ep.17 東京

いつの間にか春は通り過ぎた。

日陰はまだひんやりするが照りつける日差しは容赦がない。

緑は目に眩しく咲き出した小さな薔薇が時折揺れる。

広々とした公園は人もまばら。

もう出て来てもいいんだよとお墨付きが出ても

ずっと動きを止めていた人たちはそう簡単に信用できず

まだ様子を伺っているようだ。

人通りも、一時よりは多いけど

かつての街の様子とは程遠い。


午後3時、ベンチに一人座っていると

向こうからゆっくり近づいて来たのは永田りな。


立ち止まり目をまんまるくしてこちらを見ている。


俺は面白くなって言ってやった

「もっとこっちへ来てよ。幽霊じゃないよ」


幽霊、と言うのは良くなかったかもしれない。

仙台で怪我をして以来彼女とは会っていない。

病室で人づてに花をもらったのは覚えている。


****


「ユキ…あなた…」


大丈夫なの、どこにいたの、どうして私を呼んだの?

本当にあの時は…


本当にごめんなさい。


言いたいことがありすぎて言葉に詰まってしまう。

まだ適切な距離が必要な気がして

りなは隣のベンチにそっと腰掛けた。


そんなりなの様子がなんだかとても可愛らしくて

ユキは体ごとりなの方に向き言った


「りなちゃん、ごめんね」


なんで謝るの?

ユキの顔は見れない。

俯いた目の奥が熱くなって来るのを感じた。


「俺が飛んだの責任感じてるんでしょう?りなちゃんのせいじゃないからね」


感情が波のように押し寄せてくる。

涙を流すまいと必死でこらえる。


「逃げたかった。あの頃は本当に何もかもいやで逃げたかったんだ。

りなちゃんにしかこんなことは言えないしあの頃もそうだと勝手に思ってて」


「俺、卑怯だろ?りなちゃんにスイッチを押す役目を押し付けたんだよ」


ユキの顔を見た。

ユキはほんのりほおが赤くなりずいぶん健康そうに見えた。


ユキはりなの顔を見てからふと視線を外した。


「君によく似た人を知ってる。俺の話をただ聞いてくれる人。

俺に何も求めず意見も言わずただ聞いてくれる人。

若い頃はさ、随分無茶やったんだけど…その人がいたおかげで俺はなんとか生きてこれた」


「もう聞いてくれないんだ。多分もうキャパがなくなったんだろうね。ほら、花粉症みたいにさ。人間は受け入れられる容量が決まってて、ある日突然それがいっぱいになっちゃうんだよ」


私は…


言いかけてユキの顔を見る。

ユキはその役目をもう私に求めてはいない。


「母親、美容師だったって言ったっけ?」


りなは首を振る。


「どうでもいいね、ごめん」


もう一度首を振る。

これ以上いったい何を言えばいいのか。

女は自分が母親の代わりだったなんて死んでも思いたくない。


「りなちゃん、髪の毛切ってよ」


驚いて顔を上げた。


「だってユキくん…」


「いいんだ。もう。切ってよ。」


俺の髪を切っていいのはりなちゃんだけだ。

言ったろ?言わなかった?


言わない。

切らないでくれてありがとうって言ったんだ。あなたは。

私はこの特別な人の特別な存在だったと思いたかった。

無邪気な顔で私を見るこの人も

やはりただの普通の男だったのだろうか。


もう一度ユキを見る。

いやまだ

あの光り輝くオーラは失われてはいない

皮膚の下からくすぶるように発光する何か。

豊かに覆いかぶさるその髪を切ってしまったら

その光はどこかに行ってしまうのかしら

神々しさは失われるのかしら


見てみたい。

少し意地悪な気持ちになってそう思った。

色が消える瞬間を。

東京タワーの光が消える瞬間を見たことがある。

あの一瞬街が死んだようになるあの瞬間を。

ほの暗い思い。

私の手で

今度こそ本当に殺すのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る