ep.11 永田りな 鏡の中の世界
その16時間前。
ユキのメイク担当としてツアーに同行するのはこれが初めてだった。
そこそこ売れっ子になっていたので
スケジュール的に全ての公演は無理だったものの
「できるだけ来て欲しい」というユキの要望で
結局ほとんどのライブに顔を出していた。
ライブ前に取材をされることもあって
そういう時は必ず自分がやることにしていた。
忙しいことが重なりメイクを済ませてライブ始まる前に別件の仕事に行ってしまうこともあったが
そんな時に見せるユキの不安そうな顔は
かすかな満足感を私に与える。
ユキはヘアメイクをしている間
鏡ごしに私の顔をずっと見ている。
自分の姿にはあまり興味がないような気がする。
髪を切ることだけは許してくれないが
それ以外はどうでもいいようだ。
そんな彼がどうして私だけにメイクを依頼するのか
自分なりに色々考えることもあるけど
まあ多分
私が地味で空気に溶け込むような人間だから
いることを意識しないでいられるんじゃないか。
私は気配を消すことが得意だから。
そしてすっと相手の中に入り込む。
彼はどうやら私といるとリラックスするみたいで
ライブ前の1時間は私だけの時間。
この日のユキは
いつもと違って何か考え込んでいるようだった
いつもは黙って私の顔を見ているだけなのに
この日は何か言いたげに
口を開いたり閉じたり。
私は思い切って言ってみた。
「どうしたんですか?」
ユキは少しビクッとして一瞬目が泳いだが
すぐにすっと立ち直り
弱々しい微笑みを浮かべた。
りなちゃんだけなんだ
俺のことわかってくれるのは
俺の髪の毛を触っていいのはりなちゃんだけだよ
鏡の中から私を見ながら
ユキはいつだったか言った
私はただ笑うだけ。
会話らしい会話はしたことがない
私の指がユキのほおを撫でる
私の手がユキの髪を包み込む
その時間だけが私たちの濃密な交流。
言葉がないだけに
一層深く彼のことを知れるような気がして。
そう私の手はその日の彼のコンディションを知っている
彼の自信。
彼の恐れ。
彼の心の内を知っている
そう思っていた。
あの夜までは。
急に話しかけて
彼を動揺させてしまったことが
逆に私を何かに駆り立ててしまった。
彼の前に回り込んで
私は言ったのだ
「大丈夫?」
ユキはちょっと悲しい目を私に向けて微笑んだ。
疲れてるみたい。
眠れてる?
売れてるんだからたまには自由にやればいいのよ
私は常々思っていた。
彼は周りにいいようにされていると。
もっと何か、違うことを彼は望んでるんじゃないかと。
黙り込むユキに私は
「翔びなさい。好きなように」
言ってみれば口から出まかせに
知ったようなことを言ったわけだ。
これまで築いてきた二人の信頼関係と引き換えに。
その言葉を彼は数時間後実践したわけだが
それによって彼からの決別のメッセージを受け取ったようにも思った。
軽々しい言葉一つで
彼を死なせるところだった。
もちろんあのやり取りは関係ないのかもしれない
でも私にとって
あれは取り返しのつかないミスだった。
このことは誰にも言うつもりはない。
どうせ二度と私は呼ばれないだろう。
もう少しで彼の望むところにいけたはずなのに。
もう少しで彼は私のものなったかもしれないのに。
失敗した。
これ以上ないくらい。
ひらりと飛んだ姿を私はステージ袖で見ていた。
綺麗だった。
自慢の長い髪がふわっとたなびいて。
私は泣いた。
周りが驚くくらい、おいおいと泣いた。
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