目をやると、夕陽に当てられても一切変色しない純黒ロングストレートの髪を耳元の赤いリボンでくくった美少女が一人。目鼻立ちの美しい色白の小顔に、烏羽からすばね色の凛々りりしくて大きな瞳。身の丈は約百五十センチ代半ばなのに、圧倒的な存在感を放っている。


 遠目で見ても目を見張るほどの美少女は腕を組み、不快感をだだ漏れにしながら正面で正座している女子生徒に向かって文句と罵声ばせいらかしていた。


 そしてこちらは正座させられているのだろう。精神と時の部屋のレベルを最大値にしたような教室の中央には、怯えた子犬のように身かがめる女子高生が一人。うなだれた背中からは、明らかにレッドゾーンに突入した体力ゲージが見て取れる。


 夕陽を浴びていっそう赤みを帯びたゆるふわホイップの栗毛。そしてミディアムな髪をまとめる橙色だいだいいろのカチューシャと同色のパーカーのフードが、これまたふんわりと紺色こんいろのブレザーから飛び出している。


 やっぱり。こいつは長引きそうだ。

 残念ながら予感は的中。教室の中にいたのは有巣ありす麗奈れな姫野ひめのりんだった。

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