ep.12 檻の中で

俺の頭の中には

一匹の獣が住んでいて

大抵は眠っているんだが

たまに起き出しては徘徊し

咆哮し

檻に噛みつき

体当たりを繰り返す。

それが起きた時

俺はただそれが鎮まるのを待つだけだ。

だけど違うんだ

それは不思議と嫌な感じはしない

俺はその獣と仲良くして

一緒に眠りたい。

安全な檻の中で

獣の毛皮に包まれながら。

できることなら永遠に。


スマホが震えて着信を知らせる。

手に取ろうと体の向きを変えた時右足に激痛が走った

医者からもスタッフからも

あの高さから落ちて骨折だけですんだのは奇跡だと言われた。

奇跡が起きるなら

俺はもう死んでいいはずだった。そうだろう?

スマホの画面にヨウさんの名前。

俺は一呼吸。

出ないわけにはいかないだろうな。

そしてまたヨウさんは俺のために泣く。

涙は流さずに。血を流すように。


あの夜、ヨウさんに出会った夜

その頃俺はもう音楽をやる気力を失いかけていた。

面倒ばかり降りかかり

信頼していた友は去り

音楽は愛しているのに

エネルギーは湧いてこない。

実際もう歌うことはできなくて

CDRを目の前の通りすがりの男に押し付けることしかできなかった。

なぜかその男は惚けたように俺の顔を見ていて

俺が何か言うのを

何か歌い出すのを

今か今かと待っていた

俺の口元を一心に見ていた。

あんな風に俺の音楽を待ってくれる人は

あの頃はもう俺の周りにはいなかった。

数週間後、音楽事務所のA&Rとして俺の前に再び現れたその男は

俺のことを好きだと言った。

俺を守ると言った。

俺の歌を全国、全世界に届けると言った。

驚くべきことに、本気で言っているようだった。

その時なぜか俺の中で何かがすっと溶けて

この男に全部委ねてみようと思ったんだ。

俺を俺のままで愛してくれると

根拠のない確信だった。

たとえ誰か恋人がいたとしても

関係ない。いつも俺のところに帰ってくるから。

そう、ついこないだまでは。

それも今は自信がない。

きっともう違うんだろう。


俺の中の獣は

いつも様子をうかがっている

前足でオリの柵をかく

ここから出せと。

眠ってくれ俺の獣よ。

自分の長い髪に包まれて眠る時

お前の存在を感じるんだ。

眠ってくれ。

そこから出たらもう二度と俺のところには戻らないんだろう?

俺は空っぽになってしまう。


息を整えて再びスマホを掴んで

ヨウさんの声が耳に飛び込んでくるのを待つ。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る