ep.18 明日の夜明け前

「じゃあずっとお前のところにいたっていうのか」


田中はしばらくの絶句の後、ようやくそう言った


「先月からです。すみません」


「お前な…」


田中はそう言って再び黙り込んだ。


「責任は取ります」


「どうやって?」


洋次の顔を睨みつけていたが

ふっと息を吐いて

田中は手を振って立ち上がった。


「コロナに救われたな。ユキにとっては」


そうなのだ。

骨折で休んでいる間にほとんど全てのエンタメが停止

行方不明になったことも

対外的には公にならずに済んでいたのだ。

もちろん社内は大騒ぎだったが。


このことがあって初めてユキの母親にも会った。

実家には帰っておらず

連絡もないようだった。

母親はひたすら小さくなって頭を下げるばかり。

すみません、すみません、ご迷惑かけてすみません。

俺の顔を一度も見なかった。

息子を心配する言葉もなかった。

この親子の間に何があったかわからないが

ユキがここに来ることはないだろうなとなんとなくわかった。

郊外の小さく古い家。

片付けられているというより質素で何もない居間。

色味がなく、生気のない部屋。

ここでユキの母親が一人で暮らしているのかと思ったら胸がぎゅっと苦しくなった。

息子はそこそこ売れてるというのに

写真の一つも飾っていない。

ふと横を見ると壁の一部がへこんでいる。

暴力の跡。ふと頭をよぎる。

俺はユキのこと何も知らない。

聞こうとしたこともなかった。



「で、ユキはどうなんだ。ちゃんとやれるのか」


俺は正直に答えた。


「わかりません」


「お前…。楽しい自粛生活かよ…。

まあいい、とにかく連れてこい。逃げられるなよ」


「…わかりました」


クビを覚悟で社長に会いに行った。

俺たちの関係のことどう思っているのかわからないが

もちろんこのままでいいわけはなかった。

ユキを追い詰めたくはない。

今でもあの朝病院のベッドに横たわるユキの姿が頭から離れない。

でも思うんだ

俺はあの歌をもう一度聴きたい。

初めてアイツの姿を見たあの夜に戻りたい。

俺のためになんかじゃなくていい。

たとえ二度と抱きしめられないとしても。

そばにいられなくなったとしても。

そして俺にとっては生き残りの最後のチャンスだ。


だけど俺にはもうカードは残っていない。

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